思い出

九官鳥

私が小学生だった頃のある日、ちょっと古びた皮膚科へ、初めて行った時のこと。。。

 

その皮膚科の入り口付近、年季の入ったこげ茶色をした木枠の扉の手前に、皮膚科の先生が飼っているのであろう”九官鳥“はいた。

真っ黒くテカテカと光ったつやのある羽をした九官鳥は、小さい鳥かごの止まり木をチョン、チョン、とせわしなく行ったり来たりしていた。

私と姉と母が、思わずその九官鳥の前で、

「うわ~~~

 九官鳥だあ~~~~!!」

と足を止めた瞬間!!

その九官鳥もせわしなく飛んでいた足をパタリと止め、グーーッと私たち三人を見つめたとかと思うと、こう言った。

「で~て~い~け~~!!」。

 

私たちは、その皮膚科へ行くのはその時が初めてで、さあ、これから入り口の扉を開けようとしていたところだったので、びっくり。

思いがけぬ、お出迎えにズッコケた。

意表をつかれ、なんだかおかしくて、私たちは家に帰るまでずっとゲラゲラ笑っていたっけ。

それにしても、その九官鳥が言った “で~て~い~け~~!!“ は、ものすごく低い、ドスのきいた声で、かなりの迫力であった。

しかも、“出ていけ!!“とは、聞き捨てならない言葉。

 

九官鳥は、よく言葉を覚える鳥。

、、、とはいっても、聞いたこともない言葉を覚えるハズはなく、、、、。

もしや、夫婦げんかかなんかで、あの温厚そうな皮膚科の先生が発した言葉じゃなかろうか?

でも、もし、そうではなく、まったく身に覚えがなく、テレビかなにかのセリフを聴いて、うっかり九官鳥が覚えてしまったのだとしたら、とんだ誤解を招いているわけで、、、、

だとしたら、皮膚科の先生はとても迷惑なことじゃなかろうか?

、、、、と、あれこれ、私たち三人は、おやつのクッキーを食べながらヤケに盛り上がった。

 

次、その皮膚科へ行く日、私たちは、九官鳥から「で~て~い~け~~!!」と言われたいがために、走って走ってゼーゼーいいながら病院へ向かった。

ただそれだけを楽しみにホクホクして病院へ向かったが、その九官鳥は、今度は手のひらを返したように、おすまし顔。

無言のまま、チョン、、、チョンと、止まり木を行ったり来たりするのみ。

そういうわけで、 私たちの前で、二度と“で~て~い~け~~!!”を披露してくれることはなかった。

それ以来、その皮膚科へは、(ご縁なく)行く機会がなかったのだけれど。。。

 

九官鳥は、中学の時の友達も飼っていて、なんだか馴染みがある。

どこかものすごく目つきがさめていて、ちょこっとずる賢さを放っていて、それでいてなんともいえない愛嬌があって、、、

なんだかとても気になる。

気を引き付けられる。

 

友達の九官鳥は、友達のお母さん、そっくりの口調で、ときおり“はっはっはっはー!!”と豪快に笑いながら、玄関でベラベラベラベラしゃべっていたっけ。

(玄関に鳥かごがおいてあった。)

電話が玄関にあったので、よく電話の受け答えをしているような口調でしゃべりまくっていた。

友達が、その九官鳥のことを、

「気に入った言葉は、すぐ覚えるとよ~。

 も~ いらんこと(よけいなこと)ばっかり覚えてから、困る~!!」

と言っていたのをふと思い出した。

 

九官鳥かあ、、、、

いつか飼ってみたい動物の一つであります。

 

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ラーメンの出前

どうして、あんなにも魅力的だったんだろう、、、

ラーメンの出前。。。

 

私が小学生の頃(特に低学年のころ)、ラーメンの出前が大好きだった。

大好き、、、というより、もう、それは憧れ。

母・よしこは、

“ラーメンは、お店に行って食べるもの!

 出前は、のびるし、さめるから、たのみません!“

という主義だったため、私の夢(ラーメンの出前が私の家にやってくること。)が叶ったのは、たったの数回。

ラーメンの出前は、手が届きそうで(私が住んでいた社宅には、当時、なぜかラーメンの出前をとっている人がたくさんいた。)届かない、高嶺の花だった。

私にとっては、どんな高級なものを食べるよりも外食にいくよりも、強烈にステキなことだったのだけれど。。。。

 

だから、家に出前がきた日のことは忘れない。

あの胸のときめき。

窓の外を姉とジーーッとのぞき込んでいると、そのうちに、銀色のケースをのっけたバイクが到着。

そして、トントントントンと社宅の階段を上がってきて、ピンポーン。

なんといっても、銀色のケースを下に置いて、フタをスーーッと開ける瞬間が、、、

たまらなかった!!

