« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月

そうちゃんの成長~その4・完

前回ブログのつづき

 

こうやってふりかえると、そうちゃんも、長い時をかけて、そうちゃんなりに成長を、時に私の想像を大きく超えるほどの成長をみせてくれるなあ、と、つくづく思う。

 

その昔、まったく歩く兆しも、気配すらなかった頃、

もしかしたら、そうちゃんは、このままずっと歩けないのではないか?

体が大きくなっても、なかなかオムツがとれなかった頃、

もしかしたら、そうちゃん、大人になってもこのままずーっとオムツはいてるんじゃないか?

ひとことだって言葉が出なかった頃、

もしかしたら、そうちゃんが私のことを「ママ」と呼んでくれる日はこの先ずっとこないんじゃないか?

それどころか、私をママだと認識さえできないんじゃないか?

 

あまりにもゆったりした歩みのそうちゃんをみていると、目の前に厚く高い壁がダンと立ちはだかり絶望的な、お先真っ暗な気持ちになったことも数知れず。

できるようになることの方が奇跡に思えたことも数知れず。

けれど、いつの時も、そんな心配をなかったことにしてくれたのは、 もうただひたすら自然にゆだねた長い長い時間とよき出会いだったなあ、と思う。

 

来週は、そうちゃん、学校のマラソン大会がある。

今日の練習では、ゆっくり歩いたり、早歩きしたり、けっこうがんばって速めに走ったりをくり返しながらも、みんなと一緒にちゃんと走りきったらしい。

タイムマシーンにのって、小さいそうちゃんを抱え、リハビリに通っている時の私にそうちゃんがちゃんと自分の足で歩いて走っている姿をみせたら、きっと驚いて卒倒するだろうな。

そして、どんなにうれしいかな。

ブログを書いていたら、当時のことを鮮明に思い出した。

だから、そうちゃんの成長の一つ一つが、またあらためてうれしい。。。

おしまい

 

 <人気ブログランキングに参加しています>

下の“人気ブログランキングへ”というところをクリックしていただくと、ランキングのポイントが上がります。

いつも応援、ありがとうございます!!


人気ブログランキングへ

| | コメント (1)

そうちゃんの成長~その3

前回ブログのつづき

 

そうちゃんは、幼稚園の年長あたりから、いくつか習い事をはじめたけれど、やっていてよかったなあ、と思うのは、音楽と水泳と公文。。。

 

まずは、音楽。

音楽は、小さいころから大好きで、言葉はしゃべれないのに、気に入った曲はなぜかすぐにハミングで口ずさむことができた。

(そうちゃんが生まれて初めてハミングした曲は、なんと、ベートーベンの第九「歓喜の歌」。

年末、よく流れていたので覚えた模様。)

だから、先生のギター片手に一緒に歌う(しかも、歌いだしたら、次から次へとノンストップ!)音楽教室は、底抜けに楽しそうだった。

CDを聴くのも大好き!

なかでも、先生のCDが一番好き。

毎日寝る前に、かならず聴く。

(先生オリジナルの曲を先生が歌う。

そんなCDを何枚もそうちゃんのためにやいてくれた。)

おかげで音楽とは一生、いい友達としてつきあっていけそう。

 

水泳は、こんなに泳げるようなるなんて思いもしなかったけれど、今ではそうちゃん独自にあみだした(世にも不思議な)泳ぎ方で毎回700~800メートル泳ぐのだから、すごいなあ、と感心するばかり。

(その泳ぎがまた、、、ケッサクです<笑>

ま~ったりしていて、いつおぼれるか? いつおぼれるのか?と、思わせるのですが、どっこい、ずーっとそのペースで泳ぎきるところがたまりません。)

プールの先生が、

“人間みんな、お母さんのおなかの中にいた頃は、水にうかんでいたんだから、必ず泳げるようになります。

そうちゃんも泳げるようになるよ~!”

