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2006年7月

そうちゃん的テレビの見方

そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)をテレビの前に座らせるとスゴイ。

なにがスゴイって、カチャカチャカチャカチャ!!

チャンネルをかえまくる、そのスピード!

その回数!!

 

この間、リビングに置いているテレビが故障したので、電器屋さんに来てもらった。

テレビの裏を開けて、チャッチャカチャっとしたかと思うと、あっという間にテレビはよみがえり、無事、修理完了。

ホッ。

で、電器屋さんが玄関のドアを開け、さあ帰ろうという時、クルリと振り向き、言った。

「あっ、、、、そうそう、一つだけ聞いてもいいですか?

テレビの下のところ、、、えっと、フタをパカッと開けて、チャンネルをかえるところがありますよねー。

あそこのツメ(ボタン部分)が全部折れて、陥没してるでしょ?

あれは、いったいどうしたのかなーと思って。。

私も、壊れたテレビ、いろいろ見てきてますけど、あんな風になってるのは今回初めてなもんでー。。」

 

犯人は、、、、もちろん、そうちゃん。

チャンネルをかえる回数とその速さに耐えられなくなったツメは、テレビの内側へと押し込まれてしまったのだ。

(それでも、そうちゃんは、その押し込まれたところに、さらに指を突っ込む形で、なに不自由なく、チャンネルをかえ続ける。)

 

そうちゃんが、落ち着いて、一つの番組を見入るということは、非常に少ない。

たぶん、それは、障害のため、言葉が理解できないので、”一つの番組を続けて見る意味”があまりないところにありそうだ。

(ちなみに、集中して見る番組は、大相撲とNHKの子供番組。

あと、”天気予報”も好き。

なにしろ、明日、晴れるのか、雨降りなのかが、彼にとっては大問題らしい。

雨だと、予定していた事が中止になったりするので、”雨マーク”にいい印象がないらしい。

だから、天気予報で、”明日は晴れ”と聞くと、心から落ち着くご様子。

よく、”world weather”も見ているけれど、「リオネジャネイロ、明日は雨、、、、。」というアナウンスを聞くやいなや、ガバッと私の方を振り向き、ムッとした顔をしながら、画面のリオネジャネイロ付近の”雨マーク”をつっつきながら、「ママ! 雨??」(訳:「ママ、明日は雨が降るの?」)と、すごい剣幕で私に聞く。

こういう時、どういう風に、、、いったい何から説明すればよいのか、、、息子よ、、、どうか、この私に教えておくれ。。。)

 

私も、初めこそ、そうちゃんのそばで一緒にテレビを見ていると、タッタカタッタカ、次々ちがう番組にかわるので、頭がクラクラして、とても一緒になんて、見ちゃいられなかったけれど、人間の順応性というものは、なかなか立派なものだ。

訓練さえすれば、どーにかなってくるものらしい。

たぶん、それは、”速読”に近いものなのかもしれないけれど、パッパッパッパッかえられても、だんだんに、そこそこ、どの番組にもついていけるようになるから不思議だ。

 

で、ひっきりなしにチャンネル巡りしているものだから、結構な確率で、そうちゃんの好きなCMにピタリとたどり着く。

そうちゃん、文字や言葉はわからないけれど、どうやら音楽(CMソング)は、スーッと頭に入ってくるらしい。

例えば、「心を満タンに! コ・ス・モ・石油」(コスモ石油のCM)

「心を満タンに!」のフレーズが流れると、両手をブンブン振りながら、それきたとばかりに、「コ・ス・モ・石油!!」と、テレビと一緒にはもる。

 

「かあさん、お肩がこってるの、プチプチプチプチプチシルマ~

とうさん、お首がまわらない、プチプチプチプチプチシルマ~」(プチシルマのCM)

これが、チャンネルをかえている途中で、ドンピシャはじまると、「あった~!!」

高笑いしながら、テレビと一緒に合唱。

そして、最後に、「レーダー」とナレーションの人が言うところは、必ず、ナレーションの人とピタリと声を合わせて、「レーダー。」

(ナレーションの人のマネして、落ち着いた声で。)

 

で、今、私が一番楽しみにしているのは、葬儀社のCM。

おじいさんが、画面に大きく映り、静かにやさしく微笑みながら、「行ってきます。。。」と言い、クルリと背を向け、テクテクテクテクと向こうの方に歩いて消えていく、、、というCM。

葬儀社のCMだけに、本来、しんみりするハズのものだけれど、そうちゃんは、そのCMにあたると、「あった~! あった~!!」と、大はしゃぎ。

テレビ画面にペッタリとはりつきながら、大きな声で、「じーじ! じーじ!」

そして、「いってぃらっしゃーーーいっ!!(訳:いってらっしゃい。) ハーッハハハハッ ハーハハッ(大笑い)」

ひっくり返りながら、大ウケしながら、手をふる。

”、、、、、、、、、。 いやー、そうちゃん、、、、。そこは笑うところじゃないでしょー。。”と思いながらも、喜ぶそうちゃんを見ながら、ウッヒッヒッヒッヒッ。

私も一緒に笑っているのだから、この光景は、かなり奇妙だと思う。

 

そうちゃんの心を射止めるCMは、確かに、直球で、ノリがよく、耳に残るものが多い。

言葉も文字もわからない人に、なにか、メッセージなり、興味を強烈に残すCMは、ある意味、最高のCMだったりして。。。           

 

P。S。

昨日、掃除機をかけていたら、そうちゃん、私にマジな顔で言った。

「ママー! ママー! 何歳?」

「はっ???」

指差す先を目で追うと、、、、、なんと、掃除機。。。

そうちゃんとの会話は、まー、一日中、そんな感じです。

いや~ ただでさえ暑い夏です。

そうちゃん、どうぞオテヤワラカニ願います。。。

 

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コバンザメ

この間、久しぶりに水族館へ行った。

水族館って、こんなに面白かったっけ?

中でも、ウミガメ。

カメは、今まで、”まったりのっそり”というイメージが強かったけれど、とんでもない。

あの、水槽の中をスーーーーイスイと、のびやかに泳ぐ光景を見て、胸がスッキーンとした。

新鮮だった。

そりゃー、カメの背中に乗っかって竜宮城へ行った浦島太郎は、さぞや、気持ちよかったろうと、思わず、太郎がうらやましくなったくらい。

 

でも、今回の目玉は、何と言っても、コバンザメ。

コバンザメは、頭の上に吸盤みたいのがあるらしい。

大きな魚にその吸盤をぺッタンコして、生活するコバンザメ。

その吸盤を大きな魚のお腹側にくっつけて、泳いでいるのは見たことがあるけれど、このあいだ見たコバンザメは、大きな魚の背中の上に、その吸盤をくっつけていた。

つまり、コバンザメは、大きな魚の背中の上に、ひっくり返って、寝っころがるような姿勢で、大きな魚にすべてを任せて、水槽の中を悠々、移動していた。

ひっくり返ったままの姿で、魚が移動するのを見たのは、初めてだった。

このコバンザメ、こんな格好で、気持ち悪くはならないのだろうか。。。

 

この2匹の姿を見て、私は直ちに、

”大きな魚のほうを、姉・りか。

コバンザメを、私・ちはる。”

、、、、と連想した。

(姉:行正 り香・・・料理やお菓子の本などを出版しています。)

隣でボーッと水槽を眺めるダンナさんに、その旨伝えると、「ホントやねー。 その通りやねー。」と言って、否定しなかった、、、どころか、コックンコックンうなずいて、大いに納得していた。

で、なんでそんな風に連想したかというと、私のブログにコメントをくださる方の多くが、「”まごころドットコム”から来ました。」。

、、、ということは、当然、ブログを読んでくださっている方の多くが、きっと、姉の“まごころドットコム”をから来てくださっているに違いないのだから。。。

(姉は、”まごころドットコム”というホームページに月二回、お手紙を書いています。)

 

