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2006年11月

そうちゃんの古着 ~その5

前回ブログのつづき

 

いつもだったら、”ポイっ”と新聞の山の上に、目も通さず重ねる”市政だより”だったけれど、その日は、たまたま市政だよりが机の上にのっていたので、”ごほうび”を一人、ムシャムシャと食べながら、何とはなしにペラペラとページをめくって眺めていた。

すると、”保育園児募集!”の記事が目にはいった。

「保育園、、、、か。」 

「保育園、、、、ね。」

「保育園、、、だっ!!」

その記事をジーッと見ながら、私の中で、ゆっくりと語尾変化されていった。

 

でも、きっと申し込んでも、申し込む意味さえないほど、そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)が保育園に入れる可能性がないことは、私も十分わかっていた。

地域によって、保育園の、障害をもった子供を受け入れる体制はまちまち。

私がその時住んでいた地域は、障害児を受け入れてくれる保育園はあった。

けれど、それは、どこの保育園でも、というわけではかった。

特定の保育園で、”障害児枠(障害児を○人受け入れます、というもの)”というのがあったのだが、それは、人数に限りがあり、狭き門だった。

 

で、しかも、保育園に入園できるのは、障害をもっているお友達の中でも、比較的障害の軽い子供ばかりだった。

障害の重い子供は、療育園で、その子供一人一人にあったきめ細かい療育を。 

健康な子供たちと一緒にすごした方が刺激があって、伸びると思われる(療育園のお友達の中では、ごくごく少数だった)障害の軽い子供は、幼稚園や保育園にうつっていくこともあった、、、という程度だった。

で、それまで、療育園か保育園か幼稚園か、いづれか一つだけを選択して通う制度から、ちょうど次の年度からは、”併行通園”といって、”療育園と保育園” ”療育園と幼稚園”など、組み合わせて通ってもいいですよ、という制度に変わることになっていた。

 

私は、まず、療育園の先生に相談してみたのだけれど、先生は、「そうちゃんみたいな(障害の重い)子供が保育園に入れた、、、っていうのは、聞いたことがない。。。」と言っていた。

家の近く(5分ほど歩いたところ)に、保育園があったので、とりあえず、保育園に、どんな感じか電話してみた。

すると、今現在、”障害のある子供”は、誰もいない。

それどころか、ここ数年、障害のある子供が入園した事はない、、、ということだったので、ますます望みは遠のいた。

”あー、やっぱり無理なんだあ、、、。”とは思ったけれど、それならば、なおさら、”ダメもと”と思って、締め切りも間近だったのでチャッチャと書類をとりよせ、サッサッサッと記入して、市役所まで持っていった。

 

市役所の担当部署を訪ね、受付カウンターにベビーカーをきしませながら(そうちゃんは、あと数ヶ月で三歳になろうとしていた。

まだ歩けなかったのでベビーカーに乗っていたけれど、体が大きかったので、ベビーカーは、もう悲鳴をあげていた。。)そうちゃんと向かった。

カウンターで申込書を渡してサッと帰ろうと思っていたのだけれど、ちょうどその時、係の方が全員電話中だったので、私はしばらく待っていた。

でも、なかなか電話が終わらなかったため、奥の方から課長さん(?)が出てこられた。

私が、その方に書類を渡すと、「あっ、、、。 お子さん、障害があるんですね。」と言い、”じゃ、ちょっと話を聞かせてください”ということで、奥の応接室に通された。

 

そこでいろいろとお話したのだけれど、そうちゃんを保育園に入れることは、ものすごくお金のかかることだということがわかった。

なんでも、全てにおいて介助を必要とするそうちゃんを保育園が受け入れることになるとしたら、そうちゃんだけのために”介助の先生”を一人、必要とするのだという。

(市としては、先生を一人増員しなければならない。)

その費用は、そうちゃん一人だけのためにかかってくるもの。。

ゆえに、市としても、(財政の問題があるので)非常に難しいことなのだ。

けれど、その課長さん(?)は、最後に、「ご期待にそえるかどうかはわかりませんが、私は、個人的に、お子さんが保育園に入れたらいいなあ、、、と願っています。 市としても、今の段階では厳しい状況ではありますが、なんとか力になれるように頑張りますので。」と言ってくださった。

 

、、、、と、なんと、それから、1ヶ月ちょっとしたころ、ポストに、保育園入園通知が!!

