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白いもの

真っ黒い中に光る、白いもの。

そう、、、白髪。。。

 

そうちゃん(長男・16歳・知的障害アリ)が通っている学校(特別支援学校)へお迎えに行くと、ときおり、そうちゃんと同じ年くらいの子供や、ずっとずっと年下の小学部の子供の頭に、白髪がちらほら。

なかには、遠目からでも、白髪が目立つほどたくさんあるお友達がいる。

白髪というと、

“なんだか年とったなあー。”

“もうそんな年になっちゃったんだね~。”

なんて、ちょっと寂しい、感慨深いイメージがある。

けれど、そうちゃんのお友達の白髪は、寂しい、とか、感慨深い、とかいう感情とはちがう。

 

私は、そうちゃんと同じく障害をかかえて生きているお友達の白髪をみると、胸がギュッとなる。

障害という不自由(自分の気持ちを言葉にあらわせない不自由、

物事の一つ一つ、日常のなんでもないことの一つ一つを理解することができない不自由、

まわりのペースにあわせて生活することにとてもストレスを感じてしまう不自由)

をかかえて生きることが、どれだけ大変なことなのか。

それを白髪という形でもって、必死に訴えているように感じる。

キラリと光る白い髪が、

「もっと わかってよ。」

と言っているように感じる。

 

そしてまた、どうにかしてわかってあげたい側の私もまた、

どうして、日常の何でもないことに、いちいちこんなに不安になり取り乱すのか?

何回も何回も経験を重ねてもなお、ちっとも慣れないのはどうしてなのか?

何ゆえに、これほどまでに、“変化”(それがたとえ小さな変化でさえも)というものにことごとく弱く、順応できないのか?

さらには、じゃあ、いったいどうすれば、私は、子供たちの気持ちにもう一歩近づき、理解できるようになるのか?

そこのところが、どうにもわからず、困惑してしまう。

 

この間、心をつかみかけ、子供の気持ちをなんだかわかったような気がする。

距離が縮まった感触を得た気持ちになって喜んでみても、次の瞬間、その距離は一瞬にしてグーーーンと離される。

その繰り返しのような気がする。

なにが原因なんだろう、

どうしたら、心おだやかにすごせるようになるだろう、

と考え、策を練り、あの手この手で策を変え、いろんなアプローチで挑んででさえ、一向に距離は縮まらず、ということも多い。

 

だから、

そうか、、、、。

そもそも、自分の気持ちでさえ、つかめないことも多いのだから、人間がほかの人間の気持ちをその人の立場になって理解することは、とてもとても難しいことなんだよね、ということに、あらためていつも立ち返る。

それでも、子供たちの頭に光る白いものを目にすると、いつもいつもドキリとする。

そして、その白いものはいつでも私に強いメッセージを放ってくれる。。。。

 

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