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2006年6月

サンフランシスコとレッカー車<後編>

<前回ブログのつづき>

 

走行中、さっきから定期的に、”ガックン ガックン”と、まるで脱穀機に乗っているかのような振動がある。

「ちょ、、、ちょっと、、、また怖くなってきたね、、、。」という私に、姉は、最初は、「う~ん、、、。」と言っただけだったが、突然、「ちはる(私のこと)ちゃん、、、。 ダメかも、、、。 もうそろそろこの車、止まるよ、、、。 サンタローザまでは帰り着かないよ、、、。」

姉は、明らかにひきつっていた。

そして、「ここでいったんハイウェイおりて、早く、暗くならないうちに、どこか泊まるところみつけなきゃ!、、、どうしよう、、どうしよう、、、。 こんな所に泊まるところなんかあるかな、、、?」と言った。

 

私は、もしかしたら止まってしまうかもしれないこの車なんかよりも、今まで見たことのないような姉の焦った顔に驚き、ブルブルっと底冷えのようなものを感じた。

だって、姉は、タイに一人で旅行に行く時でさえ、”地球の歩き方”一冊小脇に抱え、あとはナップサックひとつ、ヒョイと背負って、まるで、隣町の公園にピクニックに行くような軽装で出かけるタイプ。

私と母・よしこの、「り香(姉のこと)ちゃん、、、。 荷物、もしかして、、、それだけ?? 最低いるものだけは持って行ったら?」というアドバイスに、「いるものは、むこうで買うから。 大丈夫、大丈夫。 じゃ、行ってきまーす!」と言って、まるで”寅さん”のようにフーッと出かけていた姉。

 

その姉が、今、私の横で、私以上に焦っている。。。

「ハイウェイで車、動かなくなったら大変だから、下の道におりて、、、まあさあ、、、泊まる所なかったら、道は広いんだし、車をとめて、車の中で一泊しよっか?」と言う私に、姉はさらに表情を険しくしながら言った。

「ちはるちゃん、、、。 アメリカで、車に夜、りかたち二人で泊まるって事がどういうことかわかってないでしょー、、、。 日本とは違って治安が悪いから、どういう事になるかわからないんだよ。」

、、、それを聞いて、私は急に心細くなった。

まるで、アフリカのサバンナにポーンと身一つで投げ出されたような気持ちになった。

”そうかー。 そうなのかー。。。”

私は、ひとつ、大した勉強をした気持ちになり、ウンウンうなづいていた。

 

ハイウェイをおりて、車がエンストを繰り返しながら道をまっすぐに進んでいくと、あったー、あったー、今日のお宿が!!

姉は、フーッと大きなため息をつき、「よかったー! よかったー! ちはるちゃん、り香たちラッキーだよー!!」と震えるような声で言った。

が、よく見ると、”MOTEL”という看板がある。

「ねーねー、り香ちゃーん。 ここ、MOTELだって。 なんか怪しげじゃない? どーする~? どこか他さがす~?」と言う私に、姉はあきれた顔をして、「ねー。。。 どこまでのんきなの? 泊まる所があっただけでもよかったと思わなきゃー! もう、この車、止まるよ。」と言った。

実際、2階建てのその建物は、中に入ると、怪しくとも何ともなく、快適だった。

ベッドにゴロンと二人で横になって、私は、”いや~ 今日はまったく、えらいめにあった~!”と思いながら、、、あっという間に寝てしまっていた。

 

朝、起きると、べッドの横に座っている姉は、またまた、あまり見たことのないようなマジメな顔をしていた。

「ちはるちゃん、、、。 おはよー。 よく寝てたね、、、。 よく寝れたねー、、、。 本当にのんきだね。」と言った。

姉は、レッカー車を手配するために、電話で案内を聞いていたところだった。

ちょうど今、オペレーターの人が、電話番号を教えてくれるという時だった。

姉は、近くにメモ紙がなかったので、「ねっねっ、ちはるちゃん。 今から言う番号覚えておいて。」と、私にあわてて言いながら受話器を耳にあてた。

「seven,,,one,,,four,,,nine,,,two,,,,,,,」

そう言いながら、姉は私に目配せし、小声で、「覚えた??」と聞いた。

そう聞く姉に、私は、「ううん、、、ぜんぜん覚えない。 り香ちゃん、、、だって、ちはる、英語よくわかんないから。」と、首をブンブン横に振りながら、わけのわからない事を言っていた。

そう、私は、とにかく、起きてすぐで、半分は、まだ意識が夢の中にある状態だった。

「7、、、1、、、4、、、9、、、2、、、、、」と言われても、きっと覚えられなかったに違いない。

姉は、電話を切ったあと、「ちはるちゃん、、、大したもんだよ、、、この緊急時に。。。」と、今度はひどく感心された。

 