思えば、昔から、私は、コバンザメの気があった。

特に小学生時代。

当時、私の友達は、姉の友達ではなかったが、姉の友達は皆、私の友達だった。

母・よしこは、仕事をしていたので、日中、学校から帰ると、帰りの早い私の方が、鍵を開けて家に入ることが多かった。

で、帰ってからは、だいたい、自分の友達のところへ遊びに行ったりするのだが、ちょうど、友達がみんな都合悪くて、一緒に遊べないような日、、、。

私は、姉をあてにした。

姉が家にいれば、それですむが、問題は、姉が、友達と約束して、家を出て行ってしまう時。

一人で家にいるのは寂しい。

がっくりだった。

なので、それを学習した私は、今度から、姉の友達のところに着いて行くことに決めた。

 

でも、何度か、自分の友達の家まで着いてこられた姉は、私のことを疎ましく思ったらしく、学校から帰って、ガシャっ。

ドアを開けると、私がスタンバイしている日は、どうも、その雰囲気を察するらしく、「ただいまー、、、、。 行ってきまーす!!」という言葉とともに、玄関に赤いランドセルを放り投げ、猛スピードで、自転車置き場へと向かった。

それを見て、私も急いで鍵を閉め、階段をすべるがごとく下りた。

そのころ、私の家には、子供用の自転車は、1台しかなかった。

なので、姉が自転車、、、という事になると、私は自分の足で歩くなり、走るなりするしかなかった。

で、よくぞ、あんなスピードで自転車がこげる、、、というほど、姉は足に力をこめ、歯を食いしばり、全力でペダルをこぎながら、私の目の前を通過して行った。

 

でも、大丈夫、大丈夫。。。

私は、姉の友達とは、常日頃から仲良くしてもらっていたし、一度となく、何度も家にお邪魔していたので、姉が、自転車を南方向にすっ飛ばせば、「ヨッシャー! 野々上さんちねっ! 了解!!」。

東方向へすっ飛ばせば、「それきたー! 上田さんちねっ! 了解!!」と、すべてを把握していた。

あとは、いかに自分が早く走れるか、、、これに尽きた。

のろのろ歩いて、姉の友達の家にたどり着いても、姉が友達を家から誘い出し、どこかへ遊びにいって、私をまく、、、という事も十分考えられた。

なので、タッタッタッタッタッタッ、、、、。

私は、ずっと、だんだんと小さくなっていく姉の後ろ姿を目標に、走って追い続けた。

その時の、アスファルトに響く私の足音が、今でも耳にのこっていたりして、、、。

(私の基礎体力は、きっとあの頃、培われたものだと思う。。)

 

で、ハーハーいいながら、姉の友達の家に到着すると、家の前には、必ず、赤い自転車がとめてあり、ヌッハッハッ(笑)。

フーフーいいながら、ピンポーンを押すと、部屋の奥には必ず、”また来た~!!”と、ムッとした姉が立っていた。

姉は、”帰ってよー”と言わんばかりだったが、いつだって、隣にいる姉の友達は言った。

「あっ、、、ちはるちゃん、、、。 ねー、一緒にちはるちゃんも遊ぼー。 いいじゃない、りかちゃん。」

そう、姉の友達は、例外なく、みんな優しかったのだ。

姉には言われても、姉の友達に、「ちょっとー、、、帰ってよー!」なんて言われた事は、一度だってなかった。

 

、、、そういうわけで、私のブログにまごころ経由でコメントをくださる方が、昔の姉の友達とダブって仕方がない今日この頃。。

あの頃と少しも違わず、なんだか、心安らぐ、優しい方が多くて、コメントを読むと、なごやか~な気持ちにさせていただいています。。。

 

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いろんなボランティア

こんばんは~。

この間のパピーウォーカーの話のつづきになりますが、私が、デリアムを預かって2週間くらいたったある日、ピンポーン。

玄関を開けて、びっくり!

デリアムと瓜二つの子犬が2匹、私の目に飛び込んできました。

あとから、よ~くよ~く見ると、デリアムとは、目も鼻も口もぜんぜん違いましたが、パッと見は、まるで”三つ子”のようでした。

それもそのはず、私の前にいたのは、デリアムの兄弟だったのです。

たまたま、私の家の近く(、、、と言っても、歩いて30分くらいはかかりましたが)に、パピーウォーカーをしている方が二人いて、その日、犬の散歩がてら、私の家を訪ねて来てくれたのです。

 

その犬を連れていたのは、一人は、おじいさん。

もう一人は、小学生のお子さんがいるというお母さん。

しばし、”兄弟の再会”をデリアムたちは楽しんだ後、おじいさんに、「今度、デリアムを連れて、うちに遊びに来てください。 みんなでまた会いましょう。」というお誘いをうけ、その日は、さよならとなりました。

 

それから少したって、私とデリアムは、おじいさんの家に遊びに行きました。

おじいさんの家は、お孫さんが何人もいる、ワイワイとにぎやかな家でした。

そのおじいさん、パピーウォーカーを引き受けて、もう、これで8回目だと聞き、びっくり。

もう一人の方(お母さん)も、今回で3回目、と言っていた記憶があります。

おじいさんの家でしばらく過ごした後、近くに犬同伴でもオッケーという喫茶店があるということで、私たちは、ゾロゾロと犬を引き連れて歩いていきました。

三匹ともヤンチャ盛りで、テーブルの下ですったもんだありましたが、こういう経験を、犬が小さい時からさせておくことが大切だと、おじいさんは言っていました。

回数を重ねても、やがてくる、犬との別れが辛くないはずがありません。

なのに、こうやって、自分の貴重な時間をさいてボランティアを続け、そして、なにより、楽しく犬と暮らしているおじいさんは、とても魅力的でした。

 

私も、パピーウォーカーをして初めて知った事ですが、盲導犬育成に関わるボランティアは、パピーウォーカーだけではなく、他にもいくつかあります。

”お母さん犬”を預かるボランティアもあります。

これは、お母さん犬(このお母さん犬から、将来、盲導犬をめざすための子犬が生まれます。)をずっと預かり、赤ちゃんが生まれる時は、その出産のお世話をし、子犬がパピーウォーカーの手に渡るまでの約2ヶ月間、生まれた子犬全員の面倒もみるのです。

(ラブラドールレトリバーは、大きな犬なので、子犬も7~8匹生まれるようです。)

それから、リタイア犬を引き取るボランティア。

これは、盲導犬として仕事を終えた犬を家に引き取り、世話をするものです。

それから、もう一つは、デリアムのように、盲導犬としての適正がないと判断された犬を引き取って、自分の家の犬として育てるというボランティアです。

どのボランティアも、そのおじいさんのように、何度も何度も(何年も)続けている方が多い事に、驚きました。

 

街でばったり盲導犬に会うと、今でも、あの時のデリアムを思い出して、ハッとします。

そして、この盲導犬には、たくさんの人たちがかかわって、それぞれが、いろんな思いをこの犬に託してきたんだろうなあ、、、と、いつもしみじみ思います。

出会って、別れて、出会って、別れて、、、、を何回も続けて、今までいろいろあったはずなのに、ペタンと座り込んで、ちょっと上目づかいに、「ねっ、ボクも結構、これで、タイヘンなんだから~。。」という、余裕の表情をみせるこの犬に、今も私は魅せられています。

 

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パピーウォーカー(3/3)

前回ブログのつづき

 

ちょうど、デリアムの住んでいる家が、ダンナさんの実家の近くにあることがわかったのだ。

で、たまたま、そのお家の方と電話でお話しする機会があり、私が、”今度、里帰りする”という話になると、「、、、、会いたいでしょう? デリアムがあなたの姿を見て、思い出すといけないから、近くで会わせてあげることはできないけれど、遠くからだったらいいわよ。 会いに来ない?」と言ってくださった。

 

里帰りした日、私は、まっさきに、デリアムのところへ飛んで行った。

庭の広い、洋風の大きな家だった。

その家の門の前に立った時、ここに、あのデリアムがいるのかと思うと、心臓がバクバクして、早くも涙がでてきた。

 

