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2010年2月

習慣

そういえば、かつて、私は、ペーパー(ドライバー)だった。

学生の時に車の免許はとったものの、気がつけば、立派なペーパー(ペーパーなのに、しっかりゴールドカードだった)になっていた。

が、そうちゃん(長男・13歳・知的障害アリ)が障害をもって生まれ、歩くのも遅かったため(最初に一歩を踏み出したのは、3歳8ヶ月の 頃。

それからも、ずいぶんと長い間、そうちゃんは、バギーに乗っていた。)必要にせまられ、思いきって運転するようになり、、、。

今では、生活に欠かすことができない車。

車があるから、毎日不自由を感じることなく生活できる。

そうちゃんの学校へも病院へもどこにでも、そうちゃんを連れての時は、いつも車。

だから、私は、さながら、”そうちゃんの専属お抱えドライバー”といったところ。

で、この専属ドライバーになったおかげで、知らぬ間に、私に身についてしまったことが。。。

 

あるママ友が私の車に乗った時のこと。

その友達、いつもの私と、まるで”動きが違うこと”にまず驚いた。

普段の私は、お世辞にもよく気がつくほうではなく、まったりしている。

なのに、人を車に乗せる時に限っては、相当に”てきぱき”しているらしい。

(それが、まるで別人のようらしい。)

 

まずは、友達を乗せる時は、サッと友達の前を急いで歩き、ドアをゆっくり開ける。

そして、友達がちゃんとシートに座ったのを確認するとパタンと私がドアをゆっくり閉める。

乗る時だけではない。

友達が降りる時も一緒。

運転席にいる私がササササッと降りて、助手席にまわり、ドアを開ける。

友達が降りたのを確認すると、ドアをまたパタンと私が閉める。

(この動きは、もう習慣になった。

なぜって、そうちゃんは、いつも助手席に座る。

今乗っている車には、助手席にチャイルドロック<内側からドアを開けられないようにロックする機能>がないけれど、今までの車にはチ ャイルドロックがあったので、長い間、ずーっとチャイルドロックしていた。

だから、そうちゃんが降りる時は、いつも私が外側からドアを開けることになっていたのだ。)

 

で、この間、友達に驚かれたことがある。

目をパチクリさせながら、

「あ~ ビックリした!! 

も~っ、何されるかと思ったー!!

あ~っ、私、ちはるちゃん(私のこと)に襲われるかと思った!!」

と、思わず叫んだ友達。

どうしてかというと、、、。

 

私は、いつも、そうちゃんが助手席に座ると、自分ではシートベルトをカチャッとできないそうちゃんのために、シートベルトをしてあげる。

だから、その友達が乗ったときも、いつものように、無意識に、上半身をくねらせ、友達の顔にグーっと近づき、、、。

そして、助手席のシートベルトにヌーっと手を伸ばし、シートベルトをグッと引っ張ってカチンとしたのだった。

その一連の動作に、友達が驚いたのだ。

確かに、、、。

ハイヤーじゃあるまいし、ふつうは、そんなのありえない。

専属ドライバーならではのことであります。

習慣っていうのは、おもしろい。。。

 

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食卓にて

そうちゃん(長男・13歳・知的障害アリ)は、言葉をはっきりとはしゃべれることができず、自分の思いを表現することが難しいため、表面的にみた感じでは、一言でいえば、”障害が重い”感じ。

けれど、実のところは、そうちゃん、人の表情やその場の空気、雰囲気、そしてこれから起こることに対しての直感・予感のようなものは、ものすごーく長けている。

そのため、総合的にみると、私たちが思っているよりも、ずっと物事をよくわかっている、、、と思う。

対して、近頃の長女(6歳)と次男(4歳)は、”そんな言葉、どこで覚えたの??”というくらい、いろんな言葉をつかい、ゆたかに表現する。

ただし、どこらへんまで理解しているのかは、ちょっと未知数なところあり。

もちろん、私だって、この三人に比べると、”単に歳を重ねた人間”というだけだし、元来、かなりのすっとぼけで、相当にぬけているタイプなので、完全からはほど遠い。

厳密に言うと、私を含め、完全ではない4人で、夕食の時など、ベチャベチャとおしゃべりしながらごはんを食べるのが、最近、とても楽しい。

(パパは、帰りが遅いため、平日は、いつも4人での夕食。)