うおーーーっ(叫び)!!

 

そして、中には、ラップのかかったラーメン。

ゴムのついたラップをペロンとはがすと、、、

中には、きくらげが入っていて、おいしくて、おいしくて、おいしかった記憶、、、

それしかない。

なぜ、バイクにワサワサ揺られて家までくるのに、スープがこぼれないのか?、も、とっても不思議だったっけ。

 

今、あの頃の私と同じくらいの年の長女(9歳)と次男(7歳)は、” かっぱ寿司””マックのハッピーセット”が大好き!!

チャンスがあればいつでも食べたい模様。

食べ物そのものよりも、パフォーマンスだったり、おまけだったり、、、 そっちに目がいって仕方がない様子。

とにかく、その好きさ加減は、私のラーメンの出前に匹敵し、なにからなにまですべてが“ツボ”にはまってる感じ。

たま~にお連れすると、「やった~~~~~っ!!」という雄叫びがとまらない。

その姿をみていると、こんなに喜べるものなのか???、と、なんだか妙にうらやましくなったりする。

 

ああ、、、 なんだか、久々に、ラーメンの出前、たのんでみたくなっちゃった。

ラーメンをもってきてくれるところなんて、今どきあるのかな??

ちゃんと あの銀のケースに入れてきてくれるかな???

 

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お年玉

お正月といえば、お年玉。

子供の頃、お正月になるともらえるお年玉がとても楽しみだった。。。

 

私の父も母も、それぞれに兄弟が多いので、私には叔父や叔母がたくさん。

だから、叔父や叔母から、そして、歳のはなれた従妹から、私は毎年お年玉をいっぱいもらった。

 

中には、遠方にいる母の親戚から郵便で送られてくるものもあった。

母・よしこは、お年玉の入った封筒を開きながら、

「まあ・・・・。

 わざわざ、ちはる(私のこと)とりか(姉のこと)にお年玉送ってくれて、、、。

 悪いわねえ~!!」。

 

そう言ったかと思うと、もう次の瞬間、手に電話の受話器をもっていた。

そして、もう一方の手でヒョイヒョイと私たちに手招きしながら、

「さっ、お礼の電話をしましょ!

 ちはるもりかも、電話でお礼を言ってちょうだい!」。

、、、ということで、私たちは、お礼の電話を、よくした。

 

あちらこちらからもらったお年玉袋がそろったところで、お金をかぞえると、、、、。

すっ、、、すごい!!

日ごろ、10円玉か50円玉しか縁のない私たちの目の前に、お札がザクザク。

私は、あんまりうれしくて、暇さえあれば、「1、2、3、、、、。」と声をだしながらお金を勘定するのが大好きだった。

ところがっ!!

 

お正月もすぎ、1週間がすぎるころになると、なんとなーく不吉な空気が家に漂う。

そして、それは必ず現実のものとなった。。。

 

、、、そう、ツカツカツカと、よしこの足音が近づいたかと思うと、ふと、私たち姉妹の前でその足は止まる。

そして、よしこは、仁王立ちしたかと思うと、おもむろにこう言うのだった。

「さっ、ちはる、りか。

 お年玉、だしてちょうだい。」。

 

毎年のことではあるけれど、なーんか納得いかない。

さんざん、おばちゃんやおじちゃんにだって、お礼だって言ってきたじゃないか~。

なので一度は必ず私も言った。

「これ、ちはるが持っとく~。

 だって、ちはるがもらったんだも~ん。」。

 

けれど、よしこは少しも迷う(ひるむ)ことなく、

「ダメダメ!!

 子供がこーんな大金、持つものじゃないわ~。

 さっ、ママが預かって、ちゃーんと銀行に持っていくから、早く出してちょうだい。」。

そういうと、よしこは、ササササッと私たちのお年玉袋を回収するのだった。

 

で、その銀行とやらに預けたら最後、そのお金は、二度と私たちの前に姿を現すことはなかった。

う~~~ん・・・・。

今をもって、あのお金がどこへ行ってしまったのか、、、、、真相は闇の中。

(いやいや~ だいたい察しはついておりますがねっ、、、?!)

 

今なら、“こども商品券”という、子供の味方ともいうべき便利なものがあるので(おもちゃとかにかえられる商品券)、これを指定できるのに。

まったく残念な時代でした(笑)

 

P.S.

Kokoroさん、ベルギー特派員のChikaさん、お久しぶりです!!