朝食を食べたあと、間もなく、レッカー車がやってきた。

レッカー車は、車と私たちを修理工場へと連れて行ってくれた。

レッカー車の前の席に乗せてもらった私たち。

座高の高い車で、視点もすっかり変わり、私は、またまた新しいサンフランシスコの景色を味わった。

二人で運転席となりのシートに乗せてもらって、「サンフランシスコに来て、レッカー車に乗るとは思わなかったよねー!」と言いながら、私たちは、今までのどんよりした雰囲気から一転、かなり盛り上がり、ケッケッケッケッ、なぜか笑いがとまらなかった。

 

私は、数日後に、日本へ帰ることになっており、帰る時は、シビックちゃんで、空港まで姉が送ってくれることになっていた。

で、だいたいの車の様子を整備士の方に見てもらい、姉は、「いつごろなおりますか?」と聞いた。

すると、「早ければ明日。 遅ければ3週間後くらい。」と言っているのがわかった。

今度は、寝ぼけていなかったので、よくわかった。

姉が整備士さんに、”妹が数日後に帰るので、なるべく急いでお願いできますか?”というような事を言ったが、その整備士さんは、両手をパ~ッと横にのばし、目を大きく見開きながら、「オッオ~、そーんな事を約束することなんてできないさー、ベイビー。 いつできるかなんて、神のみぞ知るって感じさ~、へッへー!」

、、、というような事を言っているらしかった。

ひえい~ さすがー。。。

アバウトだなー。。。

新しい土地を訪ねたり、その土地の食べ物を食べたりするのも海外旅行だけれど、こういう場面に遭遇する事が、一番、”う~ん 海外旅行に来た!”と実感するひと時だ。

 

むろん、このシビックちゃん、私が滞在中に元気になってもどって来ることはなかった。。。

 

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サンフランシスコとレッカー車<前編>

私は、学生卒業間近の頃、車の免許をとった。

雨の日も風の日も、送迎バスにゆられ、幾日も幾日も自動車学校に通って。。。

私の姉も、やはり、学生の頃、車の免許をとった。

ホームステイ先のアメリカで。

たった一日、試験会場に足を運んだだけで。。。

聞けば、アメリカは、車なしの生活なんて考えられないので、日本でいう自転車の感覚で、サッと家の車で練習して、パッと試験に受かれば、それでおしまいらしい。

 

自動車学校に通っている最中の春休みに、私は、姉のところに遊びに行く事になった。

姉は、すでに車をのりまわして、学校に行ったり、買い物に行ったりしているらしい。

サンフランシスコ空港から姉に教えてもらった番号のバスに乗り、1時間ちょっと。

姉から教えてもらったバス停でおりると、姉は、そこに立っていた。

「ちはる(私のこと)ちゃん!」

ニコニコして叫ぶ姉の傍らには、1台の車が停まっていた。

ゴールドのホンダ・シビック。

”カッコイイ~!”

自分の姉ながら、そう思った。

姉は、もう自分で車を運転できるどころか、ちょっとくたびれた車ではあるけれど、すでにマイカーを持っているのだから!

「さあ、乗って~!」姉はドアを開けてくれた。

私は、胸がワクワクした。

幼い頃、姉がこぐ自転車の後ろに乗せてもらって以来の”ワクワク”だった。

だだっぴろい道、、、これなら、どこを走ってもスーイスイだ。

そりゃー、日本の自動車学校のように、”S字”や”クランク”など、そんなちまちました練習をする必要なんて、どこにもありゃしない。

私は、憧れのまなざしでウットリと姉を見ながら車に乗り込んだ。

車は快調に走り出す。

、、、が、、、。

キュキュキュキュキュキュー!!

”すっ、、、すごい!”

すべるがごとく、その広い広い道を猛スピードで車は駆け抜ける。

おまけに、姉は、カーブを曲がる時も、ブレーキをふんでスピードを落とす事はなかった。

右に左に体をワサワサ揺さぶられながら、私は、ひとつ、気になる事があり、姉に尋ねた。

「ねー、り香(姉のこと)ちゃん。 どうして、さっきからずっと、クラッチ踏んでるの?」

姉は、「クラッチ? 、、、はっ?」と言った。

まさか、、、。

クラッチという名前がピンときていないようだった。

なので、「それそれ、左足。 さっきからずっと踏んでない?」と言うと、姉は、「うん、踏んでるよー。」

そして、付け加えた。

「なに、これ、ずっと踏んでるものじゃないの?」

 

”こっ 怖い!”