 

この間、長女が、

「そうちゃんはさあ、大人になったら、一人で暮らすの?」

と、ハンバーグをほおばって、口をムシャムシャ動かしながら、私に聞く。

(ちょっと、近所のおばちゃん風に。)

私は、即座に、

「そうちゃん?!

一人暮らし?

それは、ムリでしょ~。」。

そして、

「そうちゃんはね、トイレだって、お風呂だって、着替えだって、だれかのお世話にならないとできないでしょ、、、。

だから、大人になったら、ケアホームに行くと思うよ。

そこで、いろいろとお世話をしてもらいながら暮らしていくことになると思う。」。

「ママが死んだ後も、そうちゃんが、安心して楽しみながら生きていけるように、ママがしっかり、いいケアホームをさがさなくっちゃね。」。

 

そう言うと、次男が突然、ちょっと神妙な顔になった。

そして、

「ママが死んだらしゃー(さー)、そうちゃんは、はっくん(次男のこと)がまもるから!」

と即座に言った。

非常に驚いた。

私の方がキョトンとして、

「はっ、、、、はっくん、、、。

はっくん、そんなこと言ってくれるの~?

どうして、そんなこと言ってくれるの?」

と聞くと、次男は、そうちゃんをまっすぐに見て、

「そうちゃん、かわいいから。」。

 

長女は、私たちの会話を聞きながら、今度は、口に入っているごはんをすっとばしながら、

「なっちゃん(長女のこと)は、ママが死ぬ時、わたしもいっしょに死ぬ!!」

と、ものすごい勢いで言う。

私が、

「いっしょはムリでしょ~。

なっちゃんのがずっと歳が若いんだから、なっちゃんの方がずっと長生きするもん。

そりゃー、ママが先に死ぬでしょ。」

と言うと、長女は、ムキになって、

「い~や!

ぜったいに、いっしょにしぬ~!!」

と言う。

”一緒に生きたい”と言ってくれる人はいても、”一緒に死にたい”と言ってくれた人は、初めてだったので、これまた非常に驚いた。

私も、自分で作ったハンバーグを自ら、”おいしい! おいしい!”と自画自賛して、ハンバーグをモグモグしながら、

「う~ん、わかったー。

でも、いっしょに死ぬって、むずかしいよ、、、。

そーねえ。

いっしょに旅行にバンバン行って、いっぱい飛行機にのって、、、。

運よく飛行機が墜落してくれたら、それもアリかもね。」

と言っておいた。

 

食事の間中、そうちゃんといえば、

「あした、あめ?(訳:明日は雨降り?)」

「あした、あめ?」

と、ずーっと、何十回でも私に質問。

(そうちゃん、雨が苦手。

どうも、”雨がふると、予定が変更したりする” ”いつもと違う流れになる”という悪いイメージがあるかららしい。

障害の特性からか、いつもと一日のリズムが崩れることが、とってもストレスになる模様。

、、、ということで、とってもお天気が気になるのだ。)

 

私たち三人は、みんなおしゃべり。

その上、そうちゃんが、とにかくずーーーーっと、同じ質問をしたりしてしゃべり続けるので、普段から、うちでは、”会話が途切れる感”がまったくない。

(きっと、この様子をもしみたら、素直にみんな、驚くハズです。)

だから、日々、非常に、しゃべり疲れる毎日ではあるけれど、時折、今回の次男のような、宝石箱から飛び出たような言葉をひろった時は、なんともいえず満たされた気持ちになる。

 