Kokoroさんのそうちゃんも大きくなったことでしょうね。。。

ベルギー特派員のChikaさん、私の背中には、今ももちろん、貼るカイロがはり付いております(笑)

コメントをどうもありがとうございます!!

 

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あの頃

私と姉は、今考えると、とても小さい頃から留守番をしていた。

私が幼稚園の頃(3歳)には、すでに留守番をしていたし、私が小学校1~2年生の頃からは、母・よしこが(弟の結婚式などの行事を理由 に)一人で東京に帰省することもあった。

その時なんて、1週間近くよしこは不在。。。

 

で、時おり、とても疑問に思うのは、あの頃(よしこが不在だった約1週間の間)、私と姉は、いったい何を食べて生きていたのか?、と いうこと。

あの1週間は、なんか特別。

不思議だらけの空白の1週間。

 

父は、いつも忙しく帰りが遅かった。

確かによしこが帰省した時は、いつもより(少しは)早く帰ってきて、ごはんを私たちに食べさせてくれていた。

、、、が、父は基本的に料理できない人。

なので、できて、ごはんをたいてお味噌汁をつくること。

あと、お魚をグリルで焼くくらい。

でも、何かを炒める、というところまでの技術はもちあわせていなかったような、、、。

 

それに加え、当時、うちに電子レンジがあった記憶もなく、大きな冷凍庫もあったわけでなく(冷蔵庫の上の部分に猫の額ほどの冷凍庫は あった)、遅くまで開いているスーパーも、コンビニなんてもちろんなかった。

外食に行った記憶もなし。

遠い記憶の中で、父が”ぶりの塩焼き”(ちょっと焼きすぎて、カピカピにひからびたぶり。)を焼いてくれて、”じゃがいもと玉ねぎの お味噌汁”(大きな輪切りの玉ねぎだったなあ。)を作ってくれた記憶があるものの、、、、

あとはさっぱり覚えていない。

 

洗濯だって、、、、いつしてたんだろう、父は?

、、、というか、洗濯、していたのだろうか?

 

よしこは、いつも帰省する前、

「ちゃんとカギしめてね。」

とか、

「がんばってお留守番してね。」

とか、

「悪いけど、ママ、行って来ます。」

とか言って申し訳なさそうではあったけれど、なぜかいったん行ってしまえば楽しいばっかだったようで、私たちを心配する代わりに、必 ず滞在日数を延長した。

 

”さあ! あと二日寝たら、やっとママが帰ってくる!!”

と、それだけを楽しみに私が指折り数えていると、リリーン リリリリーン。

必ず、東京にいるよしこから電話がかかってくる。

私は、一瞬、もしやまた、まさか、、、と思う。

すると、予感的中!!

”せっかくだから、あと2~3日(滞在を)のばしていいかしら~??”

という父へのお伺いの電話。

父はあっさりと、いいよ、と言うので、結局は、トータル1週間くらい、いつもよしこは帰ってこないことに。

 

1週間、小さい子供を、ほぼ家事ができず、帰りも遅い父だけにまかせるのは、今考えてもなかなか無茶したもんだ。

(”今は、昔と比べて物騒な時代になってしまった”感が世間にはあるけれど、あの当時だって、事件がなかったわけじゃない。

学校の放課後保育なんていうものもないし、携帯電話もないし、安全面ではむしろ今の方がずっと充実している気が私はするのだけれど。 。。)

でも、よしこは、あっさりと悪びれずに言う。

”だって、だーれも頼る人がいなかったんですもの。

しょうがなかったのよー。”。

 

でも、これ、逆に、だれも頼る人がいない時代(環境)でよかったのかもしれせん。

今だったら、学校の放課後保育はあるは、お金を払えばだれかヘルパーさんに(いくらでも)手伝ってもらえるは、家のまん前にコンビニ はあるは、、、。

よしこは、羽目をはずして、どんなことになったかわかりません。

 

何を食べていたのかはさっぱり思い出せませんが、いつも大嫌いだったピアノの練習をさぼりまくり、

テレビにかじりついて、どんだけ自由に見放題見ていたか、、、。

当時、いつもテレビはよしこから厳しく規制され、時間もちょっとしか見せてもらえなかった私と姉。

(”アタックナンバー1”なんて、大好き~!!

なのに、再放送を見ることを、よしこは決して許さない。

「一回見たものをどうして何回も見るの?