自分の姉ながら、そう思った。

当時は、今のように、オートマではなく、マニュアル車が主流だった。

私の自動車学校でも、マニュアル車だったので、私の記憶が正しければ、クラッチは、

ギアチェンジする時だけ踏むものだと教わり、、、そうしてきた。。。

(聞けば、姉は、ホストファミリーのお父さんの車で練習をしていたそうだ。

その車、フェアレディーZ。

スポーツタイプの高級車で、ギアチェンジが5速くらいあって、お父さんは、頻繁にギアをかえていたらしい。

、、、で、横で見ていた姉は、あたかもお父さんが、ずっとクラッチを踏んでいると思い込んでいたのだと言う、、、。)

 

そんなドライバーの横に座り、ある日、サンフランシスコの街に出かけることになった。

サンフランシスコの街、、、そこは、テレビで見たとおり、電車が道の真ん中を走り、それはそれは急な傾斜のついた道が連なっていた。

急な上り坂。

”こんなところで信号変わったら、こわいよねー。”という所に限って、信号がサッと赤になる。

車は、坂道発進をするたびに、ズズズーーっと、必ずいったん後ろに下がり、ヨッコラショと動き出す。

このシビックちゃん、中古車で、なかなかネンキがはいっているだけあって、その坂は、かなりこたえるらしかった。

で、その坂道発進の時、”ブル、ブル、、ル、、、ルン。。”といっては、エンストしてしまう事が何回もあったりして、途中から、さすがに私も、まわりの景色がどーだ、街並みがこーだと言ってられないくらい、、、いやー、スリルだった。

 

「怖いねー、この車。 り香ちゃん、ここで車が動かなくなったらどうするー? なんか汗でてきたよ。。」と言う私に、姉は、「大丈夫 大丈夫~!」と言って、ケラケラ笑った。

けれど、エンストはよくするけれど、何回かエンジンをかけると、シビックちゃんは、いつでも気を取り直してまた頑張ってくれたので、しばらくすると、だんだんとシビックちゃんを信用できるような気がしてきて、それからは、サンフランシスコの街並みを楽しめるようになった。

姉と街の中にあるレストランで、ちょっと早い夕食を食べ、「いや~ どうなる事かと思ったけど、今日は楽しかったね~!」と言いながら、一路、ホームステイ先のサンタローザへ。。

ハイウェイにのり、爽快、、、とまではいかないまでも、一生懸命、車は走っていた。

が、ここで、ついに信頼しきっていたシビックちゃんに異変が起きた。。。

 

次回につづく。

 

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地味なグレーですので見落としてしまいそうですねー、、、。

いつかカラーになる日を夢見ております。。

どーぞよろしくおねがいしま~す。

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P.S.

”食卓の風景~”にたくさんコメントいただきました。

ありがとうございました!

私のほかにも、”ヘルパーさん”がたくさんいらっしゃる事を知り、安堵しました。

私も、これから、”キッチンドリンカー”ならぬ”キッチンイーター(?)”になって、しのいでいこうか、、、と思っています。。

 

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食卓の風景~現場より

私の家のダイニングテーブルは、丸テーブル。

次男も1歳をむかえ、とうとう食卓デビュー。

みんなと一緒に食べるようになった。

みんなで食べると美味しい。

みんなで食べると楽しい。

、、、はずなのだが、これがどーして、すごい! すさまじい!!

 

この、”次男食卓デビュー”の日を、私は最も恐れていた。

なにせ、平日は、ダンナさん、朝早く、夜遅い。

なので、平日は、猫の手、、、ならぬ、ダンナの手をかりることもできないので、ダイニングテーブルにみんなが座ると、カンペキな3対1。

つまり、要介護者3名に対し、ヘルパー(私)1名ということになる。

 

では、その食卓の様子、これから実況でお伝えいたしましょう。

まずは、座席の紹介。

ヘルパー左横から、時計回りに紹介いたしましょう。

席は決まっていて、ヘルパー、次男、そうちゃん、長女の順となっています。

ヘルパーの「ごはんよー。」というかけ声とともに、三人衆(そうちゃん・長女・次男)、ものすごい勢いでテーブルに集まってきましたー。

みんな、殺気だっています。

おっと~、次男が、我先にイスに座ろうと、イスをがたがた揺らし、キーキーいっています。

、、、と、今、勢いあまって、イスを倒した~!!

小さい体で、このパワー、、、先が思いやられます。。。

 

今、やっと三人衆、ヘルパーの手によって、着席しましたー。

なっ、、なんですか、、、そのエプロンは?!

ここの子供は、みんな、エプロン、、、撥水加工したエプロンをつけています。

エプロンの先に吸盤が2つ、ついていて、その吸盤、ぺッタンコとテーブルにくっつけられています。

なるほどー、これでは、いったん食卓に上ると、一人でおりることはできません。

おっと、このエプロン、すぐれものです。

さっきから、みんな、ボロボロボロボロ食べこぼしていますが、、床に落ちることなく、エプロンの溝がナイスキャッチしていますー。

その溝に落ちたのも、みんなムシャムシャ食べています。

ヘルパーが拾う手間が省けて、これは一役かっているようですー。

 

それでは、次男にスポットをあててみましょう。

豪快! 豪快です!!