あの時は、ホント、びっくりだった。。

そして、ピョンピョンはねるほど、うれしかった。。。

次回へつづく

 

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あかブーさん・haruさん・accoさん・ちえさん・kazuminさん、コメントをどうもありがとうございました!!

この、”そうちゃんの古着”シリーズ、長くなっております。

家族のあちこちから、”昔を思い出してつらくなる。。” ”まだ続くのか。。” ”そろそろ次あたりで終わってくれないか。。”という声が、ちらほらあがっております。

でも、あともうちょっと続く予定です。

よかったら、煎餅と緑茶を片手に、あともう少し、おつきあいくださいませ。。

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そうちゃんの古着 ~その4

前回ブログのつづき

 

そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)と療育園に通っていた頃、私は、帰りにいつも、途中、百貨店に立ち寄り、”ごほうび”を買って帰った。

それは、自分へのごほうび。

シュークリームだったり、ケーキだったり、、、と、断然、スイーツが多かったけれど、、、。

 

療育園でみんなとすごす時は楽しかったけれど、そうちゃんのことを、そして、そうちゃんのお友達のことを知れば知るほど、”どうして、こんな小さな、希望でいっぱいのはずの子供たちが、こんな思いをしなければならないんだろう。。”。

そう思うと、家に帰ってきて玄関のドアをパタンと閉めたとたん、ガックリ疲れ、いつも悲しい気持ちでいっぱいになった。

ちょっとひと泣きしなきゃおさまらない日もあった。

そんな時、私の横にそっと寄り添ってくれたのが、”ごほうび”。

「ホント、今日も一日、療育園でがんばりました。」と言ってから袋を開ける日々が延々と続いた。

 

そういえば、あの頃、一日中、狭い家の中でそうちゃんとすごすと、気がつけば、”ああ、、、。 そうちゃん、早くお座りできるようにならないかなあ、、、。”とか、”ハイハイできるようにならないかなあ、、、。”。

いつしか、そうちゃんに”無理な期待”ばかりするようになっていた。

で、期待すればするほど空回りの毎日。。

 

そんな日々の中、こんなんじゃダメだ!!

目にははっきりと”成長”として映ることはないけれど、”きっと、そうちゃんは、生まれてからずっと、自分のもっている力をふりしぼって、前に前にすすんでいるにちがいない。”と、思い切って、そう思うことにした。

そう思った時、障害をかかえてがんばっているそうちゃんにだけ、”がんばって がんばって”とエールをおくっているだなんて、とんでもない。

私こそ、せっかく健康に生まれてきたんだから、がんばれることを見つけて、私は私の世界の中で楽しみたいと思うようになった。

 

それで、そうちゃんが1歳のお誕生日を迎えてまもなく、今まで中断していたエレクトーンのレッスンに通うことにした。

それと同時に、エレクトーンを家で教えたいなあ、、、という思いが、私の中にフツフツと沸いてくるようになった。

私が、そのことを母・よしこに電話で話すと、よしこは、「えーっ?! そうちゃん育てながら、ちはる(私のこと)がレッスンに行くだけでも大変なのに、家で教えようなんて、、、そんなの無理でしょ! だいいち、そうちゃんは、その間どうするの?」。

「そうちゃん、、、? 家にいるに、きまってるじゃない。」と、私。

「えーっ?! で、そうちゃんは、その間、どーしてるの?」と、よしこ。

「そうちゃんさあ、お昼寝してる時間、長いでしょ。 だから、レッスンの時は、できるだけ寝ててもらうことにしようと思って。。」と、私。

「なーに言ってんのよー! 泣いたりぐずったりもするでしょ?」と、よしこ。

「そしたら、抱っこしながら教えるしか、、、ないよねー。。」と、私。

すると、よしこは、ガハハハハと笑いながら、(よしこも昔、エレクトーンを教えていた)「ママだったら、そんな環境の悪いエレクトーン教室に子供をレッスンに通わせる気にはならないわねー。

ちはる、生徒さん、こないわよー。 それは、無理だわね。」と、ピシャリ。

 

けれど、、、。

よしこの予想を反して、私の家を訪ねて来てくださるお母さんがいたのだ。

一番初めに来てくれたお母さんは、初めて私の家に来て、そうちゃんに会った時、1歳をとっくにすぎているのに、歩くどころか、寝たきりの状態で、プレイジムで静かにあそんでいる姿にビックリギョーテン!!