バカバカしい!!」。

 

”いなかっぺ大将”だって、

「なんて下品なの!?」

という、よしこの独断と偏見で、これまたバチッとテレビを消されていた。)

 

なので、よしこ不在の時は、今だ、この時!!、とばかりに自由気まま。

日ごろ見ることができないテレビ番組を姉と一緒に見まくっていたことだけは、よーく覚えています。。。

 

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私の”ALWAYS 三丁目の夕日”~その5(完)

前回ブログのつづき

                           

いとこの家で長く過ごして、”さあ 今日、福岡へ帰る”という日は、おじいちゃん、おばあちゃんはじめ、家族みんなが、私と姉とよしこ(母)を東京駅まで送ってくれた。

そして、新幹線が間もなく出発するというギリギリまで、いとこは、新幹線の私たちの座席のところにいる。

で、いとこが、私と姉に、すがるようにして言う。

「ねえ、りかちゃん(姉のこと)とちはるちゃん、、、。

今度 いつ来る?」

「ねえ、また遊びに来てよねぇ!」

そして、最後は涙声になりながら、

「今度来たらさあ、、、。

絶対に絶対に おもちゃ、かしてあげるからさあ!!

だから、また来てよね!!」。

 

私は、もうすぐ出発する新幹線の中で、いとこの、この言葉を聞くたびに、、、

毎年のことながら、胸の奥が キュッと痛んだ。

、、、というのも。。。

 

長期滞在中、”私たち姉妹””いとこ兄妹”の関係は、いつも微妙に変化するのが常だった。

前半は、みんな久々の再会で、大盛り上がり。

四人でワイワイ遊ぶことが多い。

中盤は、私といとこ(兄)・私といとこ(妹)。

姉といとこ(兄)・姉といとこ(妹)・・・。

仲良く遊ぶ組み合わせが、グルグル変わる。

そして、後半は、いつも、、、。

兄弟対決(”私たち姉妹”VS”いとこ兄妹”)となる。

 

、、、というのも、だんだんと、互いにすっかり馴れ合うまではいいのだけれど、そのうちに(後半になると)、お互いに、中盤まであった遠慮や新鮮さも、すっかり消えてなくなり、”地のままの自分”というものが、それぞれに出てくる。

(そうなると危険だ!!)

いとこたちが、チラッと、

「あ~ もう、おもちゃ かしてあげない。」

とか、

「このお人形は、私のよ!!」

「私のなんだから ダメ~!!」

とか言い出したら最後、なぜか途端に、私と姉は、一致団結!!

 

”ほ~ほ~ほ~

 また、それかい??

そりゃー 聞き捨てならぬ。。。”

”私たちだってね~、帰りたくなくって帰らないわけじゃないんだよ~。

ここから走って帰ろうったってね~、遠すぎて帰れないんだから 仕方ないんだよ~。”

くらいの悪態を(私と姉が)つくので、事態は、急激に悪化。

福岡の家では、犬猿の仲で、四六時中ケンカばかりしている私と姉が、しっかと、ここぞとばかりにタグを組む。

だから、たいてい毎年、福岡へ帰る前日は、なんとな~く険悪な雰囲気になったりしたものだ。

そこにきて、新幹線の中のいとこの言葉。。。

 

私の胸の中で、いとこと、最後までは完璧に仲良しでいられなかった後悔にも似た思いと、

本当は、いとこの家に、まだまだずーっといたい(帰りたくない)という思いと、

大好きなおじいちゃんとおばあちゃんとお別れしなくちゃいけない寂しさとが、一気に複雑にからみ合った。

だから私は、いとこの言葉にただただ、コクリコクリとうなずき、

「また来るね。」

「また来るね。」

というのが精一杯だった。。。

 

あの頃の思い出は、私の中でも、とっても濃い思い出・・・。

大好きだった。

まるで、”ALWAYS三丁目の夕日”に、ポッとでてきそうな、あの家が。。。

 

おしまい

 

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私の”ALWAYS 三丁目の夕日”~その4

前回ブログのつづき

                  

いとこは、私と同じ歳の男の子と3歳年下の女の子。

私と姉といとこは、歳が近かったので、本当によく遊んだ。

なにせ、こっちは遠方から遊びに行くため、いとこの家にいったん行けば、いつも長期滞在。

よって、滞在中、私と姉は、いとこたちの行く所行く所、どこへでも一緒に着いて行った。

近所の遊び友達の家へ行く時も、もちろん。。。

 

で、ある日、みんなで一緒に遊んでいると、私と姉がしゃべるのを、みんなが、ケッケッケッケッ笑う。

「え~っ?!

今、なんて言ったの~?