大きなリビングに案内され、窓越しから見るデリアム。

デリアムは、お母さん犬や他の犬たちと一緒にじゃれて、庭を駆け回っていた。

ちょっと見ないうちに、見違えてるほど大きくなっていた。

でも、ヤンチャなデリアムはヤンチャな顔をしたまま、確かに、あのデリアムだった。

私とダンナさんは、カーテン越しに、隠れながらも、しっかりへばりついて、デリアムを見た。

もう、一生会えないと思っていた。

なのに、今日こうやって会えた喜びと、今日限りで、今度こそ一生会えないという思いが入りまじって、複雑な涙になった。

 

しばらく、お家の方といろいろ話して、そろそろ失礼しようと立ち上がり、玄関に向かっていたその時。

「あっ ダメ! デリアム!!」

私の後ろにいたお家の方が、”しまった!!”というような大きい声で叫んだ。

デリアムが、裏口から部屋の中に入ってきてしまったらしく、デリアムは、お母さん犬と一緒に私の方へ、まっすぐに向かって来た。

私は、本当は、一度手放したら会ってはいけないところを、ちょっとだけ、遠くから見るだけ、、、という約束で、こうやって会いに来たのだったから、デリアムが近づいて来る姿を見て、一瞬、焦って固まった。

”どーしよう、、、。 せっかく今の生活に慣れたのに、デリアムがとりみだすことになったら!!”

瞬間、今日会いに来たことを、後悔さえした。

 

、、、、が。

デリアムは、私とダンナさんの横をスーッと通過。

で、確かに、ふり向き、見るとはなく私たちを見た。

私としっかり目もあった。

にもかかわらず、なーんの感情もわかないらしく、ただ通りがかりの人を見る目で、チロッと私たちを見た。

「えっ??????」

お家の方も、それを見て、「はっ?????」

ダンナさんも、「へっ?????」

意外だった。

 

天動説と地動説。

どちらがホントかわからなかった時は、ヤイヤヤイヤと、多いに意見がとりかわされた事だろう。

私たちもまた、帰りの車の中で、”単純に、デリアムは、もう、私たちのことを、きれいさっぱり忘れてしまった説”と、”私たちと別れた事が、あまりにショックで、記憶喪失になってしまった説”の二つの説をめぐって、あーだらーこーだらーと、多いに意見をとりかわした。

が、ひとしきり話した後、ガックリと体の力が抜け、私にしては珍しく、なにもしゃべらずに、ただ遠くの景色を眺めるしかなかった。

、、、ナゾは深まるばかりだった。。

この時ほど、キツネにつままれたような気持ちになったこともなかった。。

でも、こういう性格だからこそ、盲導犬になる素質があるのかもしれない。

(盲導犬になるまでには、何回も飼い主が変わることになるのだから。)

 

デリアムと一緒に暮らしていた頃、「盲導犬になるって、大変なことだろうね、犬にとっては、、、。 デリアム、なんか、かわいそうだねー。。」と、まわりの人は、時折、口にしたけれど、私は、そんな風に思ったことはなかった。

飼い犬として、普通に飼われることも幸せだと思う。

でも、自分のことを心から求めてくれる人のそばで、犬としてではなく、パートナーとして生きることも幸せなんじゃないかなあ、、、と思った。

そういう人生もあっていいのではないかと思った。

 

風のたよりで、デリアムは訓練の結果、盲導犬には適さないということで、盲導犬にはなれなかったと聞いた。

「あ、、、そうなんだ、、、。」

それを聞いて、私は、正直、残念に思った。

あのまま、私が途中手放さずに育てていたら、結果はちがったのかなあ、、、。

けれど、ふーーっ。

大きなため息をひとつして、ホッとしたのも事実だった。

 

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ここまで(10位)これましたっ。

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パピーウォーカー(2/3)

前回ブログのつづき

 

”一軒家でも、ぜんぜん怖くない。”という人もいるけれど、私は苦手。

私の家は、閑静な住宅地にあり、夜は、物音ひとつしないような、シ~ンとしたところだった。

「キャー 助けて~!」と叫んでも、どこにも私の声は、届かないようなところ。

家族でたくさん、ワイワイして住むにはいいけれど、結婚してすぐに、特に、ダンナの帰りが遅い”怖がり”が、ひっそり住むようなところではなかった。

で、なぜか、私の家のまわりには高齢者が多く、右隣の家のおばあさんのところは、ときどき息子さんが遊びにくるけれど、ほぼ、一人暮らし。

なので、夕方5時になると、雨戸という雨戸をピシャーっと閉めるようなお家。

左隣は、空き地。

で、道路はさんで前の家は、やはり、おばあさんがネコといっしょに、一人で住んでいた。

だから、夜になると、あたりはひっそりと静まり返り、家の中の明かりもどこへやら、完全にシャットアウトされるような家々に囲まれていたので、真っ暗になった。

 

”空き巣”も大流行していて、近所の母の友人宅は、みんな、一度は、空き巣にやられていた。

まあ、空き巣ならよいのだけれど、私の家の斜め前の家なんか、おばさんが、朝方トイレへ行こうと、テクテク廊下を歩いていたところ、泥棒とばったり鉢合わせになって、そりゃーもー、驚いたどころの話じゃーなかったらしい。

その日、その斜め前の家に駆けつけた警察の人がピンポーン。

私の家にやって来た。

ドアを開けると、サーッと玄関まわりを見渡しながら、

「前の家、ねっ、泥棒入りましたからー。 お宅も、木がうっそうとしていて、危ないですよ~、泥棒。

こういう家が一番ねらわれやすいんです。

あなた、この家にお一人?

まっ、せいぜい、戸締りでもして、気をつけてください。」

と言い、「じゃ、失礼します。」と言って門扉を閉める前に、もう一度、かみしめるように、サーッと庭を見渡したかと思うと、首をヒョコっとひねりながら、小声で、「や~、、、危ないなー、ここも、、、。」と、ひとこと付け加えることを忘れなかった。

そんなこと言われたって、、、。

こういう話は、”怪談”といっしょで、話を聞いたその時より、ちょっと時間がたって、暗くなってきた頃、ゾゾゾーっと、恐ろしさが加速してくるものだ。

それからしばらくは、夜になると、ドクドクドクドク、私の心臓は高鳴った。

 

そんな中、だんだんと体も大きくなるデリアムがいてくれることは、用心棒にもなって、頼もしかった。

でも、夜中(1時とか2時とか)、まだダンナさんが帰ってこない時に、”トイレに行きたい!”とデリアムに言われた時には、さすがにサーッ。

血の気がひいた。

デリアムを庭に放して、”さー トイレに行っておいでー!”と言えれば楽だけど、その頃、デリアムは、塀をのり越えて、スキあらば脱走を考えているらしかった。

それがそばで見ていて、手にとるようにわかったので、他人様の犬を預かっている身としては、夜中に脱走なんてされるわけにもいかず、、、。

ということで、そんな真夜中にも、首にロープをつけて、暗い暗い庭にでて、「ワンツー ワンツー。」、、、泣く泣く、連れて行くしかなかった。

今思い出しても、ひえ~ こわかった!!