驚きをかくせなかった。

 

私は、お母さんに、そうちゃんの障害のこと、そして、レッスンの時に、そうちゃんがあんな感じでいるので、かなり、迷惑をかけるだろうことを言い、もし、”ちょっと、これじゃ、、、。”と思ったときは、いつでも遠慮なく断ってください、、、というお話をした。

でも、そのお母さんは、「私は、子供をプロにしようと思っているわけではないんです。 私は、音楽を長く楽しく続けて、一生つきあっていける子供になったらいいなあ、、、って思っているんです。。」と言った。

そうちゃんが泣いたり騒いだりするかもしれないということを私が重ねて言っても、「私も、子供がいるから、それはわかってます。 赤ちゃんが家にいることは、ぜんぜん気にしませんから。 だから、ここで、ぜひ、子供に音楽を教えてください。 ”ずっと音楽が好き”と思えるように教えてください。」と言ってくださった。

 

そのうち、ちらほらと子供たちが家に来てくれるようになった。

あの時間は、私にとって、なくてはならない時間であり、本当に楽しい時間だった。

レッスンの合間にする、子供たちとのおしゃべりも楽しかった。

”ねえ、ピアノの高い音はさあ、ガラスがわれた音といっしょだね。”とか、”ねー、先生、風邪ひいてんの? 体は大切にしなきゃダメだよ~。”とか言ってくれる子供たちと話していると、ふと、”そうちゃんとは、こんな風に会話することは、ないんだろうなあ。。”と、一瞬、頭によぎって、胸がキューンとした。

けれど、だからなおさらに、子供の口からほとばしる言葉の一つ一つが、”宝石箱からでてくる宝石”のように輝いて思えたものだ。

 

子供たちが来てくれたことは、そうちゃんにとっても、思わぬ収穫があった。

レッスン中は、泣いても、私からはなかなか抱っこしてもらえず、よく、私のことを、恨めしく見ていたそうちゃん。

そんなそうちゃんだったけれど、ある日、なんと、そうちゃんの口から”山の音楽家”のハミングが!!

言葉もでないそうちゃんが、その曲を歌ったのを皮切りに、”ちょうちょ” ”ぶんぶんぶん” ”フレール・ジャック” ”メリーさんの羊”、、、、と、数えきれないほどのたくさんの曲をハミングするようになった。

どれもこれも、レッスン中に子供たちが弾いていた練習曲ばかりだったのだ。。

次回へつづく

 

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acaneさん・みほさん・レミさん・こころさん・さとみさん・ぱるさん・ままくまさん。。。

コメントをどうもありがとうございました。

何回も何回も読みました。

みなさんの言葉が胸にジーンと響きます。。

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そうちゃんの古着 ~その3

入園した療育園の、そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)のクラスには、たくさんのお友達がいた。

みんな、生まれてからまだ1年か2年の、小さいお友達だった。

そうちゃんのように、もともと障害をもって生まれてきた子供もいれば、途中まで健康だったのだけれど、はしかになったのが原因で障害をもった子供もいた。

そして、中には、心臓の病気がもとで、亡くなったお友達もいた。

それぞれに障害はちがったけれど、みんな、小さい体に、たくさんの不自由をかかえ、そして、一生懸命生きていた。

 