もう一回言って~!!」

とか言いながら。。。

、、、どうやら、みんなは、聞き慣れない私と姉の”博多弁”が妙におかしかったらしい。

「だけんさー(訳:だからさー)」とか「○○するったい(訳:○○するの)」とか・・・。)

 

最初は、私と姉も、博多弁を紹介しながら、いつものしゃべり口調でしゃべっていたけれど、、、。

もう、次の日からは、ガラリと一変。

私と姉、すっかり標準語で話すようになっていた。

まあ、理由は、いくつかあったと思うけれど、からかわれるのがイヤだった、、、

のではなく、単に、面倒くさかったから。

 

なにしろ、私たちがしゃべるたびにみんなが笑い、もう一度言わされたり、意味を説明したりしなければいけないので、一向に遊びが前に進まない。

盛り上がらない。

これではたまらん(博多弁)、、、ということで、私と姉は、急きょ、標準語へモード切替。

 

実は、私と姉は、小さい頃から、家の外に一歩出たら、博多弁でベラベラしゃべっていたけれど、家の中では、標準語をしゃべっていた。

、、、というのも、よしこ(母)は、生まれも育ちも東京。

だからなのかどうなのか、よくわからないけれど、よしこは、私と姉が、家で博多弁でしゃべることを非常に嫌っていた。

(よしこには、博多弁が馴染まなかった模様。)

なので、私と姉は、「いってきま~す!!」と言って、玄関を一歩外に出たとたん、

「今日、雨 ふるかいな~? 

傘、もっていかないかんよね~。」。

でも、「ただいま~!!」と言って、家に一歩入ったとたん、

「今日は、雨 降らなかったね。

傘、もって行かなくてもよかったね~。」

、、、と、無意識のうちに、こんな風に切り替えて(よしこ好みの)しゃべりをするようになっていた。

なので、別に、いとこや近所の友達としゃべる時に、標準語でしゃべることになっても、なんの不便もなかった。

 

ただ、、、。

驚いたのは、その近所の友達たち。

昨日まで、バリバリの博多弁でしゃべっていた私と姉が、今日は、スラスラスラと標準語をしゃべるのをみて、目を白黒させて、かなり驚いていたっけ。。。

 

ただ、”郷に入れば郷にしたがえ”ではないけれど、その土地の習慣とか、ルール、、、そして、特に言葉は、ちゃんと相手に合わせたほうが、なんかスムーズにうまくいく、、、というのは、子供ながらに感じていたと思う。

おかげで、毎年、いとこの家に行くたびに、近所の子供たちとも仲良し。

たくさん遊んで、いつもにぎやかで楽しい毎日だった。

 

ちなみに、福岡に帰る頃には、いとこたちの言う

「だからさ~あ~(語尾あがり)」とか、

「○○じゃん。」

とかいう言葉もすっかり身につき、私と姉は、田舎のにおいもすっかり消え、何となく あか抜けていた(?)。

すっかり”なんちゃって東京人”になりすましていた私たち。

けれど、もちろん、福岡に帰れば、またその瞬間から、友達同士では、バリバリの博多弁。

その辺が、自分でも、”なーんか おかしい。。。”と思っていた。。。

 

次回へつづく

 

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私の”ALWAYS 三丁目の夕日”~その3

前回ブログのつづき

                        

いとこの家のように,「こんにちは~。」という声がしたかと思うと、次の瞬間、勝手に靴をぬいで茶の間にあがりこんでいる、、、

こんな光景が、私には、とても新鮮だった。

そして、やってくる人、やってくる人、これといった用事もなく、ただプラ~ッと遊びに来るところが面白かった。

(私の家では、そういうことがなかった。

大人は、約束した時間に来るか、なにかしらの用事があって来るかのどちらかだった。)

 

この日やってきた おばあちゃんのお姉さん(京唄子さん風)も、特段何の用があるわけではなく、フラリとやってきたのだった。

私が風邪で、東京タワーのろう人形館へ行けなかったことを知ると、お姉さんは、おでこにクシャクシャとシワを寄せ、本当に残念そうな顔をしながら、

「あらまあ~~。

そりゃ~ 残念だったねえ、ちはるちゃん!!

まっ、ゆっくり寝ときなよ!」

と、威勢のいい声で言った。

 

その日、私が掘りごたつで寝ていると、おばあちゃんとそのお姉さんとおじいちゃんのしゃべり声がにぎやかに聞えてくる。

テーブルには、おじいちゃんが漬けた、きゅうりのぬか漬け。

それを楊枝でさして食べながら、時おり緑茶をすする。

みんなで歌番組をみていた。

(次第に、寝ている気がしなくなり、横になったまま、一緒にテレビをちらちらと見る私。)

 

、、、、と、そのお姉さん、突然のけぞり、顔を思いっきりゆがめ、テレビをにらみつけながら言った。

「うわっ やだやだ!!

