義父

手作り家~その後

今日は、義父の作った家のその後について。。。

 

私のダンナさんが3歳の時に、完成したその家には、4年間住んだそうです。

その家には、家族4人で住んでいたのですが、子供たちも大きくなってきて、手狭になったため、手作り家の隣に、今度は、大工さんに頼んで、家を新築。

でも、手作り家は、すぐに取り壊されることはなく、借家として、かすことに。。。

その後、ダンナさんが高校生の頃、またまた家が手狭になったため、大工さんに頼んで、増築。

その時、手作り家は、取り壊されることになったそうです。

(だから、手作り家は、14年程、存在していたことになります。)

 

思えば、私は、義父から、”家を自分で作った時のエピソード”は、何度も聞いたことがあるのですが、”家を壊した時のこと”は、まったく聞いた覚えがありません。

義父は、写真が好きで、小さい頃からの写真を大切にアルバムにおさめています。

ちょっと、「お父さんの小さい時って、、、。」

「手作りの家って、、、。」

「お父さんが結婚した頃って、、、。」

、、、などと、話をきりだそうものなら、義父の「ちょっと待っててねー。」という言葉と同時に、5分もたたないうちに、私の前には、昔のアルバムが広げられています。

だから、”手作り家の写真”も、そんな、たくさんの写真の中のひとつ。

そのモノクロ写真には、やさしく愛情深い眼差しでフィルターをのぞく、義父が見えてくるようでした。

 

あくまで、ここからは、私の想像ですが、家が取り壊された時、もちろん、寂しい気持ちはあったと思いますが、きっと、義父の中では、カメラのシャッターを押した瞬間に、手作り家は、”楽しかった思い出”として、アルバムの中にそっとしまいこまれたのだと思います。

物を作ることが好きな人、何かを創造することが好きな人は、実は、完成を目指して、作っている過程が一番楽しく、充実しているのではないかと思います。

もちろん、完成したときは、飛び上がるほどうれしかったと思いますが、完成してしまった段階で、目は、次なる目的に向いている、、、という気がします。

 

現に、義父は、今も、いろんな物を作ったり、好きなことには、ものすごい情熱をかけて、没頭しています。

そう、ここ2~3年で言うと、”蜂みつ作り”

これは、私も、聞いてびっくり、見てびっくり!

ある日、遊びに行くと、義父は、突然に、「あのね、お父さん、蜂みつ作ることにしたの。 どのくらいかかるかわからないけど、うまくいったら、美味しい蜂蜜食べさせてあげるからね! 待っててね~。」

どうやら、義父の隣の家の方が、蜂みつをつくっているらしく、義父が”蜂みつの師匠”とあおぐ、隣のおじさんに、”蜂みつ作りHowTo”を習い、まさに今、ハチの巣箱を作っている最中だというのです。。。

 

で、できましたよー!

あま~く美味しい天然100パーセントの蜂みつがっ!!

、、、でも、蜂みつがとれるようになるまで、1年はゆうにかかりました。

1年目は、暑さのため、ハチの巣がとけて、巣箱の下におちてしまって、ダメでした。

その時の、義父の悲しそうな顔ったら、ありませんでした。

でも、その話をした直後、「来年は、頑張るよー!!」と、もう来年にむけて気持ちは切り替わっていました。

で、2年目に、ついに、大成功!!

蜂みつが、わんさかとれました。

親族に配っても、ご近所に配っても、まだまだあまりある、たっぷりの蜂みつができました。

私が、義父の家に遊びに行くたびに、「ちはる(私のこと)さん、蜂みつは? なくなったら、いつでも言ってねー。 いっぱいあるからねー!」と言われるほどでしたから。。。

で、今年は、蜂みつ作り・3年目でしたが、今年は、スズメばちに巣箱の中のハチを襲われ、ダメでした。。

残念!

(蜂みつ作りの話は、話すと長いので、またいつかブログに書きたいと思います。)

、、、そんなわけで、いつでも、何かに、夢中になっている義父です。

 

それにしても、、、私のブログに登場しているとは、つゆ知らず、今ごろ、くしゃみのひとつもしていることでしょう。。。

 

P。S。 

この間、母・よしこに、「ブログ、アップ(更新)したよ~。」と言ったら、「あーら、知らないの? 随分、落ちちゃったじゃない。 ダウン、ダウン。」と言っていました。

どうやら、よしこは、ランキングのことを言っていたようです。。

いやー、でも、私も人のことを笑ってられないくらい、パソコンのことを知りません。

ついこの間まで、”文章をコピーして、貼り付ける”という事すら知らず、たまたまそのやり方を姉から聞いて、そんな方法があったのかと、ビックリしたくらいですから!