はじめてクラスで顔合わせした日、私は、びっくりした。

「なんて、たくさんの病気があるんだろう。」。

私は、そうちゃんが生まれるまで、”赤ちゃんは、みんな元気!!”とばかり思っていた。

思えば、私が唯一、障害のある友達として思い出せるのは、小学校の時、2年間いっしょのクラスだった、ゆかりちゃん。

軽い知的障害のある、目のぱっちりしたかわいい女の子だった。

でも、私がその小学校を転校してからは、障害のあるお友達とすごす機会はなくなってしまった。

私は、そうちゃんのクラスのお友達を目の前にした時、”私の身近にいなかった”という理由だけで、病気をもって生まれ、それでも一生懸命がんばっている子供(人)が、こんなにたくさんいることを、それまで気にとめることのなかった自分にハッとし、そして、唖然とした。

 

そして、そこには、障害をもつ子供の数だけ、障害のある子供をもったお母さんたちがいた。

これまた、私の身近に、障害のある子供をもったお母さんはいなかったので、私は、そこで初めて、そうちゃんが生まれてからのことをツラツラと話せる友達に出会った。

”大変な思いをしているのは自分だけじゃなかったんだあ、、、。”と思えたことは、本当に心強かった。

 

ある冬の寒い日、クラスに「おはよー!」と言って入ってきたお母さんが言った。

(そのお母さんの子供は、口からは栄養がとれず、鼻にチューブを通し、そこから栄養をとっていた。)

「あー、もー、ドキドキした~!! ここに来るまで、私、何回、車を停めて子供の顔をのぞきこんだか!」。

ニコニコしながら言うので、私は、「どうしたの?」と、軽い気持ちで聞いた。

聞けば、子供が風邪をひいていて、顔色も悪く、呼吸があまりにも静かだったので、”子供が息をしていないんじゃないか”と思ったのだという。

けれど、それは、決して大げさに言っているのではなかった。

そのお友達(子供)は、実際、心臓も悪く、風邪をひけばすぐに入院となるほど、そして、風邪すら命取りになるほど、体の弱いお友達だった。

 

私は、一瞬、言葉に詰まった。

長いこと、ずっと自分のお腹にいて、やっと生まれた赤ちゃん。

多くのお母さんが、子供の成長に目を細めながら過ごしているこの時期に、”自分の子供が息をしているかどうか”なんて、そんな当たり前のことを心配している母親がここにいる。

なんて残酷なことだろう。

でも、これが、このお母さんの日常だった。。

 

週二日通った療育園では、障害をもった子供たちの成長をすこしでもうながすため、リハビリがあったり、絵本読みがあったり、音楽にあわせて体を動かしたり、、、教室には先生たちの手作りの教材がいっぱいあった。

でも、入園した時、そうちゃんはまだ1歳だったので、せっかく連れて行っても、”さあ、これから療育の時間です!”という時には、いつも静かな寝息をたてて、zzz・・・。

部屋の隅に敷いているお布団で夢の中。

で、たまに起きていたとしても、障害のためか興味に乏しく、なかなかみんなと一緒に楽しむことができなかった。

なので、そうちゃんにかわって絵本読みをきくのも、工作をするのも、音楽にあわせて踊るのも、いつも私だった。

けれど、これが何やらとっても楽しかった。

私は無心に踊り、歌い、すっかり童心にかえったひと時をすごした。

 

そして、もうひとつ、楽しみだったのが、園の給食。

給食というと、”栄養”が重視されるあまり、どうしても、お味の方は、、、というイメージが強いのだけれど、ここでの食事は、彩りもきれいで美味しく、そこには愛情がたっぷり注がれていた。

(給食は、ニコニコ笑顔のおじさんとおばさんが作ってくれていた。

玄関の横に給食室はあったが、いつも朝、通園すると、「そうちゃーん、おはよー!」と声をかけてくれた。

そのあたたかい言葉とともに、給食室からは、いつも、おじさんとおばさんの手元から”トントントントン トントントントン”という野菜を切る音が聞こえてきた。

私は、その音を聞くと、なんともいえないホッとした気持ちにつつまれたものだ。

いつもその、”トントントントン”という心地よい響きとともに、私とそうちゃんの療育園での一日は、はじまった。)

 

トレイには、フタつきのごはん茶碗とフタつきのスープ椀、そしておかずをのせるかわいいお皿たち。

トレイの上には、給食だと言うのに、ポタージュスープやババロアやビーフシチューや、、、レストランで食べるような、オシャレで美しい盛り付けの食事がならんでいた。

私は、その食事に、そのおじさんとおばさんの、子供たちへの並々ならぬ愛情を感じ、いつも癒された。

 