森昌子だ!!

私、この人、大っきらい!!

う~ん、も~ きらい!!

歌ってるの、みるのもイヤだよ~。」。

 

すると、まわりで、やれ”私も好きじゃない”だの,”そうかしらね~?!”とかいう声が次々とあがる。

そうこうするうちに、今度は、おばあちゃんの方が、ギュッと顔をしかめる。

(テレビで歌を唄っている画面をみながら)

「あっ 桜田淳子!!

私は、こっちのがイヤだね~。」。

   

そうこうするうちに、老眼をかけて新聞を読んでいたおじいちゃんが、

「な~に言ってんだよ。

よく言うよ、まったく。

会ったこともないのに、イヤだイヤだ~、って。

テレビでみてるだけなんだから、どんな人だか、わかるはずないっての!!。」

 、、、と、こんな感じで、私の頭上で、会話は延々とつづいていく。。。

 

私は熱で、頭がポーっとなりながらも、おばあちゃんたちのベチャベチャベチャベチャしゃべる会話を聞くともなく聞いていた。

そんな、たわいのない会話と、

ポリっポリっポリっというお漬物を食べる音、

時おり、ズズズズズズっと、お茶をすする音を聞いていると、なぜか、とても心が落ち着いた。

そして、お布団で一人、静かに寝ているよりも、こっちの方が、ずっと早く風邪が治りそうな気がした。。。

 

次回へつづく

 

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私の”ALWAYS 三丁目の夕日”~その2

前回ブログのつづき

         

ある日、叔父が言った。

「明日は、東京タワーに行こう!

みんなで、ろう人形、見に行こう~!!」。

なんでも、いとこたち(私と同じ歳の男の子&3つ年下の女の子)は、その”ろう人形館”とかいう所 に、以前にも行ったことがあるらしい。

「ものすご~く怖いんだよ~!!」

「いろんなろう人形がね~、たーくさん、いるんだよ~!!」

と言って、ブルブルブルっと体を震わせた。

 

”ん、、、東京タワーとろう人形・・・?”

”なんで、、、東京タワーに ろう人形がいるの・・・???”。

私は子供ながらに、それは、”パンと納豆”の組み合わせと同じくらい、なんとも ちぐはぐな感 じがしたものだった。

けれど、そんな怖い人形なんて今まで見たこともなかったので、私は、ドキドキワクワク。

次の日の朝を待ったのだった。。。

 

ところが、次の日、目が覚めると、、、。

なんと風邪をひいたらしく、熱が!!

がっくりだ、、、行けない、、、。

どーして、いつも元気なのに、今日に限って!!

 

私の横には、そんな私のことを、さらさら気にすることもなく、”ろう人形だ! ろう人形!!”と、もう、ろう人形のことっきり頭にない姉・・・。

姉といとこたちは、

「じゃ~ね~!

ちはるちゃ~ん、いってきま~す!!」。

叔父に連れられ意気揚々、(私をおいて)ろう人形館へとでかけて行ったのだった。

 

せっかく東京に来て、せっかくろう人形とやらをみれる、またとないチャンスに、こんなことになって 、、、。

私は、姉たちが出かけた後も、とても静かに寝ている気にはならず、ふて腐れながら、部屋をウロウロ していた。

すると、よしこ(母)が、またいつもの調子で言う。

「ちはる!

すごい熱よ!!

ちゃんとお布団で寝てないと、ちはる、死ぬわよ!!」。

 

なんど聞いても、真顔で よしこから”死ぬわよ!!”といわれるのは、コワイ。

どうかすると、怖~いろう人形をみることよりも、はるかに恐ろしいことだったかもしれない。

けれど、そう言われても尚、お布団にただ寝ている気にもならないので、私は、仕方なく、茶の間の掘 りごたつに足をつっこみ、寝ることにしたのだった。。。

 

私がうつらうつらとしていたころ、お店の方から

「こんにちは~。」

と、元気な声。

近くに住んでいる、おばあちゃんのお姉さんが遊びに来たのだ。

この おばあちゃんのお姉さんは、小柄だけれど、とてもパキパキして、威勢がいい。

(私の中では、京唄子さんのイメージ、そのもの。)

私と姉が東京のいとこの家に行くと、いつも毎回、急いで私たちに会いに来てくれた。

「ようこそ~~、いらっしゃ~~い。

あら~ ちょっと~!

