« 翼をください~その3 | トップページ | 翼をください~その5・完 »

翼をください~その4

前回ブログのつづき

 

そして、もう一つ、今だから感じることがある。

それは、もし、”悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行けた”として、本当にそれが必ず幸せと直結することになるだろうか、、、とい う疑問。

なぜ、そう思うかというと、今の私の幸せが、”幸せ”の上に成り立っているものではないからだと思う。。。

 

そうちゃんが障害をもって生まれたことは、私にとっては間違いなく”不幸せ”なことだった。

私の人生の中で、悲しくてやりきれなくて、あれ程までに希望がないと感じたことはなかった。

これから前途洋洋、自分の人生を自分の足で力強く歩いていけるはずの、希望に満ち満ちているはずの赤ちゃんが、生まれて早々、あらゆ る可能性を否定されるのだ。

絶望的な気持ちだった。

人生の軸でいうと、あそこが間違いなく、私の”底”だった。

 

、、、とするならば、今の私の幸せは、あの混沌とした底(不幸せ)の上に、積み上げられていることになる。

そして、不思議なことに、その不幸せがあるからこそ、一つの幸せが2倍にも3倍にも大きくなって重なっている感覚が、とても強い。

そういう意味では、”不幸せ”から派生したものは、不幸せではなく、意外なことに”幸せ”だった。

自分の底にある”不幸せ”があるからこそ、”幸せ”をより新鮮に豊かに感じることができる気がする。

小さな一つの幸せを最大限に感じることができるようになった。

 

そして、悲しみのない自由な空は、本当に自由なのだろうか。

確かに、そんな夢のネバーランドのような空間が永遠につづくなら、それは最高にステキなことだと思う。

ただ、それは、現実から逃避することなく、たまたま行き着いた場所が”悲しみのない自由な空”だった時に限り、思う存分、そのステキ を味わえるのだと思う。

けれど、たとえ、そうであったとしてさえ、もしかすると、何もなさすぎて退屈で、2日もしないうちに飽き飽きして、自由であることす らすっかり忘れてしまうかもしれない。

究極、不自由だからこそ、”自由”を強く感じ、”自由”を謳歌できるのなのかもしれない。

いつも自由だったら、自由と不自由の”境目”がわからない。

 

障害のあるそうちゃんを育てるには、特に時間において制約される。

だから、”私の時間”は、そのぶん縮小されてしまう。

けれど、そんな中にある私の自由時間は、”本当に自由だ!!””なーんて自由なんだ!!”と感じる時間。

そうちゃんにもだれにも強制されない自由な時。

至極の幸せ。

それは、いろんなことを調整してやっと手に入れた”大切につむぎだした時間”だからかもしれない。

何してすごすか考えるだけでも楽しい。

働いて働いて、ずっと働き続けた後に、ようやく得た休暇と似ているかも。

のどが渇いて渇いて、やっと飲めるコーラとも似ている。

だから、”幸せのベースにあるものは、実は、不幸せであって、幸せは、その不幸せの上に成立している”と、私は思う。。。

 

次回につづく

 

<人気ブログランキングに参加しています>

下の”人気ブログランキングへ”というとこをクリックしていただくと、ポイントアップです。

いつもありがとうございます!!

  人気ブログランキングへ                

|

« 翼をください~その3 | トップページ | 翼をください~その5・完 »

そうちゃん」カテゴリの記事