で、そんな魅力的な給食だったので、私は、いつも、ひそかに、”今日、そうちゃん、このまま寝ててくれればいいのに。。 そしたら今日こそ、全部、私が、そうちゃんの給食食べちゃおう。。。”と、たくらんでいた。

が、それは、残念なことに、一度も叶うことはなかった。

そうちゃんは、絵本や手遊び歌などには何の興味ももてない中、どうやら、この給食だけを楽しみに通っていたようで(?)、給食の時間間近になると、必ず、”アーン アーン”と決まって泣き、目を覚ました。

これには、私も、フシギでフシギで仕方なかった。

 

ちなみに、そうちゃんは、クラス一の大食いだった。

おかわりをしてもしても、まだ足りないらしく、食事の後、”ごちそうさま”をしても、”まだまだ食べたい”とひっくり返って泣いていたっけ。

そういうわけで、そうちゃんは給食を残すということがなかったので、そうちゃんのトレイから、私は、いつも、ネズミがなめるほどの、ほんのひと口しか給食をちょうだいすることができなかった。。

次回へつづく

 

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コメントをありがとうございました!!

みほさん。。はじめまして。三人姉妹、、、憧れます。

みほさん、参考までに、前回、私のブログを読んだ母・よしこは、「ねー、私、そんないいこと、言ったかしら~?!」と言っておりました(笑)。。

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そうちゃんの古着 ~その2

前回ブログのつづき

 

”思い出のアルバム”(1番)のメロディーにのって、”嬉しかったこと 面白かったこと いつになっても 忘れない~”と、軽やかに歌ってみたいものだけれど、残念ながら、そうはいかない。

歌にするならば、私の場合、”1番”は、まずは、”つらかった事 悲しかった事 いつになっても 忘れない~。”から、はじめたい。

 

この服(次男・1歳が、寝る前まで着ていたブルーのベスト)を着ていた時、そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)は、”療育園”に通っていた。

療育園というのは、障害をもった子供たちの行く幼稚園のようなもの。

そこに、そうちゃんは、1歳になってすぐの4月に入園した。

週に2日、電車とタクシーに乗り継いで、そうちゃんと通った。

(その頃、私は、立派なペーパードライバーだったので。。)

障害をもつ子供が通う療育園も、地域によって形態(療育をはじめる年齢や、母子そろって通うのか、子供だけ預けるのか、、、などなど。)はさまざま。

そうちゃんが最初に通った療育園は、”母子通園”だった。

(お母さんと子供が一緒に通うもの。)

 

そうちゃんは月に1回、大学病院で診察してもらっていたのだけれど、その病院の先生から療育園を紹介してもらった。

その療育園には、小児科と歯科も併設してあって、入園する前に、まずは、小児科の先生に診察してもらうことになっていた。

1歳を迎える前のそうちゃんを連れて、ある日、その診察と園の見学に、初めてそこを訪ねることになった。

そうちゃんに障害があるといわれた時もショックだったけれど、そうちゃんが、保育園でも幼稚園でもない、療育園に通わなければならないということも、同じくらいショックだった。

療育園に通うことは、すなわち、そうちゃんに障害があるということを、いやがおうでも受け入れなければならないことだった。

 

あの日、ベビーカーをカラカラカラカラと押して、初めて療育園の門をくぐった日のことは、今でも忘れられない。

重い足取りで、”とうとう来るべき時が来た”という感じで、地図を片手に園のある方へ向かった。

だんだんと見えてくるコンクリートの建物。

これから、ここに、そうちゃんと二人で通うことになるのかと思うと、悲しい、やりきれない気持ちで私の心はよどんだ。

やっとの思いで門のところまでたどりつき、ふと見ると、そこには、”○○療育園”と書いてある表札がかかっていた。

その、”療育園”という、冷たい無機質な文字を見たとき、それまでガマンしていたものがあふれて、胸がギューッとなり、文字が涙でよがんで見えなくなった。

私は、門の前で思わず立ち止まった。

なんだか、このまま逆走して、そうちゃんといっしょに家に帰ってしまいたい気持ちでいっぱいになった。

 