”これ(このお人形)を買って~~~!” ”ぜったいに買って~~~!!”と、泣き叫び、涙を流し、鼻水を流し、デパートの床に寝そべってバタバタしていた私も、、、、あの時、たしか4歳。

こんなびっくり発言をしてくれる次男も、同じく4歳。

なんだかあの時の自分が、ちょっとはずかしくなってしまうような、そんな言葉だったなあ。

次男がどこまで理解して言っているのかは、さっぱりわからないけれど、4歳で、そんな風に感じてくれたというだけで、ただただ胸がいっぱいになります。

ありがとう。。。

 

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人間ドック ~その3・完

前回ブログのつづき

 

健康であればあるほど、いつまででも健康に、このままのんのんと生きていけそうな気持ちになってしまうけれど、そんなことあろうはずもなく、人間には、必ず終わりがくるんだということを、今回、身をもって感じた。

もちろん、どんな風に生きようとも、

”うん、これで納得。 もう思い残すことなーしっ!”ということには、きっと誰一人ならないと思う。

けれど、

”う~ん。 悔いをあげれば、キリはないけど、、、。 まっ、こんなもんでしょ。”

くらいな気持ちにはなれるよう、これからは今日一日、新鮮にすごしていきたいと思う。

 

子育てに関して言えば、私の目標は、ただ一つ。

”生きる力のある子供になってほしい。”ということ。

今のところ、子供たちにこれといって、私がしてあげられたことはないけれど、ただ一つ、大きく貢献できたと思うことがある。

それは、兄弟をつくってあげられたこと。

もし、私たち親が死んで、そうちゃん(長男・13歳・知的障害あり)だけが残された場合。

そうちゃんと長女(6歳)だけが残された場合。

そうちゃんと長女と次男(4歳)が残された場合。

事は、まったくちがう。

うれしい時も、悲しい時も、兄弟3人いれば、お互いが救われるし、お互いが支えあえる。

私だって、そうちゃん一人残してとなると、死ぬに死にきれない。

何回でも化けて、あの世から、そうちゃんの様子を見にこなくっちゃいけない。

 

考えてみると、他の子と比べて、少しくらい勉強ができていい学校に行ったり、少しくらいかわいかったり、少しくらいいい子だったりしたところで、そんなことは何にもならない。

何もならないところに、今の教育のエネルギーは、かけられがちな気がする。

(こっちに向かえば向かうほど、親も子も疲れ果ててクタクタになってしまう気がしてならない。)

大切なのは、もっと根っこの部分の問題だと、今回、再認識した。

いかに生きる力があって、いかに生活を楽しむ力のある子供に育てられるか、ということだと思う。

自分が行きたいところへは、バスに乗るなり歩くなりして、自分一人で行ける。

おなかがすいたら、自分で冷凍ごはんをチンして、おにぎりして食べられる。

自分でスーパーやコンビニへ行って、お惣菜を”どれにしようか、、、な~。”と、鼻歌をうたいながら選ぶことができる。

そのお弁当を持って帰って、”こんなお弁当なんか食べて、、、。”と、悲壮感をもって食べるのではなく、”うんうん、まーまー、なかなかの味だ。”と、そこそこ楽しみながら、お弁当を作ってくれる工場の機械や、その機械のそばで、いっしょうけんめい作業している人を想像しながら、感謝して食べられる。

自分の好きな習い事があって、それをしている時は、イヤなことを一瞬でも忘れられる、というものがある。

自分の夢があって、そこに近づくためには、今日何をしたらいいかな、と考えることができる。

 

以上が、私がこれから子育てするにあたって、当面の目標とする子供像。

この根っこの部分が育つべく、なんとかサポートできたと思えたら、子育て部門(長女・次男)でいえば、私に悔いはない。

そして、他ならぬ私も、これ(この目標)と同じことを実践して、また気持ち新たにがんばっていきたいと思う。。。

おしまい

                                             

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