(だから、それまで、アップする時は、また最初から文章入力していたので、そりゃーもー、大変でした、今思えば。。。)

 

<人気ブログランキングに参加しています>

下の”人気blogランキングへ”というところをクリックしていただくと、一票アップです。

いつもありがとうございますっ。

人気blogランキングへ

 

| | コメント (1)

義父とそうちゃん号

義父は、家まで作ってしまうくらいだから、本当に、”物を作ること”が好き。

義父の家に遊びに行ったある日、「ちはるさん(私のこと)、お父さんの宝物を見せてあげる。」と言って、連れて行かれたところが、家の敷地の端っこにある小屋。

小屋のドアを開けると、そこには、所狭しと、いろんな”工具”がきっちり整然と納められており、壁面をタンスがグルリと囲んでいた。

そのタンスの引き出しの中には、ネジやら釘やら、いろんなものがぎっしり入っていた。

で、これらの小さな部品は、買ってきたものより、”とってきたもの”の方が断然多いらしかった。

 

義父は、廃品回収の時、いろんなところに足を運んでは、これから捨てられる自転車などから、使えそうな部品やなんかをシッケイ。

それをこのタンスに入れ、何か作るときのために備えているらしい。

「もーねー、廃品回収の日は、宝の山よ!! お父さんには、なにもかもが宝物に見えるの。 だから、その日が待ち遠しくてねー。」

そう言って義父は、へへへっと笑った。

そして、「お父さんは、ここで何か作ってる時が一番幸せで、いちばんくつろぐの。」と言って、目をキラキラさせながら、小屋を今さらのように見回した。

 

そんな義父に、私は、何度となく、いろんなものを作ってもらった。

なかでも、”そうちゃん号”は、私のお気に入り。

”そうちゃん号”は、三輪車(大人用)の後ろのカゴ部分に、”そうちゃんが座れる座席”を設けたもの。

発案者は、私。

で、私のイメージ通り、忠実に義父が作ってくれたもの。

 

そうちゃん号が誕生したのは、今から6年前。

そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)が、幼稚園に通っていた頃にさかのぼる。

幼稚園の送迎バスのバス停まで、大人の足で行けば、たった10分くらいの道のりだったけれど、ようやく歩きだしたばかりのそうちゃんを連れて行くには、近くて遠かった。

だから、最初は、バギー(そうちゃん用の車椅子)にそうちゃんを乗せて。。。

けれど、問題は、雨の日。

大きな重たいそうちゃんを乗せたバギーを押しながら私が傘をさして歩くことは、とても大変だった。

、、、というより、バギーは、両手で押さなけば、右へ左へ蛇行するので、結局は、傘をさすのをあきらめ、私はぬれてしまうことに。。

 

そうこうするうちに、だんだんと、そうちゃんの足も強くなってきたので、思い切って、歩きでバス停まで行くことにした。

が、、、。

そうちゃん、行きは、幼稚園行きたさに、心も踊り、バス停までハリキッテ歩いて行くので、問題はなかったのだけれど、帰りは、なかなかそうはいかなかった。

幼稚園の送迎バスから降りても、そのまままっすぐ帰ろうとしない。

バスを見るのがこの上なく好きで、バスが走っているのを見たくて見たくて仕方がない。

「あと1台だけよ~。」と言っては、一緒にバスをみるのだけど、なかなかこれがエンドレス。

で、”これじゃー、きりがない”と、無理に連れて帰ろうとすると、そうちゃんは、道にねころがったり、泣き叫んだり、、。

もちろん、雨の日だって、おかまいなしなので、泥だらけになることもあった。

 

そんな日が続いたので、”これはいけない、、、。”と思って考えたのが、この自転車。

私は、”こういう風に作って欲しい”というメモを義父に渡すと、「うん、できる。 できる。 やってみよう。」と言って、目を輝かせ、さっそく、三輪車を自宅までトラックで運び、持ち帰った。

それから、1週間ほどたって、義父が持ってきてくれた三輪車を見た時は、皆で、思わず、いっせいに歓声をあげた。

「うわーっ すごーいっ!!」

後ろのカゴ部分には、イスが組み込まれ、そうちゃんが落ちないように、ちゃんと、シートベルトまでついていた。

そして、サドルの後ろには、そうちゃんが握れるように取っ手もついていた。

”必要は発明の母”というけれど、そうちゃん号は、まさにそれ。

 