 

そんなこんなのデリアムとの生活に、思いがけず、幕を閉じなければならない日がやってきた。

たった5ヶ月だった。。

予想外のダンナさんの東京への転勤。

転勤の辞令がおりて、1週間後には引越ししなければならなかった。

デリアムを残して遠い地に行かなくてはならないなんて、、、。

決められた期間、飼える予定で引き受けたパピーウォーカーだったので、途中で手放さなければならなくなった事が、本当に申し訳なかった。

残念で仕方なかった。

 

デリアムは、訓練をはじめるには、まだ時期が早いということで、訓練がはじまる日まで、自分のお母さん犬(デリアムの生みの親)のいるお家に引きとられることになった。

もうこれで一生デリアムと会うことができないかと思うと、その悲しみは、覚悟はしていたけれど、想像以上のものだった。

涙、涙、涙だった。

東京へ行ってからも、せつない気持ちは、つのるばかりで、私は、ピアノを弾きながら、”デリアムの歌”(へたっぴな歌)をつくり、毎日、メチャクチャな歌詞で歌っては、泣き、また歌った。

 

後から聞いた話では、デリアムも、私と別れてからしばくは、ガックリとうなだれ、まったく元気がなくなり、血まで吐いたそうだ、、、。

デリアムと別れてから4ヶ月後、思ってもみなかったことだったけれど、私は、デリアムと再会することになる。。。

 

次回につづく

 

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おかげ様で今日も10位です。

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パピーウォーカー(1/3)

結婚してまもない頃した、パピーウォーカー。

ほんのひと時だったけれど、いっしょに暮らした”デリアム”。

今も元気だったら、12歳のおじいさん。

デリアム、どうしてるかなあ。。。

 

パピーウォーカーは、将来、盲導犬をめざす子犬を、訓練がはじまる日まで、一般の家庭で預かるもの。

ある日、夜遅く、テレビをつけたら、パピーウォーカーの番組があっていた。

私は、犬、、、特に大型犬が好き。

あー、、、。 いつかまた、犬が飼える日がきたらいいなあ。。”そう思いながら見ていた。

と、突然、番組の終わりに、”パピーウォーカー募集中です!”という事で、問合せ先が紹介されたので、私は、あわてて、近くにあった紙にメモして、さっそく次の日の朝、電話して申し込んだ。

(ちょうどその時、私は一軒家に住んでいたので、犬を飼うには、もってこいだった。

転勤族なので、もう犬は、一生飼えないとあきらめていたのだけれど、こういう形で、短い間でも犬と一緒に暮らせる選択肢があることを、今まで思いつきもしなかった。

パピーウォーカーは、一緒に暮らす期間が、10ヶ月~1年と、最初から決まっている。

でも、その期間が終われば、かわいい盛りに、途中で手放すことになるのだから、どれだけつらい思いをしなければならないのだろう、、、。

私は、一瞬、受話器を持つ手をやすめて考えたけれど、そういう思いをする事を含めてのボランティア、、、、というよりは、そういう思いを引き受ける事こそ、パピーウォーカーの大きな役割の一つなんだろうなあ、、、と思ったので、私に迷いはなかった。)

 

それから数ヶ月待って、やってきたのが、デリアム。(名前は、私の家に来る時には決まっていた。)

ラブラドールレトリバー・♂・生後2ヶ月。

家の中で飼う事。

家の中にケージ(犬が寝る時などにつかうオリ)を置く事。

食べ物は、指定のドックフードのみ、他の食べ物は、いっさいあげない事。

トイレは、決まったところでさせる事。

早い時期から車に乗せたり、いろんな経験をさせてあげる事。

予防接種に行く事。

などなど、いくつかの決め事があった。

そんな中、私が今でも、”奥深いなあ、、、。”と思う決め事が、”パピーウォーカーの心得”のような冊子に書いてあったのを思い出す。

それは、”適度な愛情をもって育てる事”。

”甘やかされて、溺愛されて育った犬は、人間に対して冷酷になる。

愛情をかけられずに育った犬は、人間に対して無関心になる。”というもの。

どこまでが甘やかしで、どこまでが愛情なのか、その線引きは、とても難しいことだけれど、なるほど、これは人間の子供の子育てにも通じるなあ、、、と、今、あらためて思う。

 

デリアム、、、いやー、もー、とにかく、かわいかったー!!

初めて、デリアムと会った、あの日のことは忘れられない。

クリーム色の短い毛足で、足は骨太で、しっかり太く、クリクリの大きな瞳。

「かわいい~!」抱きつかずにはいられなかった。

私は、これから、デリアムと一緒に暮らせるのかと思うと、うれしくてうれしくて、家の中を飛び回った。

 

寝る時は、ケージの中で、肌色のお腹を上にして、手足をガッと豪快に伸ばし、大の字になって寝た。

誰にでもシッポをふって、社交的な性格で、ひとなつっこかった。

エレクトーンを習いに来ている子供たちにも、大人気だった。

かわいかった、、、が、相当なワルでもあった。

子犬の時期は、みんなそうであるけれど、それにしても、悪かった。

片っ端から靴という靴は、かみちぎり、家の中を走り回った。

当時、私の実家に私は住んでいたのだけれど(ちょうど両親が転勤のため、家をあけていたので)、母・よしこは、「和室にだけは、あげないでちょうだいね!」と念をおし、「わかったー。」

よしこと私は、約束した。

で、「ここ(和室)、ノー!」(これも決め事で、ほめる時は”グッド”、ダメな時は、”ノー”と言う。)

私とデリアムは約束したのだけれど、、、、和室の畳がささくれて、メチャクチャになるのに、そう時間はかからなかった。

 

あまがみも、すごかった。

デリアムは、ランクというものを、自分の中できっちり決めており、私は”ボス”と思われていたらしく、私の言う事は、よくきいたけれど、ダンナさんは、自分の手下と思っていたようで、カンペキになめていた。

だから、そのあまがみも、ダンナさんには、心置きなく、遠慮なくしていたようで、「痛い~!!」 「げっ 血がでた~!」というダンナの悲鳴を、当時、よく耳にした。

 

トイレは、庭の隅に連れて行き、「ワンツー ワンツー。」という、決められたかけ声とともに、トイレを決まった場所にするよう促す。

すると、デリアムは、あっという間に覚え、家でそそうをする事は、ほとんどなかった。

賢かった。

家の中にいる時に、トイレに行きたくなると、私をドアの方に引き寄せ、教えてくれた。

トイレは順調。。

が、このトイレ、夜が大変だった。。。

 

次回へつづく。

 

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おさがりの日々<後編>

<前回ブログのつづき>

 

今度は、ブーツの話。

ある日、私の友達が、バッテンバッテンの紐の編み上げのあるブーツをはいて、私の家に遊びに来た。

自転車に乗って、ブーツをはいた友達の姿にびっくりした。

まぶしかった。

私も、さっそくよしこに、「ちはる(私のこと)も、ブーツ買ってー!」。

が、よしこは、「・・・・はっ? ブーツ? ブーツ?? なに言ってるのー、子供は運動靴で十分よ~。 だいいち、そんなのはいて、ちはるはどこへ行くの?」

と、予想通り、あっさり却下。

 

で、ブーツの事はすっかり忘れていたある日、家に帰ると、よしこが、「ねー ちはる、あの箱、開けてみて~!」と、ニコニコしながら言う。

箱を開けると、サイズぴったりのブーツが横たわっていた。

「わっ ブーツ!!」

そのブーツ、もちろん新品ではなく、よしこの知り合いの子供のおさがりのブーツだったのだけれど、もう、私は、嬉しくて嬉しくて有頂天になった。

さっそく、そのブーツをはいてみた。

子供のブーツなのに、かなりヒールがあって、はくと、スルスルっ スルスルっと、すべるような感じだった。

「わっ、、、なんか、、、ブーツって、こんなに歩きにくいものなの??」と、玄関を歩き回りながら言う私に、「そうよー。 ねっ、だから、子供は運動靴が一番なのよ! 言ったでしょ~?」よしこは、それごらんとばかりに言った。

 

ある日、私は、それをはいて、よしことデパートに行く事になった。

初・ブーツ。

スルスルっ スルスルっと、すべる感じで、なるほど、いつもの運動靴とは、わけが違う。

「ちょっとー しっかり歩いてよ~。」と、よしこに言われながらも、私は、なかなか重心がとりづらく、うまく歩けず、よしこに寄りかかりながらバス停へと向かった。

「なーに、、、、ブーツって結構大変なんだなあ、、、。 この間、よしこにムリ言って買ってもらわなくてよかった、、、。

やっぱり、運動靴が一番だ、、、。」と、バスを待ちながら思った。

 

その日は、雨が降っていた。

私たちは、バスに乗り、一番後ろの座席に座った。

しばらくして、街に着き、”さあ、降りよう”と、私が立ち上がった瞬間、事件は起きた。

バスが急停車したこともり、ダダダダダダダダダー!!