と言ってくれたけれど、気づけば、先生の言うとおり、だれよりもどこまででも泳げるそうちゃんになった。

 

そして、公文。

これは、小学一年の夏過ぎ~6年生までつづけたけれど、公文をならうことができて、本当にラッキーだったなあ、と思う。

健康な子どもは、ありとあらゆる分野で迷うほどたくさんの習い事があって、やってみたいと思えば、どれだっていつからだって始められる。

どこにでもチャンスがある。

けれど、そうちゃんのように重い障害があるとなると、気楽に始められる習い事なんて、ほとんどない。

公文もそう。

重い障害のある子供を受け入れているところは、少なくとも家の近くには一つもない。

けれど、当時そうちゃんの学校のお友達で公文をはじめて、とても楽しそうにかよっている子供がいたので紹介してもらったのが、車で30分ほどかかる公文教室。

 

公文の先生は、

「そうちゃんが将来大きくなって一人で買い物に行っておつりをもらうとき、もしもそのおつりが少ない時は、“少ない!!”とわかるだけの(だまされないだけの)計算ができるようにさせてあげたい!」

と、度々言った。

結果的には、計算はもちろん、数字を書くことも字を書くこともできるようにはならなかった。

けれど、おかげで、そうちゃん、数字は、なんとなく読めるのもあるし、 文字は、“あ・い・う・え・お“などの文字を、それぞれ”形(記号)“として理解しているよう。

たとえば、“あ”という文字。

そうちゃんは”あ“を指さして、「あきら!」「あきら!」 と言うようになった。

(この“あ”という文字は、お友達の名前の”あきら君“の”あ“と同じだ、ということをしきりに言うようになった。)

一歩家の外に出れば、看板や標識など、いたるところに数字や文字があふれている。

それをみて、“あっ、見たことのある馴染みのある形(記号)だ!“と、そうちゃんは思えるのだもの。

どれだけそうちゃんの世界が広がったことか!

 

最後、公文を辞める時、先生は、

“私が思ったようには、そうちゃんに力をつけてあげることができなかった。

本当に申し訳ない。

ごめんね、お母さん。

せっかく遠くからがんばって通ってきてくれたのに、、、。

でも、ずっとここに通ってくれたことに感謝しています。

本当にありがとう。“

と言ってくださった。

 

先生の目標には遠く及ばなかったかもしれないけれど、私にとっては、十分すぎるほど十分だった。

なにより、そうちゃんは公文に通うのが大好きだった。

先生が大好きで、毎回、新鮮に喜んで教室へ向かう。

おかげで連れて行き甲斐があった。

そして、先生は、

そうちゃんが都合のいい時間はいつ?

いつなら来れる?

と、他の習い事と時間が重なって、公文を続けるのは難しいかな? というような時でも、そうちゃんだけのために特別時間をとってくれた。

最後の数年は、土曜日、本当だったら午前中だけしか教室をあけていないのに、午後、そうちゃん一人だけのために時間をとってくれた。

何時でもいいから。

待ってます、と言って。

 

結局通った4年半、数字を先生と一緒にかぞえたり、数字盤や文字盤をしたりと、ほとんど同じメニューだったけれど(笑)、大好きな先生と(先生のひとことひとことになぜか一人でウケて)ゲラゲラ笑いながら勉強(?)している姿をみると、こっちまでなんだかやけに楽しい気持ちにさせてくれた。

なにより、“一定の時間、ずっと座って何かをする。”、という集中力は、ここでずいぶんついたんじゃないかな、と思う。

 

そういえば、そうちゃんの学校(特別支援学校)を卒業した子供のお母さんが言っていたことは、とても印象的だった。

「卒業して社会にでたら、机上の学問なんて、なんの役にも立ちません。

算数の計算をすこしくらいできたって、健常児にはかなわないんです。

上にはいくらでも上がいるんです。

電卓だってあります。

だから、嫌がる子供をおさえつけてまで算数なんてさせることはありません。

それよりも、社会に出たら(そうちゃんたちでいうと、通所施設)まずは、体力。

これがないと、行って帰ってくるだけで、バテテしまいます。

特に最初は、慣れない環境や人間関係がストレスになるし、通所施設が学校の時より(自宅から)遠くなる可能性もあるから、体力がないと、頑張れません。

そして、少しくらい、一定の時間だったら座っていられる集中力。

これがないと、行ったはいいが、一日そこでウロウロするだけに終わってしまいます。

そして、一番大切なのは、コミュニケーション能力。

通所施設の支援員さん(障害のある方をサポート・お世話してくださる人)や仲間たちと楽しくやっていけるか。

嫌がって逃げることなくその場にちゃんととどまっていられるか。

そこに心地よいと思える、自分の居場所をつくれるか。

そして、そこで出される給食やお弁当を美味しく楽しくみんなで食べられるか。

「おはよう。」と、ちゃんと気持ちよく挨拶ができるか。

机にむかって獲得した知識なんてものよりも、実際は、こういうことが生きる力になるんです。

それだけが子供を助けてくれるんです。」

と言っていたっけ。

これは、なにも障害のある子供だけでなく、健康な子どもにも、ズバリ、共通していえることだなあ、と感心。

その通りだなあ、と思う。。。

次回につづく

 