その時、「ほら、、、。 さあ、しっかりして。」。

そう言って、母・よしこが、私の背中をポンと押した。

こういう時は、いつもそうだった。

いつも、私の傍らには、よしこがいた。

こういう日は、よしこが、はるばる飛行機にのって、必ずやって来た。

旅行へ行ったり、買い物に行ったり、遊びに行ったり、、、そういう楽しい事のある日に一緒に行ってくれる人は多いけれど、よしこは、あえて、”つらい思いをするであろう日”に、自ら率先して、やって来た。

 

よしこがつらい思いをするのを見るのは、私だってつらいから、「ママ、いいよ、来なくても。」と言うのだけれど、「ううん、ママも一緒に行くわ。 ママも行って、どんなところか見ておくわ。」と言った。

当時、「ちはる(私のこと)がどんな思いでいるかと思うと、じっと家になんかいられないわ。」というのが、よしこの口ぐせだった。。

次回へつづく

 

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コメントをどうもありがとうございます!!

ういちんさん。。はじめまして。コメントをよせていただき、うれしかったです。

本当に、、、スゴイ確率です。。

そろそろ年末ジャンボ宝くじ発売の季節です。

「そうちゃんが当たったくらいやけん、うちは何が当たるかわからんよ~。」と、宝くじを買いに行くダンナさんは、いつもかなりの気合です。。

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そうちゃんの古着  ~その1

そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)の古着(おさがり)を今、長女(3歳)と次男(1歳)がちょこちょこ着ている。

その姿を見て、そうちゃんとは、歳の離れた兄弟なのに、我ながら、”よくぞまあ、この洋服、捨てずに持っていたなあ、、、。”というのが、まずは私の率直な感想。

 

、、、というのも、私は、そうちゃんが生まれてからというもの(そうちゃんに障害があるとわかってから)長い間、「ああ、、、。 もう、赤ちゃんはコワイ。。。」と思い、「おそらくこの先、再び赤ちゃんを産むことは、もうないだろう。。。」と、ずっと思ってきた。

そうちゃんは、”ソトス症候群”という、今まで私が聞いた事もないような病気。

”ソトス症候群”という病気をもって生まれてくるなんて、確率にすると、とんでもなく珍しい。

 

思えば、私が、それまで、”当たった!!”というのは、私が小さい頃、母・よしこと一緒にいったスーパーのレジで、”くじ”をひいて、カメの大きなぬいぐるみをもらったことが過去最高だった。

その時でさえ、私の家では、それはもう大騒ぎだったのに。。

(そう、あれは、私が幼稚園に通っていた頃。

レジの店員さんが突如、手元にあった鐘をサッと手に持ったかと思うと、”カランカラーンカラーン!!”と、まわりのみんなが振り向くほど大きく鳴らして、「大当たり~! 大当たり~!!」と叫んだ。

そして、「カメとゾウどちらがいいですか?!」と、身を乗り出し、興奮気味に私に聞いた時は、心臓がドクッとするほどビックリしたっけ。

横にいたよしこも、「ま~っ、ちはる(私のこと)、すごいわ~!!」と言って、ピョンピョン跳ねて大喜び。

「どっちでも、ちはるの好きな方、選んでいいわよ~!!」と言うので、私は、ちょっと迷った。

でも、よく考えて、”カメ”を選んだ。

当時、私は、社宅に住んでいたので、子供ながらに、”ゾウは、うちでは無理だ、、、。”と思った。

そう思い、本当は、できることなら”ゾウ”の方がよかったけれど、家の諸事情を考慮した結果、”カメ”にしたのに、「はいっ、カメですねー。 少々お待ちくださ~い!!」と言い残してお店の奥の倉庫へ行ったレジの店員さんが、”ぬいぐるみのカメ”を持って、レジにもどってきた時には、私は、正直、かなり拍子抜けしてしまった。