ものすごい音とともに、私は、すべって、転んで、ひっくり返って、そのまま両替機の機械に直撃していた。

その音とは対照的に、一瞬、バスの中は、シ~ンと静まり返った。

そう、昔のバスは、床の部分が木の板になっていて、雨が降るとすべりやすかった。

が、原因は、そんなことではなかった。

あろうことか、私のブーツにあったのだ。。

 

私は、何がなんだかよくわからず、とりあえず、バスから降り、そして、とりあえず、”この靴は、とんでもなくすべる”、、、ということを、よしこに、あらためて訴えた。

「ちょっと、その靴、見せてー。」と言い、ブーツの靴裏をのぞきこんだ、よしこのビックリした顔は、今でも忘れられない。

「まーっ! あらヤダ!! ちはるちゃん、この靴、裏にラバー(滑り止め)がないじゃない!! これじゃー すべるはずよー!! ヒーっ!(笑う声) あらヤダー!!」

よしこは、それから、こんな事になって本当に申し訳なかったと私に何度も謝ったが、申し訳なかった割には、その間も、ずーっと、ふきだしては笑っていた。

ほんの一瞬、真顔になっても、バスの中でのことを思い出しては、また、ヒーヒー笑い、笑いすぎてお腹に力が入らないらしく、道にうずくまっていた。

おさがりってものは、本当におそろしいもんだ、、、ある意味、命がけだったりして。。。

 

でも、よしこは、さっきの一件で、さすがに私がかわいそうになったらしく、「こんな事になるとは、ママも思わなかったわ。 うん、今日、ブーツ、買ってあげる!」

私たちは、そのまま、靴売り場へ直行した。

なかなか”おニュー”にありつける事のない私としては、ちょっと痛い思いはしたものの、とんだ”棚ぼた”だった。

新しく買ってもらったブーツは、かわいくて私のお気に入りだった。

なによりも、すべらないところが気に入った!!

 

それにしても、あのブーツをはいていたのであろう、よしこの知り合いの子供は、いったいどうやって、あの靴をはきこなしていたのだろうか。。

私は、今でも、そのことが、ナゾでナゾで仕方がない。。。

 

P.S.

もし、私があの日、バスでひっくり返っていなかったら、きっと、ブーツは、すべるものなんだ、、、とそれなりに納得して、はき続けていたに違いありません。

スケートシューズのように。。。

 

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おさがりの日々<前編>

私が初めてブーツを買ってもらったのは、小学3年生の冬。

もー それはそれは、うれしかった。

けれど、”妹は、おさがりね。”という宿命の中、このブーツひとつにしても、妹の私が新品をゲットすることは、なかなか大変だった。

 

私と姉は、年子。

小さい頃、よく、母・よしこは、私たちに手作りのスカートを作ってくれた。

ダダンダダンダダン、、、、足踏みミシンの音とともに、出来上がるスカート。

いつも、おそろいのスカートだった。

毎回、「はーい、もうできたわよ~! 早いでしょ~。 型紙なしでできるなんて、ママって天才かしら~?!」という言葉とともに差し出されるスカート。

うれしかった。

 

でも、この天才、仕上がりが早いだけでなく、なかなか仕事も細かかった。

スカートの丈を伸ばせるようにと、たっぷり布をとって縫われていたし、スカートのつり部分も十分長く、余裕をもって布をとっていたので、ボタンをつけかえると、私たちの成長とともに、スカートの方も、自由自在に成長できるしくみになっていた。

なので、子供の洋服は、だいたい1年もすれば着られなくなるのが常であるけれど、よしこが作ってくれたスカートは、2年は着れた。

で、”やっとスカートが小さくなった!”と、ホッとする間もなく、姉のおさがりが自動的に私の前に現れるので、私は、相当長い間、同じ色・同じ柄のスカートを着なくてはならなかった。

(赤い生地に星の模様がいっぱいついたスカートなんか、いったい何年着ていただろうか、、。

私のアルバムには、めくってもめくっても星がつづき、ドロンパ<おばけのQ太郎に出てくる、胸に星マークのあるキャラクター>でも飛び出してきそうなページがある。)

、、、、ということで、これから幾年月、このスカートと付き合うことになるのだろうと思うと、この手作りスカート、”妹”としては、喜んでばかりもいられなかった。

 

姉は、おさがりがないので、洋服が小さくなったら、よしこに適当に買ってもらっていた。

それを見て、「ちはる(私のこと)も買ってよー! りか(姉のこと)ちゃんのおさがりばっかりイヤだー!!」と、よしこに訴えた事もあったが、いつも、すんなり却下。

でも、たまーに、そんな私のダダに耐えかねて、「じゃ、1枚だけ買ってあげる。 いーい? 1枚だけだからね!」

そう何度も念を押してから、私をデパートに連れて行ってくれた。

デパートに着いてからも、やれ、”りかちゃんの洋服があるでしょー。”とか、”ちはるは、本当にわがままだ”とか、よしこは、モニャモニャモニャモニャ言っていた。

まー仕方ない、、、この手のグチを聞かされることも、妹の宿命だ。。

が、そんなことよりも、今日この日に、私のためだけの洋服を買ってもらえる喜びの方がはるかに上回っていたので、私は、ワクワクしながら、デパートの隅から隅まで、ここぞとばかりに歩き回った。

デパートでグルグルとまわる中、よしこの”1枚だけ”という言葉だけが、私の頭をこだました。

 

ようやく、たくさんの気に入った洋服の中から、ふるいにかけられ、かけられた1枚。。

「じゃ、ママ、これ。」

私は、いつも、そう言っては、よしこを困らせ、あきれさせた。

「なーに、、、これ? こんなの着て、ちはるは、どこへ行くの??」

不思議と、およそ日常からかけななれた、ピアノの発表会とかに着ていくには、しっくりきそうな、“フォーマルコーナー”で、ピタリと私の足は止まった。

時に、ドレスのような服だったり、時に、毛皮(もちろんニセ物)のような真っ白いコートだったり。。。

で、もちろん、それから、店員さんを前に、「こんなの買わない。」 「買って!」 「買わない。」 「買って!」と、すったもんだあるのだが、最後には、「ママ、1枚だけ買ってくれるって言ったじゃない! だから、今日は、ものすごく楽しみにして来たのにー!!」と、泣き落としにかかり、結局、渋々、よしこは、「もう、ちはる、、、覚えときなさい。。 絶対にデパートには連れてこないからね。。」というセリフを言い残して、足取り重く、がっくりとうなだれながら、レジへと向かっていた。

 

家に帰った後、袋を開けて自分だけの洋服を手にする喜び、、、あれは、なんともいえなかった。

いつもは、「これ、かしてー。」 「ダメー。」 「まだー。」 「あとでー。」

この手のことで簡単にケンカをする姉妹だったけれど、”りかちゃんには小さいから、これだけは、かしてあげたくてもかしてあげられない。。”、、、そう思うだけでニヤけてしかたなかった。。

 

次回につづく。

 

P。S。

コメントをいつもありがとうございます。

pecoさんの、”ノーシューズ” ”ノーマネー” ”ノーパンツ”には、笑いました!

お父さん、一枚上手です!!