<人気ブログランキングに参加しています>

下の“人気ブログランキングへ”というところをクリックしていただくと、ランキングのポイントが上がります。

いつも応援、ありがとうございます!!


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

そうちゃんの成長~その2

前回ブログのつづき

当時そうちゃんが通院していた大学病院の先生に紹介してもらい行ったのが、療育園。

そこにそうちゃん、ちょうど2歳の誕生日を迎えたころから通った。

障害のある子供こそ、早期療育が大切。

まずは、生活のリズムをつくるためにも、そして、何より、療育園に通うことはそうちゃんに刺激を与えることになり、結果、もっている力を引き出してあげられる、という。

 

その頃、ほぼペーパードライバーだった私は、まだまだ歩けない(立つことさえできない、いやいや、ハイハイもまだ。ようやくずりバイをはじめたくらい・・・。)そうちゃんを抱え、電車とタクシーを乗りついで行く療育園は、かなり大変だった。

駅のホームにはエレベーターもなかったので、そうちゃんがデンと座ったバギーをかかえの階段の上り下り。

フーフーいいながらようやく療育園へ。

ところが・・・。

 

みんなで歌を楽しむ音楽の時間になっても、先生がしてくれるペープサード(人形劇)にも、手遊び歌にも、“ノーサンキュー!”とばかりに、そっぽをむくそうちゃん。

なにしろ、(障害が重いゆえに)まだまだ何に対しても興味がわかない。

その場にとどまっていることさえダメで、私の膝の上ですぐにぐずりだす。

そして、その部屋をだっこしてでるまで泣いていた。

しかたなく部屋をでてしばらくすると、今度は目をシバシバっ。

、、、と思ったら、やれやれとばかりに、スーーーッと、お次は早くもお昼寝の時間。

、、、、というわけで、みんながいろいろと盛り上がり楽しんでいる時間に、そうちゃんは部屋の隅っこのお布団で、いつもお休みタイム。

 

けれど、不思議なことに、“さっ、次は給食の時間です。”となったとたん、そうちゃん、パッと目を覚ます。

療育園の給食は、とてもおいしく、それだけは楽しみだったのか、そうちゃんはいつも、だれよりも早くガツガツ食べ、おかわり!

そして、おかわり!!

またまた、おかわり!!!

その頃のそうちゃん、満腹中枢が未熟で(これはかなり長い間続きました。6~7歳まで続いたでしょうか・・・。)食べても食べても食べても、まだまだ食べたい。

なので、「もう、ごちそうさまよ。」と、おかわりはもうないことを告げると、怒って体を後ろにのけぞらせて、泣いて泣いて、しばらくずっと不機嫌に。

 

早く歩けるようになるために、療育の時間とは別の時間に“リハビリの時間”もあったけれど、これまた、そうちゃん、お気にめさず。

開始早々イヤになるようで、途中で泣き出したり、これまたうまい具合に睡魔が都合よく襲ってきてコックリコックリ。

結局寝てしまうことが多かった。

(リハビリを)無理にはさせられない、という先生の方針だったので、あとはいつも、私と先生のおしゃべりタイム。

刺激をたくさんうけて、そうちゃんの新しい何かが目覚めてグンと変わるのか?

そんな淡い希望をもって通い始めた療育園だったけれど、こんな感じでそうちゃんは自分のペースを変えることはなかった。

 

そのことを母・よしこに話すと、よしこは言った。

「んま~っ バカバカしいわねっ!