そして、ちょっぴりガックリした。

「なんだ、、、。 本物じゃないんだあ、、、。」。

私は、動物園にいるゾウとカメだとばかり思っていたのだ。

それでも、そのカメのぬいぐるみは、私が抱えるには精一杯の、相当に大きいものだったので、すぐに気を取り直して、うれしくてうれしくてたまらなくなり、帰ってから、姉にみせびらかしたっけ。。。)

 

それをもはるかにしのぐ確率で当たったそうちゃん。。

そうちゃんのおかげで、”世の中には五万という数の病気があること”を知った。

で、それを知ったおかげで、私は、その五万という病気をすりぬけて、健康な赤ちゃんが生まれてくる事のほうが、どうしたって”奇跡”にしか思えなくなっていた。

きっと、そのことが私を”もう、赤ちゃんを産むのはコワイ”と思わせていたのだと思う。

 

そんな思いをいだいていたにもかかわらず、私は、そうちゃんが着られなくなった洋服を捨てることも譲ることもできず、洋服が小さくなるたびに、セッセセッセと箱に詰め、宅急便でダンナさんの実家に送りつけていた。

私は箱詰めして、伝票のあて先に記入するたびに、ふとペンをとめた。

「どうして、これから先、日の目をみることはないであろう、”そうちゃんの洋服”をこうやって送る必要があるんだろう。。」。

自分でも、なぜだか不思議でならなかった。

 

けれど、今思えば、きっと、どこか心の奥底で、「もし、、、もし、万が一、、、おそらく絶対にないとは思うけれど、また私のところに赤ちゃんが生まれてくることがあるとしたら、これを着せよう。。」と、夢見ていたのだと思う。

こういう時期が長かったからこそ、長女と次男が今、そうちゃんの古着を着ていると感慨深い。

長女と次男の姿に、”昔のそうちゃん”が重なって、私の気分はもう、”思い出のアルバム”の歌の世界へと突入!!

幼稚園の卒園式などに、よく歌われる”思い出のアルバム”の曲をご存知でしょうか。。

”いつのことだか 思い出してごらん

あんなこと こんなこと あったでしょう

嬉しかったこと 面白かったこと

いつになっても 忘れない~”

というあの曲。

このメロディーにのって、そうちゃんの思い出がよみがえってきます。。。

次回へつづく

 

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コメントをありがとうございました!!

sweetfortwoさん。。カリメロの行方、私も気になります。。カリメロも骨董屋さんに置いてあるものも、”一点もの”で、”もう二度と出会うことがないかもしれない”というところが、最大の魅力なのでしょうね。

sa-yu-riママさん。。私もこの間、チラッと見て、「しまった~! なんて面白そうな番組を~!!」と思いました。もちろん、その時は見ましたが、”まちこさんがもの書きらしい”ということ意外、さっぱりストーリーをつかめなかった私です。。これからでも、間に合うでしょうか。。

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パエリアの夜

前回ブログ(”インフルエンザ予防接種”)のコメントを拝見していて、”子供には、一瞬、血が逆流するようなヒヤリとさせられること、多いなあ、、、。”と、つくづく思いました。。

そういえば、パエリアを食べたあの夜も。。。

 

4年ほど前の冬の寒い日。

ある日、姉が私の家に遊びに来た。

私は、ちょうど長女(3歳)の妊娠がわかってしばらくした頃で、そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)の時ほどではなかったけれど、食事前になると、ムカムカムカムカ、、、という、つわりの時期だった。

その日は、姉が、「ちはる(私のこと)ちゃん、きつそうだから、今日は、りか(姉のこと)がごはん作ってあげる~!」と言うので、「う~ん、、、。 じゃ、そうちゃんも好きだから、パエリアお願いしようかな~!」。

ということで、夕食にパエリアを作ってもらうことに。

私の家のキッチンで、姉は手慣れた手つきでサッササッサ作ってくれた。

 

で、その時の私のつわりは、食事を作る前・作っている時は、グググッと急激にムカムカがこみあげてきて、”あー、ダメだ、こりゃ。 気持ち悪い、、、。”。

でも、いったん、食事ができあがり、食べ物を目の前にして、ひとたび口にした途端、「ん~っ! 美味しい! 美味しい!!」と、バクバク食べられる、なんとも自分勝手なつわりだった。