二人とも、こーんなに大きくなっちゃってさ~!!」

と言って・・・。

そして、よくおこづかいをもらった。

 

私は、この おばあちゃんのお姉さんと、おばあちゃん。

そして、おじいちゃんも加わっての会話が 大好きだった。

いつもお互い、言いたいことをズバズバと明け透けに言って、時に、大人気ないケンカ口調になったり 、、、、。

と思ったら、今度は、みんなが一斉に、豪快にガハハハハと笑いこけ、結局は、なんのわだかまりもなくなってし まう。

、、、大好きだった。。。

 

次回につづく

 

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私の”ALWAYS 三丁目の夕日”~その1

昨日、クリスマス会の話にでてきた、いとこの家。

(これは、同時に、母・よしこのお兄さんの家であり、

おじいちゃん・おばあちゃんの暮らす家でもある。)

もう今は、その家はなく、ずいぶん前に建て直しされてしまったけれど、その当時は。。。

 

私の記憶の中で、いとこの住む家・街並みは、まさに、”ALWAYS 三丁目の夕日”そのもの。

あの”鈴木オート”(堤真一と薬師丸ひろ子の住む家)の横に、いとこの家があっても、何の不思議もない。

 

のんびりとした商店街が続く道のならびに、いとこの家は あった。

果物屋さん、八百屋さんがポツリポツリとあり、いとこの家のお向かいは、確か、お寿司屋さんだった。

私のおじいちゃんもまた、お店をしていた。

食料品を中心に、いろんなものが店先に並んでいた。

閉店の際は、木の雨戸みたいのを閉めるので、普段は、八百屋さんみたいな、オープンな感じのお店。

だから、特別、入り口という入り口はない。

(よって、もちろん、出口という出口もない。)

どこからでも入ってこれるような、そんなお店。

 

お店の隅っこには、アイスクリームコーナー。

(あのアイスクリーム専用の、ガラスをスライドして開け閉めする冷凍庫があった。)

その横には、ジュースがびっしり入った大きな冷蔵庫。

お店の中には、、、とりあえず、なんでもあった。

お菓子もあったし、乾物(のりなど)もあったし、缶詰やカップめんやカレールー。

そして、おじいちゃんが裏庭で漬けているお漬物(白菜漬けやぬかずけなど)もあった。

 

お店の奥に、ガラガラガラ~っと開ける木の扉があって、その扉を開けると、いきなり、家族みんなが集まる茶の間がある。

で、「すみませ~ん。」とか、「ごめんくださ~い。」とか、お客さんが言ってはじめて、「はい、いらっしゃい!」と、おじいちゃんは 、ヨイショと立ち上がり、そのガラガラ扉を開けてお店に出て行く。

茶の間には、大きな掘りごたつがあり、冬は、いつも、練炭のにおいが漂っている。

 

私と姉と母・よしこは、よく、いとこの家に遊びに行った。

、、、といっても、いとこの家は東京。

私たちは、福岡。

遠方のため、ちょこちょこ遊びに行く訳にはいかないので、一度行ったら、いつも長期滞在。

冬休みに行くことが多かったっけ。。。

 

小学校の終業式が終わる12月24日。

私と姉が家に帰り、ランドセルを置き、通信簿を仕方なく よしこに見せると、、、さあ出発!!

大荷物をもち、速攻・博多駅へ。

寝台車に乗って、東京へ向かう。

そして、東京のいとこの家で、クリスマスもお正月もすごし、またまた小学校の始業式の前日に、福岡へ帰ってくる、、、というのが常だ った。

(もちろん、父は、福岡で一人、お留守番。

今、考えると、、、。

クリスマスもお正月も一人っきりだなんて、ずいぶん淋しかっただろうなあ、、、と思う。)

 

私の家は、よしこと父と姉と私の四人家族。

一方、いとこの家は、おじいちゃんもおばあちゃんも一緒のにぎやか家族。

よしこの弟たちも近くに住んでいたし、おばあちゃんのお姉さんもまた、歩いて数分の所に住んでいた。

ちょっと歩けば、またまたもう一人、おばあちゃんのお姉さんの、そのまた上のお姉さんが住んでいる家もあった。

”な~んか、、、掘りごたつ、窮屈になったな。。。”

と思って、メンバーを見渡すと、いつのまにかおばあちゃんのお姉さんが仲間入りし ていたり、よしこの弟が遊びに来ていたり、、、。

そんなことは、いつものことで、とても人の出入りが激しい家だった。

そして、なんといっても魅力的だったのは・・・!!

 

木の扉を開けて、一歩お店に踏み入れたら、私たち子供にとっては、(ディズニーランドも顔負けの)夢の世界が広がっていた。

なんたって、アイスクリームもジュースもお菓子も、手をのばせば、いくらだって食べれるのだ。

ありえないっ!!