せっかく連れて行っても寝ちゃうんじゃ、意味ないわね。

そんな大変な思いして連れて行ってもがっかりね。

ちはる(私のこと)、(療育園行くの)サボっちゃいなさいよ~。」 。

当時、よしこは遠方に住んでいたので、私が疲れて倒れでもしたら、もともこもない。

やっても結果がでないと疲れるだけなんだから、もう行かなくていいわよ、 と、しきりに言っていた。

 

長い道をふりかえれば、やっぱりこの療育園に通ったことは、そうちゃんの底の土台のどこかに残っているに違いない。

けれど、あの時よしこに、

“がんばって毎日通いなさい。

そうちゃんのためだから。

たとえ大変でも、そうちゃんにできることは、なんでもやってあげなさい。”

と言われるよりは、

“そんなの、さぼっちゃったらいいわよ。”

と言われた方が、気が楽だったことは間違いない。

 

けれど、不思議なことに、人間、さぼっちゃえ、と言われると、逆に案外さぼらない(さぼれない)もので、結果的には、私とそうちゃんは、案外マジメに通ったのだった。

(ただ、確かに、そこだけに通う毎日は息がつまりそうだった。

なので、途中、そうちゃんを保育園に預けることを思いついた。

療育園の先生はそのことに大反対。

もし保育園に行ったら、そうちゃんはお客さまとしてしか迎えられない。

だから、ここ(療育園)で、しっかりとそうちゃんに合わせた療育することがそうちゃんのためだ。

そして、どちらにしてもそうちゃんのように重い障害のある子供が保育園に受け入れてもらえたことはこれまでに一度もなかったから、申し込んだとしてもどのみち無理だろう、と予想。

けれど、ラッキーなことに、保育園入園が思いがけず認められ、そうちゃんは、3歳のお誕生日を迎えた時から、療育園にも保育園にも(併行通園)両方に通えることになったのだった。)

 

療育園に通うお母さんたちの中には、子供の療育に熱心な人もいた。

東京には、母子入園して療育をうけられる施設があった。

その施設に、1~2か月の間、親子で寝泊まりする。

(そういう施設は珍しく、全国各地からその療育を受けに来るらしい。)

母子入園したお母さんは、とてもよかったと言っていたし、 せっかく都内にそんな施設があるのだったら行ってみようか、と私も思い、私とパパは、その施設をたずね、見学。

半年以上待つ、と言われたけれど、母子入園の順番を待ってみることに。

そして、申し込んでいたのも忘れたころ、順番が回ってきた、という電話があった。

けれど、結局は、私とそうちゃんは、そこに母子入園することはなかった。

 

ちょうどそのころ、私は、近所の子供にピアノやエレクトーンを教え始めたころだった。

自分の時間をようやく楽しめはじめたころだったし、何より、そばでゆったりととまったかのように、ほんの少しずつしか成長しないそうちゃんをみていると、そうちゃんの療育に自分ががんばりすぎることは、決してそうちゃんのためにならないのではないか、と思えてきた。

期待して、だけど、それがからまわりして思ったような結果が得られないと、勝手に自分がすきでやったことなのに、ガックリして、疲れて。

そうすることがそうちゃんにとってハッピーなことであるとは、到底思えなくなっていた。

そして、その時も、よしこは言った。

「え~っ そうちゃんと一緒に何週間もそこに泊まるの??

そんなの、やめなさいよ~!

ちはるちゃんが疲れちゃうだけよ!!

そんな、何週間か療育したくらいでは、そうちゃんは何も変わらないわよ~。」。

 

もし、見返りを期待しない、やさしくできた人間だったら、荷物をまとめてすぐに行っていたかな。

でも、私はちがう。

やっぱりきっとどこかで、“こんなに一生懸命がんばったのに、なんで・・・。”と思ってしまうにちがいない。

だから、金輪際、“自分の生活のペースを大きく変えるほどがんばる療育“はやめておこう。

特別なことでなく、日々の生活の中でできることをみつけて、その中で精いっぱいのことをやってあげよう、と思うことにした。

そうちゃんが幸せであるには、その前にまず私が幸せでなくっちゃはじまらない。。。

次回につづく

 

P.S.

チョコさん・ビックママさん、コメントありがとうございます!!

チョコさん、まだまだ水泳続けてますよ~。

週に一回、700~800メートルは泳いでいるらしいです。

犬かき風のそうちゃんオリジナルの泳法です。

“ブアーッ“という声とともにクジラのように水しぶきをあげながらの独特な 息継ぎをしながら・・・。

このビックママこそ、、、そうちゃんが放課後お世話になってになっている小学校の時のそうちゃんの元担任の先生です!!