その日も例外なく、姉が作ってくれている最中は、”わー、、このアサリのニオイはきついわー。 せっかくだけど、パエリア、今日は食べられないかも。。。”と思っていた。

けれど、姉の「ちはるちゃん、できたよ~。」という声がして、お鍋のフタがパカンと開いたのを見たとたん、「ん~、おいしそー!!」。

私は俄然、食べる気満々になっていた。

 

で、みんな(姉と私とそうちゃん)席について、「いただきまーすっ!」と言って、”さあ、今からお皿によそおう”と思ったその時、私は初めて、”そうちゃんの異変”に気付いた。

そうちゃんの座っているイスが小刻みに”カタカタカタカタ、、、カタカタカタカタ、、、。”と震えていたのだ。

「はん??」と思ってそうちゃんをみると、顔が少し青ざめていて、いかにも、”はーい、これから熱があがりま~す!!”といわんばかりの顔でブルブル震えていた。

おりしも、インフルエンザ大流行の最中。

「わっ、りかちゃん、、、大変、、、。」私は、思わずつぶやいた。

 

その年も、そうちゃんはインフルエンザの予防接種はしていたけれど、あれも、型(A型とかB型とかありますね。)が違えば何の役にもたたないし、、、。

そうちゃんがインフルエンザになって、病院嫌いのそうちゃんを、つわりの私が病院に連れて行くことを考えてもゾーッとしたけれど、それ以上にゾーッとしたのは、姉もまた、数日後、初めてのお産をひかえた妊婦さんだったからだ。

数日後、姉は、(逆子のため)帝王切開の手術が予定されていたのだ。

「りかちゃん、そうちゃんさ、インフルエンザかもよー! ねー、りかちゃん、せっかくこれから食べようって時になんだけど、今すぐ帰ったほうがいいよ。 今、うつったら大変だからさー!」。

姉は、よほどじゃない限り、むやみやたら驚く人ではないけれど、その時だけは、「うそっ、、、。」。

一瞬、ピクッと頬がひきつった。

そして、半ば、私に押し出されるような形で、次の瞬間、姉は玄関へと移動。

靴をはいていた。

姉は、玄関のドアを開けてクルリとふりむき、「じゃあね、ちはるちゃん、またー。」

そう言ってドアを開け、一歩足を踏み出した。

 

、、、が、姉は、またすぐにクルリとふりむき言った。

「やっぱり、食べて帰る。 せっかく作ったからさー。」。

それから姉は、妊婦とは思えないほどのはや足で、サッサッサッサッとリビングに戻って行ったかと思うと、なるだけ空気をすわないよう息をとめているようだった。

そして、お鍋からパエリアをものすごい勢いでお皿にもったかと思うと、ソファーのある別の部屋で、ガッガッガッガッ。

それはそれはものすごいスピードでパエリアをたいらげ、「じゃーねー。 バイバイ。」と言って去って行った。

 

姉が帰ってから、私はさっそくダンナさんに電話。

そして、その一部始終を報告した。

「りかちゃんにうつってないといいけどねー。」と言ってダンナさんは電話をきり、その後、そばにいた上司にそのまま様子を伝えたらしい。

すると、その上司は、「おっ、、おい、大丈夫かー?」と私と姉のことを、とても心配してくれたという。

が、そう言った後すぐ、「でも、、、それは、なかなかありえない”シチュエーション”だなーっ!」と、お腹を抱え笑ったらしい。。

”つわりの妊婦””熱がでてガタガタふるえている、障害のある子供””臨月出産間近の妊婦”。

なんだか、これじゃー、三重苦だ。

そして、その三重苦に襲いかかろうとしている、さらなる苦(インフルエンザ)!!

確かに、、、これじゃー、地獄絵図。

ありえない。。

 

幸い、そうちゃんはただの風邪だったらしく、一晩寝たら熱もさがり、姉にもうつらなかったのでよかったけれど、こんな”勝手な思い込み”を含めたら、子供が驚かせてくれる事なんて、数限りなかったりして。。

 

P.S.

今日も”どーもくん”があったので、一番最初に”ごちそうさま”した私は、コメントを読んで楽しませていただきました。

どうもありがとうございました!!

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