それにしても、ギャラリーの多い社宅ではなく、裏庭だった、、、ということで、(他人事とは思えませんっ)私も、ホッとしました。。

 

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ぜんぜん関係ありませんが、今日は、姉のバースデー。

、、、というわけで、よろしくおねがいしまーすっ。

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ノーシューズ・ノーマネー

私は(姉も)、子供の頃、家からよく追い出された。

聞けば、ダンナさんも、追い出された記憶はあるそうだ。

でも、「最後に追い出されたのは、小1くらいで、それ以降はなし。 追い出された合計回数は、片手で十分たりる。 靴は、ちゃんとはいていた。」、、、というもの。

私の場合は、「全盛は、小1~小3。 追い出され回数・多数。 靴なし。」、、、と、はるかに条件が悪い。

 

私と姉が追い出される原因となった事は、100パーセント、ピアノ関連といっていい。

前のブログ(「子供の頃の習い事・ピアノ編」)にも書いたけれど、とにかくその頃、ピアノの練習がいやでいやでたまらなかった。

で、母・よしこに怒られながら、仕方なく、ピアノのイスに座る日々が続いていたのだが、あまりのやる気のないピアノの音色をききつけて、時折、何の予告もなく、猛烈な勢いでキッチンからよしこがダダダーッと飛んできて、「そんなにいやなら、もう弾かなくていい! 出て行きなさい!!」という言葉とともに、ものすごい勢いで、あっという間に玄関の外につまみ出された。

よしこがキッチンから飛んでくる瞬間、私は、”マズイっ!”。

いつも反射的に、ダッコ人形のように、ガバッと、ピアノの脚のところにしがみつき、「弾きます! 弾きます! 今からちゃんと弾きます!!」と叫び、難を逃れようとしたが、時すでに遅し。

よしこは、容赦しなかった。

 

当時、私は、4階建ての社宅の3階に住んでいた。

ピアノの練習を夕方していたこともあり、だいたい、追い出される時間は、日ももうすぐ落ちようとする、夕暮れ時、、、というのが圧倒的に多かった。

靴さえはかせてもらえれば、追い出される事は、きっと、それほど大したことではなかったと思う。

けれど、靴さえはく猶予もあたえられず、猛スピードで、私たちは外へポイっ。

これがどーして、私たちの苦労の種だったのだ。

 

私たち姉妹は、”靴がない”ということは、これからどういう事を強いられることになるのか、お互い、よーくわかっていたので、暗黙の了解の中、追い出された方には、”なるだけ靴を提供しよう”という、協定みたいのが結ばれていた。

が、この協定、いかんせん、その日の私たち姉妹の姉妹仲、そして、何と言っても、よしこの怒り度に左右される、かなり不安定なものだった。

それでも、追い出された後は、その、”たよりない協定”だけを頼りに、私は、玄関のドアのヤクルトボックス(新聞受けの下に、ヤクルト置き場のようなボックスがドアにはめ込まれていた。)をパカパカ開けては、チャンスをうかがった。

 

だいたい、私が追い出された場合、姉は、それから直ちにピアノのイスに座り、いつもとは明らかに違う、きびきびとした音でピアノを弾く。

その音色がふっと止まった時、、、その時こそ、ヤクルトボックスを開けるべき瞬間だった。

姉が奥の部屋のふすまを開け、玄関の前にフーッと現れたとき。

私は、小声で、「りか(姉のこと)ちゃ~ん、、りかちゃ~ん、、、くつー、、くつとって~。」とささやく。

もし、気付いてもらえれば、私は、ヤクルトボックスから靴を受け取り、「ありがとね~!!」

この時ほど、”姉妹ってありがたい!!”と思う日はなかった。

心から姉に感謝したものだ。

が、時に、姉にそうささやくと、奥の部屋にいるよしこが、その気配に気付き、「りかちゃん! こっちに来なさい! 玄関、電気消して、ふすま閉めときなさい! 靴なんか渡さなくていいわよ!」という声に、姉は、「は~~い!」。

あんな軽やかな声を、いったいどこから出せるのかという程、姉は、ここぞとばかりに、ヤケに素直な返事を返し、電気をパチッ。

ふすまをパンッ。

おかげで、玄関は真っ暗になり、あの時ほど、姉妹なんて本当にあてにならない、、、と思った日はなかった。

 

、、、、が、大変なのは、ここからだった。

夕暮れ時、、、というと、そろそろ社宅の子供たちが家に帰ってくる頃であり、お母さんが買い物から帰ってくる頃であり、お父さんだって、ちらほら家に帰ってくる頃であった。

社宅には、私と同年代の子供たちが、わんさかいた。

”裸足”で、何事もなかったように装うことはできない。

でも、できれば、何事もなかったことにしたい。。

、、、そういうお年頃だった。

だから、下からトントントン、、、と、誰かが階段を上がってくる気配を感じては、私は、裸足のまま、ペタペタぺタっと猛スピードで階段を駆け上り、屋上の踊り場の所で息をひそめる。

そこには、こうもりがいた。

真っ黒いこうもりが天井にぺタッとはりついていた。

あー おそろしかった! あそこのこうもりたちと目があうのは、もちろん、その時だけだった。

よく考えれば、そのままそこに、ずっと座っておけばよかったのだけれど、ずっと座っていられるほど気持ちのよい場所でなかったこと。

そして、いつ、なんどき、よしこのお情けにより、鍵が開くともわからないし、又、いつ、姉が改心して、私に靴を渡す気になってくれるか、わからなかった事から、追い出された際の定位置である、”自分の家のドアの前”に、人気がなくなるのを確認して、私はすぐに戻っていった。

で、今度、上から、トントントン、、、と、誰かが階段を下りてくる気配を感じては、私は、ハイスピードで階段を下り、1階の郵便ボックスが置いてあるスペースの奥に座り込み、隠れたものだ。

そう、まるで、私は、忍者のようだった。

が、この忍者が困ったのは、何と言っても、上からトントントン、、、と、誰かが降りてきたのと同時に、下からトントントン、、、と、誰かが上ってきた時だった。

はさみうちにあった時ばかりはお手上げ、、、そこはもう、笑うしかなかった。

 

私が追い出された時は、しばらくピンポーンピンポーンをずっとならし、ドアをドンドンドンドンとけたたましく叩いたりしていたので、今思えば、社宅の人も、”あっ また。。。”と感ずいていたに違いないので、ジタバタすることなんてなかったと思う。。

けれど、”突然つまみだされ、裸足でヒヤッとする冷たいコンクリートの上に立たされた者”にしかわからないであろう、あの何ともいえない、”心もとなさ”と”焦り”とが、私を上に下に走らせた。

むろん、姉も走っていた。

 

今、子供にGPSを持たせようという時代を考えると、追い出されていたあの頃は、平和だったのかもしれない。

(とは言え、今、この時代に私が子供だったとしても、もちろん、よしこは、私をつまみ出しているとは思うけれど、、。)

 

それにしても、あの時、グレなかったのは、靴がなかった事と、ポケットに少しのお金も入っていなかった事に尽きると思う。

家の玄関の前をウロウロするよりほか、どこにも行く事ができなかったのだから。。

 

立場変わって、もう少ししたら、私も自分の子供を追い出す機会がきっとあると思うけれど、”ノーシューズ・ノーマネー”。

これだけは、きっちり、よしこから引き継いでいこうと思う。。

 

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雨の日のバス停<後編>

<前回ブログのつづき>

                                                        

その女性に会ったのは、その時、一度きりだった。

朝のラッシュ時、忙しい時間帯に、わざわざ私のところへ来てくれて、メッセージを残していってくれた女性。

今でも、彼女が着ていた水玉模様のレインコートとともに、私の記憶に鮮明に残っている。

なんでもない日の、なんでもない雨降りのある朝、思いがけず私の耳に届いた言葉。。。

それは、不意打ちであり、それだけに、胸にズドンときた。

そうちゃんに障害があることは、日々、実感する事実であり、長女や次男を育てるにつけ、またあらためて、成長の違いをまのあたりにする。

でも、一方で、私の中では、障害のあるそうちゃんは、いつの間にか、特別なことでない”日常”になってきていたからかもしれない。

彼女が去った後、ポタッポタッポタポタッ、、、、という、傘に落ちる大粒の雨の音が、あの日はやけに響いた。

                                                            

健康な子供のお母さんもいろいろであるように、障害をもつ子供のお母さんもいろいろ。

ゆえに、子供の将来についての考え方もいろいろだ。

けれど、あの日の朝、私は、障害があっても、子供っていうのは、自分とはまったく別の道を行く、“個”なんだなあ、、、とあらためて感じた。

そう、、、思えば、それは、赤ちゃんがお腹にいるときからわかっていたはずの事、、、。

赤ちゃんがお腹にいるとわかり、ちょうど5ヶ月目くらいになる頃から、”胎動”があるけれど、それが、赤ちゃんが大きくなるにつれ、だんだんとダイナミックになってくる。

しまいには、お腹をユサユサ揺らすほどまでになる。

”そろそろ寝ようかなー。。”と思って横になっても、赤ちゃんは、おかまいなしに、ドンドンゴロゴロとお腹のあっちこっちをキックして、寝苦しかったっけ。。

あの時、思った。

「はあ、、、。 赤ちゃんって、私のお腹に一緒にいるっていうだけで、私とはまったく違う人間なんだなあ、、、。」って。

                                                                