(「そうちゃんの夏」

http://chi-ha-ru.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-b0ca.html

 

<人気ブログランキングに参加しています>

下の“人気ブログランキングへ”というところをクリックしていただくと、ランキングのポイントが上がります。

いつも応援、ありがとうございます!!」


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

そうちゃんの成長~その1

そうちゃん(長男・17歳・知的障害アリ)の学校では、“作業学習”という学習がある。

高等部の1年~3年生の子供たちが縦割りで、木工班・窯芸班・園芸班など、いくつかの班に分かれ、数週間にわたり、一日中それぞれの作業をみんなでする、というもの。

たとえばそうちゃんのいる木工班。

ここでは、木を切ったり、切った木をみがいてなめらかにしたり、その木を組み立てて万能イス(踏み台のようなもの)やしゃもじやバナナハンガーを作ったり、、、という作業。

(そのできあがった作品は、年一回、学校の体育館であるバザーで販売される。)

そうちゃんは、木を切ったり・切った木をみがく、の担当。

この作業学習(作業そのものは、中学部から始まる。)がはじまったころ、私は思った。

「作業ったって、、、、。

いったいそうちゃんに、何ができるのかな?」。

 

で、その予想は、はずれることはなかった。

作業の授業参観(そうちゃんが中学3年くらいの時)に行くと・・・。

そうちゃんは、ちょうどノコギリを前後に動かして木を切っているところだった。

でも、よく見ると、両手でノコギリを動かしているのは(もちろん)先生で、そうちゃんは、先生の手の甲に指を2~3本、のっけているだけ。

それも、ノコギリがせわしなくギコギコと前後に動くので、指をのっけることさえままならず、時々そうちゃんの手が先生の手に触れていることがあるかな?、という程度。

何をやらされているのかもわからず、そうちゃんの目は、明後日の方向をみて、気もそぞろ。

先生から手元をみるよううながされても、うわのそら。

作業どころか、作業のお部屋にいるのが精いっぱいだった、あの頃。

ところが、あれから2年。

 

今は、というと、そうちゃん、誰にも負けないくらいに木工班の戦力となっている、というではありませんか!!

そうちゃん、先生から“さあ、ちょっとひと休みしようか。”といわれるまでノンストップで、木を切りつづけているそう。

もちろん、木をノコギリで切る、といっても、大工さんのように器用にノコギリを操れるハズはなく。

そこで登場するのが、“マイターソー”という器具。

世の中には、誰が考えついたのか、便利な道具があるものだ!

なんでも、木を切る前に、その都度これから切る木をセッティングして固定すると、あとは付属しているノコギリを前後に動かすだけで、思った通りの長さの木を切ることができる、、、、そんなお助けマン。

 

最初はもちろん、先生が隣について、その器具を操作していたらしいのだけれど、今は、ほぼそうちゃん一人でちゃんと器具をつかえるようにまでなり(もちろん、横で先生が監督。)、あとはモクモクと仕事に励んでいるらしい。

しかも、毎日、その作業をするのがとても楽しくてたまらないらしく、その姿は先生も驚くほどらしい。

こんな風に作業ができる日がこようとは、正直、想像もできなかったので、そうちゃんの成長には驚き!

そして、、、感無量。

 

毎日、先生から一日の作業をふりかえっての日誌をもらうのだけれど、

“これがうちにいるそうちゃんと同じそうちゃん??”

と目を疑うほど、頑張っている らしい。

も~ ほめられっぱなし。

(まっ、それもそのはず。

“いいこと“をだけをトピックスとして日誌に書いてもらっているには違いないのだけれど。<笑>)

 

毎朝、

「マイターソー がんばる!」

「エイ エイ オーッ!」

(実際のことばは、とても不明瞭。)

と言ってはりきって家をでるのだけれど、学校に行ってからもヤル気モリモリ。

本当に楽しそうに作業しているらしい。

 

なんだか、あらためて、“教育”ってすばらしいなあ、と思う。

“こんなこと続けても、なにになるかな?