 

私たちがお店のものをあれやらこれやら持って来てムシャムシャ食べていると、いとこ(私と同じ歳の男の子&3歳年下の女の子)と私た ちは、おじいちゃんに

「きりなく食べるんじゃないの! 

お店にもどしてきなさい!!」

とか、よく言われた。

けれど、いつも、おばあちゃんが、どこからともなくヌッと現れ、

「いいじゃないの~。 

せっかくなんだからさー。

食べな食べな~。」

と必ず言ってくれたので、私たちは、いつも調子 に乗りまくっていた。。。

 

次回につづく

 

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長女(7歳)と次男(5歳)は、同じ病院(個人病院)で生まれた。

どちらも帝王切開。

手術の前には、麻酔をするのだけれど、その麻酔の効き方が、”気持ちのもちかた”で、こうもちがうものなのか、、、とびっくりした。。。

 

長女の時は、麻酔がガッツリ効いて、手術中もそうだけれど、次の日(手術は、前日の夕方。)の朝まで、ほぼ記憶がない。

時おり、サッと目がさめるけれど、ほぼ一瞬。

断片的な記憶はあるものの、自分でしゃべることもできないくらい効いていた。

 

次男の時は、前回のブログ(”日本昔ばなし”)にあったように、”赤ちゃんが小さい”ということで、精密検査まで受けていた。

だから、

”ちゃんと元気にうまれてくるのか。”

”赤ちゃんは、いったい どのくらい小さいのか。”

ということが、とても心配だった。

もちろん、長女の時も、そうちゃんの後の出産だったので、不安もいっぱいあった。

けれど、それは、漠然とした不安。

次男の時は、より具体的な不安だった。

 

で、当日、手術台(これが驚くほど小さい。体を伸ばすこともできないほどの、なぜか、短くて細~い台。)にのった瞬間、私は、手術室の天井を見上げながら強く思った。

「しっかりしていよう。

なにがなんでもしっかりして、赤ちゃんが、いったい何グラムで生まれてくるのか、この目で耳で、ちゃんと確かめよう!」。

 

手術台にのってしまえば、まな板の上の鯉。

ここまでくると、もう、逃げも隠れもできない。

大きな流れにのっかって、あとは、ただお任せするしかない。

だから、気持ちは、なぜかとても落ち着いていた。

 

けれど、”何グラムあるのか”だけは、絶対に聞いておきたい。

長女の時のように、麻酔で頭がもうろうとなってしまっては、何がなんだかさっぱりわからなくなっちゃうので、今回は、”頭だけは、しっかりしておこう”と思ったのだ。

だって、もし、小さく生まれたら、赤ちゃんは、どこか大きな病院に運ばれることになるかもしれない・・・。

それに、もし、ちゃんと元気で体重も(単なる誤差で)しっかりあるのを確認できたら、それだけで安心できる。

どちらにしても、(麻酔に邪魔されることなく)私は、ちゃんと知っておきたかった。

で、実際は。。。

 

次男の時は、(体はもちろん麻酔が効いているけれど)”頭”は、びっくりするほどはっきりしていた。

手術中の先生たちのやりとりも、雰囲気も、ほぼだいたい覚えている。

そして、赤ちゃんが生まれ、

「男の子です。

2560グラムです。」

と言われた時のことも。

それまで、”あって 2000グラム”と言われていたので、長女の時よりもちょっと多い”2560グラム”と聞いた時の、あの言葉の響きは、忘れられない。

安堵感とうれしい気持ちでいっぱい。

飛び上がりたいくらいだった。

 

手術後も、なぜか、覚醒。

夜も、ちょこちょこっとしか眠れなかったっけ。

(そういえば、手術後、一晩だけ、相部屋だったのだけれど・・・。

カーテンでしきられた向こうにいる方のいびきが・・・すごかった。

”グ~・・・ ガガガガガガガ!! 

グ~・・・ ガガガガガガガ!!”

という、今まで聞いたこともないダイナミックな往復いびき。

隣の方は、麻酔が効いているのか、ただ寝ているのかわからないけれど、うらやましいほどに、それはそれは、超・熟睡。)

 

それにしても、(病院も同じだし、私の体重も変わらなかったので、)麻酔は同じなのに、気持ちのもちようで、頭は、あんなにクリアーでいられるものなのか、、、と、次男の時は、とても驚いた。

”気合”とか、”気を強くもつ”とかいうけれど、”気”って、ものすごい影響力があるんだなあ、、、。

ここ一番は、”気”だけなのかもしれません。。。

 

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