「親」という字は、”木”の上に”立って””見る”と書く。

”木の下に親がおりて、あまりに近すぎるところで親が見ていては、子供を監視する事と同じ事になるので、それじゃあいけないんです、、、。”と、いつの日だったか、テレビで言っていたのを思い出す。

それを聞いた時、”なるほどなあ、、、。 親っていうのは、遠くまでサーッと見渡すことができるように木に登って、視野を広くもつ。

そして、向こうから危険が近づくのを察した時、いちいち急いで下におりて行って、子供を保護するのではなく、「もうそろそろ危険が近づくよー! 覚悟しときなさーいっ!!」と、木の上から、下にいる子供に叫ぶくらいの気持ちで見守ることのできる人が、「親」と呼ぶにふさわしい人なんだなあ、、、。”と感じたのを思い出す。

危険だからと、いつまでも自分の手の届くところに置いておくことは、子供のもつ、いろんな可能性をもつんでしまうことさえあるのかもしれない。

”親”といっても、一人の人間。

人間が人間にできることなんて、そう多くはないのかもしれない。

                                                              

私にも、子供をさっと手放さなければならないタイミングが、いつの日か必ず来ることを思うと、だからこそ、今、楽しめる事は楽しんでおきたい。

学校大好き、バス大好きで、毎朝、高揚しながら、鼻歌を歌い、妹と弟の乗る双子用ベビーカーを私と一緒に押しながら、小走りにバス停へ向かうそうちゃん。

帰りは、スクールバスをおりてから、ひと時、バス停のベンチに座り、大好きなバス見学。

(バスの番号と行き先をずーーっと私に聞き続ける。)

その横で、私は、いちいち、「はーい。 10番。 00行き~。」と答えながらも、ちゃっかり隣で読書タイム。

、、、そんな暮らしのひとこまを、大切にしたい。

「そうちゃん おかえり~。」

今日もまた、そうちゃんのバス停まで行ってきまーす!

                                                                

P.S.

でも、これ、お迎えの時間に遅れたら、大変なことに!

もし遅れたら、スクールバスは、終点(学校から1時間かかるところ)まで、子供とともに行ってしまい、そこから子供はタクシーに乗って学校へ直行することになっており、親は、その時間をみはからって、子供と引き換えにタクシー代片手に学校へ迎えに行く、、、というシステムになっている。

毎日、お迎えの時間はまちまちなので、うっかり者のこの私が、今までタクシーのお世話にならなかった事は、まあ、言ってみれば、奇跡のようなもの。。。

その話をしたら、母・よしこは、「は~。。。ちはる(私のこと)ちゃん、よく毎日遅れずに行けるわねー。 すごいわー。

ママだったら、毎月、タクシー代、いくら払ってるかわかんないわ~。」と言っていたっけ。。

確かに、、、。

確か~に!!

                                                             

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雨の日のバス停<前編>

そうちゃん(長男・10歳)は、養護学校・小学部4年生。

養護学校は、小学部・中学部・高等部という呼び方をする。

(なんだか、私立の名門校みたいで、ちょっとかっこいい~。)

小学部・中学部は、スクールバスに乗って通学。

で、高等部になると、スクールバスには乗れなくなり、自分一人でバスや電車に乗って通える子供は、そうやって通学。

それができない子供は、保護者と一緒に通学。(バスだったり、電車だったり、マイカーだったり。)

養護学校の子供たち、、、知的障害とひとくちに言っても、程度も個性もまちまちで、すぐには障害があるとは思えないような程度の軽い子供もいるけれど、高等部になったとたん、自分一人でバスに乗って、学校に通える子供、、、となると、そう多くはいないと思う。

 

そうちゃんが、幼稚園(知的障害のある子供が通う幼稚園)だった頃、”勉強会”に参加した時の事。

そこには、いろんな年齢層の”障害のある子供をもつお母さんたち”が来ていた。

で、勉強会もあともう少しでおしまいという時になって、サッと、あるお母さんが立ち上がり、「あのー、、、。 私、これから息子を迎えに行かないといけないので、お先に失礼させていただきます。」と言い残して、会場をあとにした。

私は、ハッとした。

「今から、、、お孫さんのお迎え?」と言った方がしっくりくるような、白髪の、そう、70歳はゆうに過ぎていると思われる、背中の丸い女性だった。

”あっ、、、そっか、、、。 私も、そうちゃんのこと、これから、そうちゃんが何歳になっても送迎していくのかー、、、。”

パタンと閉まった扉を目で追いながら私はそう思うと、なんだか不思議な気持ちになった。

その時も、私は、そうちゃんをバス停まで送迎していたけれど、当時、そうちゃんは、まだ幼稚園生。

そうちゃんのまわりの同年代の子供たちのお母さんも、私と同じように、幼稚園のスクールバスのところまで送迎しているのを身近に見ていたので、特に”子供の送り迎え”について、気をとめたことはなかった。

 

あれから数年がたち、今も私は、毎日、送り迎えのためにバス停へ。

でも、この送り迎え、私、実は好き。

4年生にもなるんだから、一人でプーッと出かけてくれて、フーッと帰ってきてくれたら、そりゃそっちの方がもちろんいいけれど!

でも、心のどこかで、こうやって、そうちゃんのスクールバスまで送迎できる日々を大切にしたいな、、、という思いがある。

そう思うきっかけになった事が、いつだったか、2年くらい前かな、梅雨の雨降りの日にあった。

 

ある朝、私は、バス停でスクールバスを待っていた。

(そのバス停には、そうちゃんの他、あと3人、養護学校のお友達がいる。

毎朝、みんなで、バス停からちょっと離れた駐車場のところで、スクールバスを待つ。)

そうちゃんと傘をさして、今か今かとバスが来るのをのぞき込んでいたら、ふっと、女性と目があった。

バスを待っているらしく、バス停のところに立っていた。

その女性は、60歳すぎくらい。

私ではなく、息子のそうちゃんを、じーっと見ていた。

見つめていた。

ときおり、うなずきながら、あたたかい、何ともいえないまなざしで、そうちゃんを見つめていた。

”あっ、、、。 あの方のお子さんも、障害があるのかなあ、、、。”と、私はその時ピンときた。

、、、と思ったとたん、その女性は、ゆっくりと私とそうちゃんのところへ吸い寄せられるように近づいて来た。

「今から 学校ですか?」

そして、「何年生?」

ゆっくりした口調で聞き、やはり、自分の娘さんにも重い知的障害があり、昔、養護学校へ通っていたが(その頃は、高等部がなく、中学部が終わったら、もう卒業だったらしい。)、中学卒業と同時に施設に入り、今も、その施設に入所しているということだった。

その女性は、「あー、、、なつかしい。。。」

そう言って、そうちゃんの手をにぎったり、頭をなでたりした。

 

間もなく、スクールバスが来て、そうちゃんがバスに乗り込む番になると、その女性は、そうちゃんが乗り込むのを後ろから支えてくれ、「行ってらっしゃーい!」と言った。

そして、ニコニコしながら、そうちゃんがバスに乗ったのを見届けた後、クルリとバスに背を向け、私に話してくれた。

「こういう子供はね、お友達と一緒に遊ぶこともできないから、かわいそうでしょ。。 だから、私は、娘を中学部卒業したらすぐに、施設に入れたの。

一生、安心して生きられる場所をみつけてあげないと、この子たちはかわいそうですよ。。

それがこの子たちにとっての幸せだと思うんです。

親が年をとってもぎりぎりまで面倒見て、それから仕方なく施設っていうのが、一番かわいそうだと思って。。。

手放すことは、勇気がいることだけど、とても大切なの。」

そして、「だからこそね、親が元気なうちに、いい施設を見つけてあげないとね。。

私は、子供が中学部卒業するまでに、なんとかいい所を見つけてあげようと思って、それこそ全国、施設という施設を訪ねてまわったの。

施設は絶対に、自分の目で見ないといけません。

それで、ようやく、ここなら子供を安心して預けられる、、、っていう所を見つけて、今、そこに娘はいるのよ。

私は、本当にそれでよかったと思っているの。」と、ゆっくりと、でも、何か、ものすごく説得力のある、芯のある口調で言った。

そう言った後、その女性は、養護学校のバスに続いてやって来たバスに乗り込み、私に手をふりながら、足早に去って行った。

 