ずっとできるようには、ならないかもしれない。”

と(心底)思っても、そこをなんとか

“いやいや、いつかきっと できるようになる!”。

そう思い直し、ああでもないこうでもないと策をねりながら昨日、今日、明日と続ける。

決して焦らず、でもしっかりと先を見すえて、大切なのはとにかく毎日続けていくこと。

これが教育なんだなあ、と、しみじみ。

なにより、そうちゃんにも通える学校があって、本当によかったなあ、と思う。

その延長線で、こんなそうちゃんの成長をみることができるなんて!

 

けれど、こんなそうちゃんの成長をみるには、気が遠くなるのどの時間がかかったなあ。

その長い道をたどっていくと、そうちゃんが2歳になる頃から通い始めた療育園(障害のある子供たちが通う幼稚園のようなもの。)に始まる。

その頃のそうちゃん?

ん~、、、ひどいものでした(笑)。。。

次回につづく

 

P.S.

せいさん・ますこさん、こんにちは。

応援してくれる人は、そうちゃんのような子供はとても敏感に感じます!

そういうセンサーは、とても鋭いです。

 

<人気ブログランキングに参加しています>

下の“人気ブログランキングへ”というころをクリックしていただくと、ランキングのポイントが上がります。

いつも応援、ありがとうございます!!
人気ブログランキングへ

| | コメント (1)

次男のやきもち

次男(8歳)、ちょっと怒られては、

「どーせ、ママ、はっくん(次男のこと)のこと、好きじゃないんでしょ?」

と、すねるタイプ。

なので、この間、そんな次男を手招きし呼び寄せ、そっと耳元でコソコソ話をする。

「はっくんのこと、大すきよ。

好きにきまってるじゃな~い。

これさあ、絶対みんなに秘密よ!

あのね~、ママ、はっくんが三人の子供の中で一番かわいい!

だってさー、なんたって、はっくんは末っ子でしょ?

ママの最後の子供なんだも~ん。」。

 

、、、が、しかし、そんな舞台セリフのような言葉には次男、まったくなびかず。

「そんなの、ママ、うそだもん。

だってさ~、ママさ~、なっちゃん(長女・10歳)には、

なっちゃんがやっぱり一番かわいい!

だって、なっちゃんは、たった一人の女の子なんだも~ん。

っていうしさー。

そうちゃん(長男・17歳・知的障害アリ)には、

やーっぱ、そうちゃんが一番だわっ!

そうちゃんのかわいさは、特別なんだよね~~っ!!

って、言ってるじゃん。

だから、はっくん、ママがはっくんのこと一番かわいい、って言っても信じないからね!

ふん!」

と言う。

(、、、が、口をとがらせそう言いつつも、まんざらでもない、という表情の次男。)

 

確かに。

そういわれてみれば、そのまんま。

そんなこと、言ってるな、私(笑)。

三人子供を育てていると、ふと、畑は違えど、クラブのママ(飲み屋さん)の気持ちがよーくわかる。

“あなたが一番”と言った時の子供の顔。

イヤな気持ちがするハズもなく、一瞬パッと顔が華やぐ。

その顔がみたい!

、、、でもって、なんだかんだいっても、それが一番シンプルで、円滑に事がまわっていく術だったりもする。

 

まっ、それは、子供に

「ママ、きれい~。」

と言われ、続いて、

「ママ、若い~。

ママ、25歳くらいにみえる~。」

と、言われた時と同じ感情かも!

なんの魂胆があるのか(?)、思わずズッコケるほどのリップサービス。

そんなのしらじらしいウソだとわかっていながらも、そう言われちゃあ、決して悪い気はしない、という。。。

 

そうちゃんと長女は、クラブのママのような言葉を素直に喜んだり、サラリと流したりするけれど、次男は特別にその中でも”一番“にこだわる。

いつも自分をジーーーっと、みていてほしい。

やきもちやきの次男です。。。

 

<人気ブログランキングに参加してます>

下の“人気ブログランキングへ”というところをクリックしていただくと、ランキングのポイントが上がります。

いつも応援、ありがとうございます!!

P。S.

はやままさん・ゆうままさん・たかのさん、コメントありがとうございます!!

