人間ドック ~その2
精密検査が終わり、無事、何事もないと確認するまでは、”まさか、そんなことはないだろう。。。”という思いと、”もしかしたら、ひ ょっとするかもしれない。。。”という思いが交差した。
そして、検査の日が近づくにつれ、次第に後者の方が強くなっていった。
けれど、それよりも増して、つのる思い。
それは、”わたしゃ 死ぬわけにはいかない。”という、漠然とした強い思いだった。
私の両親より先に死ぬなんて親不孝は、あってはならないし、
そうちゃん(長男・13歳・知的障害アリ)や長女(6歳)や次男(4歳)を残して、、、と思うと、いたたまれない。
考えただけで、ゾッとする。
そうちゃんは、いずれ、施設にお世話になる日がくるけれど、週末になったら、家に帰ってくるだろう。
きっと、そうちゃんは、家に帰る日を、今日か今日かと楽しみにして待つにちがいない。
だから、私もそうちゃんが家に帰ってくるのを楽しみに待って、そうちゃんの大好きなハンバーグやマグロのお寿司やギョーザや鶏のから 揚げをせっせとつくって、出迎えてあげたい。
そして、何より、自分の力だけでは生きていくことのできないそうちゃんを、どんな形であれ、支えたい。
見守りたい。
長女や次男だって、せめて成人する時までは最低、生きていたい。
どんだけステキな(?)女性になり、どんだけスマートな(?)男性に成長するのか、この目でしっかり確かめなくっちゃいけない。
欲をいえば、孫とだって、遊んでみたい。
そんなこんな思いが私の心の奥底からこみあげてきた。
けれど、ふと、思った。
こんな思いをあきらめなければならなかった人が、確実にいる。
そんな人々は、どんな気持ちで命を終え(自分の人生に区切りをつけ)、残った家族に、どんな思いを馳せたのだろう、、、と。
そうちゃんのお友達のお母さんは、数年前、病気で亡くなった。
お父さんも、お母さんが亡くなる数日前に亡くなった。
そのお友達には、弟さんもいた。
障害のある子供と小さな子供を残して、自分は去っていかなければならなくなった時、いったい何を思ったのだろうか。
私が小学校3年生くらいの時、私より1つか2つ年下のかわいい女の子がいた。
髪はショートで、すこしくせっ毛。
物静かに、はにかみながら微笑む。
私たちは、昼休みになると、みんな思い思いに校庭へ出た。
その頃は、クラスのお友達と遊ぶというよりも、まずは、自分が遊びたい遊具のところへ突進。
その遊具で遊ぼうと集まってきた子たちと一緒に遊んでいた記憶がある。
一時期、”タイヤとび”が私の中でマイブームだった。
そのタイヤとびで一緒に遊んでいたのが、その、くせっ毛の女の子。
最初は、それぞれに、タイヤとびをしたり、タイヤを囲んでおしゃべりしたり、みんなバラバラに遊ぶ。
けれど、ある程度人数がそろったら、誰からともなく、2列にならんだタイヤの後ろに整列。
2グループに分かれて競争した。
その女の子とは、特に会話をかわした記憶はないのだけれど、私がタイヤとびの遊具で遊ぶ時は、いつもそこにいた。
そして、目が合うと、静かに笑ってくれた。
でも、しばらくたった頃、パタリとその女の子は、タイヤとびの遊具に現れなくなった。
そのことに私は気づいていたけれど、特段、気にはしていなかった。
そして、ずいぶん後になってから、
”そういえば、タイヤとびでいっしょにあそんでいた、あのかわいい女の子ね、病気でしんでしまったらしいよ 。”
と、友達から聞いた。
確か、脳腫瘍だったと思う。
それが、私が身近な人の死を感じた最初だったと思う。
この間まで一緒に、タイヤをとんで楽しそうに遊んでいた女の子が、もういない。
この間まで確かに私の目の前に存在していた人が、今はもう存在しない。
なんともいえない不思議さと、寂しさと、空虚な気持ちが、ドッと一度に押し寄せてきたのを覚えている。
あの女の子は、これからどんな未来があるのか、”さあ、これから”という時に、自分の人生を終えなければならなかったのだ。
あの子は、どんな気持ちで自分の人生を生きたのだろう。
もう、忘れたはずのくせっ毛の女の子が、鮮明に思い出された。
次回につづく
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