次回につづく。

 

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口ぐせ

最近の子供たちの口ぐせ。

そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ):「さっ!! さっ!!」

 (参考:手をパチンとたたきながら、威勢のよいかけ声のみ。)                                             

長女(2歳):「まっ いっか!」 「ねー 仕方ないよね~。」

次男(1歳):「はーーい! はーーい!」

で、これ、そのまんま、私の口ぐせだったりするので驚きだ。

 

そうちゃんの、「さっ!! さっ!!」。

これは、私が、”ごはんの準備” ”お風呂” ”お布団敷き”、、、と、行動を切りかえる時、「さっ!! お風呂に入ろうか~!」 「さっ!! お布団敷こうかな~!」などと、何度も何度もかけ声をかけている模様。

どうやら私はそうやって、自らを奮い立たせながら、次の行動へと移るらしく、それを、そうちゃんが真似たもの。

やはり、かけ声なしに、この三人衆(そうちゃん・長女・次男)に囲まれ、次の行動にでることは難しい。

 

だって、、、。

”布団を敷く”という、何でもない事にも、私の仕事を阻むものが次々と現れる。

和室へ行き、私が押入れをサーッと開けると、長女がスーッと背後からやって来て、「今、ここでピョンピョンしてるからダメ~! お布団はまーだー!!」

今までピョンピョンなんかしていなかったのに、突然ジャンプの練習らしき事を和室で始める娘。

ふとリビングを見ると、コンポの上に仁王立ちになった次男が、時折よろけながら、誇らしげに手をパチパチしながら、天を仰いで笑っている。

”きゃ 危ないー!”と思っている所に、そうちゃんが、ビデオテープを持ってやって来て、”これ、どーにかしてくれ!!”と言わんばかりに、寸断されたテープ部分をピラピラさせながら私の顔の前に突きつけ、泣き叫ぶ。

(そうちゃんは、ビデオがお好き。

特にお相撲には目がない。 何回も何回も繰り返して見るあまり、こんな風に、テープがバッサリ切れてしまう事もしばしば。 、、、これを、私に、どーしろと言うのだ、、、。)

 

お風呂の時だって、かけ声とともに、ダダダーッと、みんな一斉に洗面所へ。

洋服をちゃんと脱げる人がいない集団が、浴室のドアの前で、だんご状態で重なり合いながら、それぞれに脱げる所までは脱いで、我先にと、つっつき、争いながら待ちわびている。

それから先は、私に洋服を脱がせてもらおうと、みんな必死だ。

お風呂に入ったら入ったで、「石鹸、目に入ったら痛いからねー。 目を触っちゃダメよー。」という私のアドバイスもよそに、長女は、石鹸のついた手でビー。

目をバッチリこする。

そして、「目が痛いのー! もう~! イヤっ!!」と言って、なぜか怒りを私にぶつけ大泣き。

次男は、狭い浴室をチョロチョロするので、最低2回は、ツルンと足をすべらせ転倒。

そうちゃんは、浴室にあるデジタルの時計を凝視しながら、一分変わるとごとに、「次30? ママ?」 「次31? ママ?」と、相変わらずの語尾上がりの質問攻め。

 

ようやくみんなを洗い終え、バスタオルでふくと、、、。

みんな脱ぐのは好きだが、どういうわけか着るのは嫌いで、ふき終わったとたん、三人衆は、パーッと、あっちこっち三方向に分散し、キャキャキャキャと、何がおかしいのか笑いながら逃げ惑う。

、、、と、そうちゃんは、早くも、全裸のままベランダに直行し、「お~い! お~い!」と、マンションの前を通り過ぎる人々に、満面の笑みでバイバイと手を振っている。

ちょっと次男差し押さえに時間がかかると、”シャー”。

遠慮なく、じゅうたんにおもらしをする。

 

、、、というわけで、一人でサササッとすれば、5分のところを、三人衆に囲まれたゆえに、とたんに事は、ややこしくなり、数倍の時間を要する事になる。

そういう環境の中、一つ一つ、事をすすめていくために、”かけ声”は、欠かせない。

高校の時、部活の先生が、ベンチで叫んでいた。

「きつい時こそ、声をだせー!!」 (”ファイトー!”とか、”ナイッシュー!”とか、、。)

その言葉が、今になって、よみがえってくる。

なので、「さっ!!」 「さっ!!」と言いながら、今、一人で実践中。。

 

次男の「はーーい!」 「はーーい!」。

私が言う時には、「はーーい!」の後に、必ず、「待っててね~。」が付け加えられる。

(次男は、まだしゃべれないので、後半部分は省略。)

三人のメチャクチャな要求をみたすには、相当な才能が必要とされる。

たぶん、ただの人間には到底ムリだ。

観音菩薩のように、手がいっぱいあったら別だが、残念ながら私には、たった2本。

足を駆使して使ったとしても、あわせて4本しかない。

それに、三方から同時に、いろいろと言われても、聖徳太子じゃあるまいし、、、。

、、、ということで、子供たちは、そう私に言われると、待たされたまま、かわいそうに、要求叶わぬまま、そのままポイと闇に葬られる事もしばしば。。

(だからだろうか、私が、「はーーい! 待っててね~。」と言うと、皆、一様にブスッとし、疑惑の目を私に向けるのは、、、。)

 

長女は、最近、私がボソっと、「げっ、、忘れた、、、。」とつぶやくと、すかさず、「まっ いっか!」。

「あーあ、、、。 本当はしなくちゃいけないんだけどさ~。。」と私がつぶやくと、すかさず、「ねー 仕方ないよね~。」と言う。

絶妙のタイミングで合いの手を打つ。

う~ん、これは、久々に、心がなごむ。

これから娘には、”言われたらうれしいこと”を日頃から言っておく事に決めた!

 

ちなみに、最近の私のハヤリ文句は、「ねーねー、これって、健康を害してまですること~?」

これを言い出したとたん、俄然、毎日が楽になった。

日常の中で、知らない間に、「あれもしなきゃ、、、。」 「これもしなきゃ、、、。」と、どんどん山積みになっていく事々。

でも、”健康を害してまですること”となると、1つ、、2つ、、、しなきゃいけなかったハズの事が、あっさりと姿を消していく。

なにしろ、うちには、そうちゃんという、何が何でも、”精神年齢1歳半のままで、一生をやり通してやろう~!”という、かたくなな坊ちゃんが一人いるので、健康結構! 長生きおおいに結構!!

、、、、というわけで、ダンナさんも、健康を害してまで”出世”しなくていい事になっているので、この言葉は、自分が楽できるだけでなく、まわりにも十分、恩恵を与えている。

 

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P。S。

コメントをくださった方、どうもありがとうございます。

ciao!さんからのコメントで、私がいつごろから、どういうきっかけで母のことを”よしこ”と呼んででいるのかですが、、。

私も、コメントをいただいて、不思議に思いました。

どうして、私と姉は、母のことを”よしこ”と呼んでいるのだろう。。。

面と向かっては”ママ”と呼んでいますが、私と姉の間で母のことを話す時は、昔から“よしこ”でした。

きっと、母には、「ママ」 「お母さん」 「おふくろ」 「おかん」、、、という、どの枠にもおさまりきれない、独自のキャラクターがあり、自然に”よしこ”と変化していったものと思われます。。

 

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