そうちゃん号が来てから、それまでの私の悩みは、一気に解決した。

毎朝、そうちゃん号にすっと乗せ、帰りもサッと乗せ、家へ。

送迎にかかる時間は、大幅短縮となった。

そうちゃんも、そうちゃん号が好きなので、それに乗ること自体がうれしいらしく、大喜び。

その上、雨の日だって、三輪車なので、滑って倒れる事もなく、危なくない。

私は、片手でハンドルをにぎり、片手で傘を余裕でさせた。

もー、気が抜けるほど楽になった。

 

あんまりうれしくなった私は、”雨の日に、カンペキにぬれない方法”について、研究してみたくなった。

で、その結果、私は、雨靴に、レインコートの上下(下は、ズボンタイプ)、頭にはレインハットをした上、透明の傘をさす(これで、視界がぐんと広がる)。

そうちゃんは、レインコートを着て、やはり、レインハット、そして、カゴ全体に、ビニールカバーをする。

、、、といういでたちに。

完全防御の私たち。

はたからみると”スゴイ格好”だったかもしれないけれど、もう、私は、完全に楽しんでいた。

雨の降る日が待ち遠しかったっけ。。

(ちなみに、今はもう、下に子供が二人いるので、そんなことをして楽しむわけにもいかず、、、。

”雨の日は、雨の日らしく、みんなでぬれましょー!”と、ガガッと180度、方針変更。。)

 

そうちゃんが大きくなりすぎて、そうちゃん号に乗ることは、もうできないけれど、そうちゃん号は、今なお健在。

お次の出番を待っている。。

 

P.S.

いちこさん、ブックマーク、どうもありがとうございますっ!

 

<ブログランキングに参加しています>

下の、”人気blogランキングへ”というところをクリックしていただくと、一票アップです。

いつもありがとうございますっ。

人気blogランキングへ

 

 

| | コメント (3)

義父と手作りの家

”ラ~ラ~ ラララララ~

ラ~ラ~ ラララララ~

ララララ~ ラララララ~

ラララ~ ラララ~ ラララ~”

今日は、義父の登場。。

 

”義父”を頭に思い浮かべると、不思議とこの、ドラマ“北の国から”のテーマソングが流れてくる。

このテーマソングと共に浮かぶ五郎さん(純君と蛍ちゃんのお父さん役:田中邦衛さん)。。

そして、、、この、五郎さんと義父がだぶる。。。

それは、義父が、北海道に住んでいるからでもなく、五郎さんに顔が似ているからでもない。

たぶん、、、”昔、自分で家を建て、家族みんなで、そこに住んでいた”という義父から聞いた話が、あまりにもインパクトが強かったからだと思う。

その話と、”ドラマで五郎さんが、自分で家を建てていたシーン”とが重なって、私の中で、いつの間にか、こういう”連鎖”になったのだと思う。。

 

私のダンナさんが3歳から7歳まで住んでいた家は、義父の手作りだった。

畳だけは、さすがに手作りするわけにはいかなかったらしいけれど、既製品を買ったのは、畳、ただそれだけ。

あとは全て、手作り100パーセントだったという。

 

手作り家に住む前、義父たち家族は、会社の社宅に住んでいた。

(いつか、家を建てるときのためにと、土地だけは買っていたらしい。)

そんなある日、会社の都合で、思いがけず、社宅を出ていかなければならなくなったというのだ。

まだ、家を建てるのは先のことと計画していた義父は、これからどうしようか迷った。

家を建てるような資金もないし、、、。

そんなこんなを会社のセンパイに話していたら、そのセンパイは言った。

「あなたなら、家、建てられるよ。 家、自分で作ったら? やり方がわからなかったら、いつでも、アドバイスしてあげるから。 私も手伝うよ。」

 