本当にステキな“おいちゃん”でした。。。


人気ブログランキングへ

| | コメント (0)

あれから一年

季節がひと回りして、あれから一年。。。

 

その人は、背が高くスラリとしていて、ダンディ。

髪に少しの白髪がまじっていた。

いつも爽やかでニコニコっ。

自分のことを“おいちゃん”(北九州弁?で、“おじちゃん”を意味する。)と言う。

 

おいちゃんがジョギング前の準備体操をしている時。

そしてまた、セルリアンブルーの、おいちゃんの車を磨いている時。

私たち(私と子供)は、なぜかマンションの駐車場でおいちゃんに会うことが多かった。

私が車をとめて降りると、必ず、そのおいちゃんは、準備体操を中断して、車をゴシゴシしている手をピタリとやすめて、こちらにやって来た。

そして、

「おかえりなさい!

おつかれさん。」。

「たいへんね。」

(またこの“たいへんね。”がサラリとしていて、爽やかったらない。)

 

そう言うのが早いか、そうちゃん(長男・17歳・知的障害アリ)が早いか、そうちゃんは、グフフフと笑いこけながら、おいちゃんのもとに駆け寄る。

すると、おいちゃんは、片手でそうちゃんと握手。

もう一方の手は、そうちゃんの肩にまわしガッシリと肩を組み、最後はギュッとハグ。

そして、そうちゃんに、

「こんばんは!

がんばってるね~!」。

そうちゃんと会うと元気がもらえる、と言っては、

「ありがとう~。

ありがとね!」。

と、ハグ。

 

そうちゃんがタッタッタッ、と、舌をならすと、おいちゃんも必ず、タッタッタッ。

(そうちゃんは、うまくおしゃべりができないので、こういうやり方でスキンシップをとる。)

おいちゃんと別れてエレベーターに乗り、上の廊下からそうちゃんがタッタッタッ、と舌をならすと、吹き抜けの下の駐車場には、おいちゃんが立っていて、上を見上げながらいつまででも、タッタッタッ。

そうちゃんは、そんなおいちゃんが大好き。

だから、部屋から外をのぞいては、おいちゃんが会社から帰ってきた時、ジョギングから帰ってきた時をみのがさず、おいちゃんの姿をみつけると、キヤッキャッ笑いながら、うれしくて飛び跳ねながら、手を振っていた。

 

そしてまた、私たち一行が帰ってくると、マンションの裏口の扉をサッと開け、エスコートしてくれたおいちゃん。

そして、おいちゃんは、時おり言った。

「おいちゃんも、子供がほしかった~!」

「子供が三人もいて、いいね~!

にぎやかだね~!

うらやましい!」。

(おいちゃんは、女優さんのように美しい奥さまと二人暮らしだった。)

 

そうちゃんがおいちゃんのことを大好きで大好きで仕方ないので、私がおいちゃんにそうちゃんの気持ちを代弁してあげたところ、おいちゃんはニコリと笑いながら、

「そうなのよ~。

おいちゃんね、そうちゃんみたいな子供に人気なのよ~。

ふしぎと。

これ、昔から。

おいちゃんが子供の頃から、むこうからやってくるのよ~。

慕われちゃってー。」

と笑った。

それは本当で、おいちゃんがそうちゃんを手招きしておいでおいでしているのではなく、そうちゃんがおいちゃんに吸い寄せられるように向かっている感じ、なのだ。

おいちゃんの前には、“そうちゃんは障害があるから。”という特別な垣根が存在しないことを、そうちゃんは一番よく知っていたからかな?

 

そんなおいちゃんが、一年前、突然救急車で運ばれていった。

偶然その姿をみて、“はやく元気になりますように。。。”と祈ったけれど、おいちゃんはそのまま、帰らぬ人となってしまった。

そうちゃんは、おいちゃんがもうここにはいなくなってしまったことを私たちのように頭で理解することはできない。

けれど、そうちゃんは、おいちゃんがもうここにはいないことを、すでに知っている。

あのセルリアンブルーの車が駐車場から消えた瞬間から、そうちゃん特有の動物的なカンで、おいちゃんがもういなくなってしまったことを体いっぱい理解している気がする。

だから、以来、ひとこともおいちゃんのことを言わないし、おいちゃんの姿をもとめて窓をながめたりしない。

 

そうちゃんの大切な人が亡くなって一年。

あらためて、本当に悲しい。。。

 

<人気ブログランキングに参加しています>

下の“人気ブログランキングへ”というところをクリックしていただくと、ランキングのポイントが上がります。

いつも応援、ありがとうございます!!


人気ブログランキングへ

| | コメント (5)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »