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年賀状より

昔は、年賀状というものに、特別な思いはなかった。

それどころか、”年賀状書くの、ちょっと面倒くさいなあ。。”とさえ思っていた。

だって、年賀状を書いても書かなくても、それに関係なく、学校だったり、会社だったりで、そのあて先の人にホイホイと自由に会うことができたから。。

 

けれど、ここ最近、歳を重ねるにつけ、”年賀状っていいなあ。。”と思うようになった。

ふと気がつくと、仲のよい友達も遠方にいて、なかなか会うことができない。

あらためて年賀状を机に広げてみると、”今はゆっくり会えないけど、せっかくのこの出会い、とりあえずは、この年賀状でつながっていてほしい。。”と思う人がたくさんいることに驚く。

だから、ここ最近、年賀状というものが、私の中で貴重なものになってきた。

今年も、懐かしい人から年賀状をもらったけれど、今年うれしかった年賀状のナンバーワンは、昔、そうちゃん(長男・12歳知的障害アリ)がたった2ヶ月ちょっと通った保育園の先生からのもの。

(”えっ、、、障害の重いそうちゃんが、保育園へ行ってたの?”と思う方も多いかと思います。

その辺の話のくだりは、バックナンバー:2006年11月~”そうちゃんの古着”で詳しく書いています。)

 

そうちゃんは、2歳の頃、保育園に通っていたのだけれど、通い始めて間もなく、ダンナさんの転勤があり、結局、2ヶ月ちょっとで退園することに。

そうちゃんは、あの頃、ハイハイをするのがやっとで、歩くことも、ごはんを自分で食べることも全くできなかったので、保育園ですごすにあたって、そうちゃんのために特別に”介助の先生”がついてくださることになったのだ。

 

その介助の先生からの年賀状には。。

”花畑のそうちゃん(年賀状は子供三人の写真つき。で、そうちゃんは、満開のコスモスのお花に囲まれた写真。)にホロリ、感動しています。”

、、、からはじまり、、、、。

その介助の先生は、もともと病気や育休でお休みしている保母さんの代わりの、臨時の保母さんをつとめていた。

だから、”介助員”として仕事をしたのは、そうちゃんがはじめてだったこと。

そして、あれから、ずっと介助員の仕事を続けていて、今も自閉症の子供を介助していること。

そうちゃんが去った日の涙は、今も忘れないこと。

介助員としての仕事の楽しさをおしえてくれたのは、そうちゃんだったことが綴られていた。

そして、最後は、”ありがとう”という言葉で、しめくくられていた。

 

あれから、10年。。。

10年たった今でも、私は、新鮮に、あの時のそうちゃんと、その保母さんの顔を覚えている。

保育園の空気も臭いも保育室のお部屋も、、、みんな忘れない。

あの時、そうちゃんが保育園に通えることになって、私がどれだけうれしかったことか、、、。

そして、どれほど気持ちが楽になり、救われたことだろうと、今、あらためて思う。

 

転勤先の両親も友達もいない遠い土地で、初めての子ども・初めての育児がそうちゃんだった。

そのそうちゃんの障害をうけとめるのに、アップアップしていたあの頃。

そうちゃんを保育園に預け、私だけの時間をゆっくりもてたこと、

ピアノやエレクトーンを子供たちに教えられたこと、かわいい子供たちに出会えたことが、どれほどありがたかったか、、、。

そして、その上に、先生からも”ありがとう”と言ってもらえるなんて。。

先生からの年賀状は、なんだか胸いっぱいの、私の宝物になりました。。。

 

P.S.

”自由は、不自由の際にある”という言葉があります。

福沢諭吉の言葉だったでしょうか、、、。

その言葉、私、身にしみて感じます。

今も、そうちゃんの子育て(介護)しているので、今尚、私は不自由な中にいるのかもしれませんが、、、。

あの頃(そうちゃんが保育園に行っている頃)を思っても、あの時得た自分だけの時間は、”不自由の際にある自由な時間”、、、まさにそのものだったと思います。

自由の中にちらばっている自由では、なかなか本当の意味で自由を味わうことはできないものなのかもしれません。

いつもが不自由であるからこそ、自由というものを味わった時の感動、歓び、安堵感は、言葉にならないくらい大きいのかもしれません。。。

 

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