そのセンパイ、物をつくることが大好きで、とにかく、そこらへんにある材料でチャッチャッチャと作ってしまう、何でもできるスーパーマンのような人。

で、仕事をするかたわらで、素人ながら、なんと、家を3棟も建ててしまったという。

枠にはまらない、なんともスケールの大きい人で、会社の人気者だったそうだ。

もちろん、義父は、大工さんでもなんでもないので、フツウだったら、そんなこと言われても、ここは、「えーっ?! そんなこと~!」。

”アッハッハーッ!”と、笑い流すところだと思う。

が、義父はちがった。

「、、、ホント? 、、、自分にもできる?  じゃ、、、やってみようか。。。」

義父の家作り、、、それは、工具を少しずつ買いそろえるところからはじまった。

仕事が終わってから、毎日、現場に直行。

仕事がお休みの日も、もちろん現場に直行。

設計から始まり、材木を集め、窓をも木枠にガラスをはめ込んでつくったらしい。

 

「へ~。 センパイに手ほどきをうけながら、二人で力を合わせて、コツコツコツコツ作ったんだなあ~。」と義父の話を聞きながら、私は途中まで、そう、思っていた。

が、実際は、だいたい大まかな”How To”をレクチャーしてもらった時点で、なんと、そのセンパイ、病気で長期入院してしまうことになったというのだ。

で、結局、ほぼ、最初の段階から、義父一人で、作業をはじめなければならなくなったらしい。

(その話を聞いた私は、その時、言った。

「えーーっ?! じゃあ、お父さん、そこからは一人で~?? 大変だったでしょー?!」

ところが、義父は、ケッケッケッと笑いながら、「いや~、それがねー、そーでもなかったの!! それまでに、いろいろ説明は聞いてたからね。 特に困った事はなかったねー。」)

            

義父は、家を建てるために必要な工具を何も持っていなかったので、次の工程、次の工程にすすむたびに、それこそ、ひとつずつ、買い足していったという。

もはや、師匠が近くにいないとなっては、ひとつ終われば、またひとつ、義父の前には、”新しい挑戦”が待っていたけれど、それがどーして、楽しくて楽しくて仕方なかったらしい。

仕事で疲れた日も、完成する日を夢見ながら、来る日も来る日も現場へ向かい、気の遠くなるような作業を続けた。

 

が、そんな義父にも、たった一度だけ、「もう、家を作るの、、、やめようか。。。」と思ったことがあった。

ひとつずつ大切に買いそろえた工具が、ひとつ残らず、盗まれてしまった時。

その時は、思わず、現場に立ちつくしたそうだ。

「なんで、、、。」という気持ちがこみ上げてきて、悲しくて、悔しくて、心にぽっかりと穴があいてしまった。

で、1ヶ月ほどの間、作ることをやめた時期があった。

けれど、ある日、「やっぱり、途中でやめるわけにはいかない。 また、一から始めよう。」という気持ちがモクモク沸いてきた。

そこからまた、作業を再開し、工具をひとつひとつ買いそろえた。

それからは、”絶対に家を完成してやるぞーっ!!”という気持ちが、心の底からこみ上げてきたという。

で、あれやこれや、口出しされると気が散る、、、ということで、義母さえ、”現場立ち入り禁止”にして、作業に集中したらしい。

 

そうやって、1年半後に、ようやく完成!!

義父・37歳、私のダンナさん・3歳の12月に、世界でたったひとつの家の完成となった。                             途中から現場に足を運ぶことさえ許されなったのだから、家族にとって、完成した家は、”ビッグ・サプライズ!!”もいいとこだっただろう。

 

”手作り家”のことになると、30年たった今でも、キラキラキラっと、目を少年のように輝かせて話す義父。

それを、身を乗り出して聞き入る私。。

今まで、何度となく聞いてきたけれど、何度聞いても、興味津々。

いや~、できることなら、私もぜひとも、見てみたかったなあ!!

その昔、”トム・ソーヤの冒険”にでてくる、ハックルべりー・フィンの、木の上の小屋に妙に憧れた私。

ああいう小屋で暮らす友達は、いないものだろうか、、、とマジメに思っていた。

あんな家に遊びに行けたら、どんなに楽しいだろう。。

 

義父の作った家は、今となっては、モノクロの写真の中にしか確認することはできないけれど、あのドアをガラガラーっと開けた向こうは、どんな造りになっていたのだろうか、、、。

考えただけでもワクワクしてしまう。。。

 

P。S。

コメントをたくさん、ありがとうございました。

ミルクの事だって、なんだって、”みんなちがって みんないい”ですねー。

金子みすずは、ホント、いいこと言いました。。

 

<人気ブログランキングに参加しています>

下の、”人気blogランキングへ”というところをクリックしていただくと、一票アップです。

いつもありがとうございますっ。

人気blogランキングへ

 

| | コメント (7)