何でも手づかみで食べています。

ごはん、野菜、お肉、、、おっと、スープまでも手づかみしています。

ヘルパーが、「あーん」と言って、スプーンで食べさせてあげようとするも、口をつぐんで断固拒否でありますっ!

そしてー、怒っています。

今度は怒って、お皿をひっくり返しましたー。

ジュータンが心配です。

、、、が、ジュータン、濡れていません!

イスの下には、レジャーシートが敷かれていましたー、、、ヘルパーさん、ナイス!

今度は、ちょっとしたスキをみて、イスにスックと立ち上がったり、体をくねらせたりしています。

今、ヘルパーに注意されました。

が、次男、どーでしょうか、、白い歯をみせて笑っています、、、ニヤニヤしています!

これは嫌がらせでしょうかー?

おっ、今度は、食事中に”手遊び歌”を自らはじめた模様。

しきりに、”おつむてんてん”をしています。

納豆のついたネバネバの手で、、、スープをつかんだ濡れた手で、”おつむてんてん”をしています。

髪が、、、髪が、ディップをぬったように、しっとりしてきましたー。

もう、お風呂には入っているようなので、きっとこの、“しっとりヘア”は、当然、明日のお風呂の時までキープされることでしょう。

 

お次は、そうちゃんにスポット。

こちらは、おやつを一切召し上がらないそうで、このBIGな体を維持すべく、栄養は、もっぱら三度の食事で、、、と、超・健康的であります。

おーっ、すごい、すごい!

どんぶり飯です!

きっと、このヘルパー、おかわりに立つ回数節約のため、どんぶりにめいっぱい、ごはんをついでいるのでしょう。

それでも、かるく4杯はぺロッと食べています。

根菜類は、ノーサンキューのようであります。

障害のためでしょうしょうか、そしゃくが下手で、ごはんやおかずも、”アムアム”と2~3回しかかまずに、すべるがごとく、そうちゃんのおなかに落ちていっています。

これで消化の方は大丈夫なのでしょうかー、、、心配ですー。

そしてー、さっきからずっと、「おかわりある?」 「ある?」 「おいしい~! ママ?」 「ママ?」 「最高! ママ?」 「ママ?」

、、、と、そればかり、延々と大きな大きな声でしゃべりつづけています。

そうちゃんのしゃべる会話は、すべて疑問系で、語尾上がりであります。

どおりで、さっきから、ヘルパーが、繰り返し繰り返し、「あるよー。」 「うん、ママもよー。」とその度に返事を根気よく返していたはずです。

回答してはじめて会話が成立する、、、という、何ともめんどくさいシステムになっているようです。

ヘルパーが返事をするまで、執拗に、語尾上がりに、せめてせめてせめまくる作戦のようであります。

おっと、、、今、ヘルパーに、「もう、おかわりないよー。」と言われました。

そうちゃん、如実にムッとした顔をしています。

、、、と、隣にいる妹とヘルパーのプレートから、なんとか調達しようと、ものすごく鋭い、タカのような目つきをしながら、手をのばしていますー。

まったく気の抜けない男であります。

 

お次は、長女にスポットを。

おっと、こちらは、お箸もなんとか使えるようになってきたようであります。

一人で食べる技術としては、この三人衆(そうちゃん・長女・次男)の中では、随一の高レベル者です。

、、、が、気まぐれ者のようです。

さっき、ヘルパーがおかずを盛り付けていた時、「もっと! いっぱい食べるー! もっと!」とすごんで叫んでいましたが、今、プレートを目の前に、「これ、好きくなーい。」と言って、プレートからトレーにはじいています。

そして、盛り付けの時、「これ、いらなーいー。」と言っていたおかずが、自分のプレートにないのを確認するや、「それ、ない! ないよー! 食べたーいー!」とすごい剣幕で、”なぜ、私にだけないのか”と言わんばかりに、ヘルパーにつめよっています。

これは、ちょっとした”クレーマー”であります!

さらには、器の一つ一つ、そして、野菜、お肉、お魚、、、を指差し、「これ、どこで買ったとー?」 「だれにもらったとー?」と、こちらも質問攻めです。

ヘルパー、さっきから、「デパート」 「スーパー」 「ママが買った」 「ばーば」と、この4つのみで繰り返し答え、この場をのりきっていますが、本当でしょうかー、、、はなはだ疑われるところであります。。

 

最後に、このヘルパー。

かなり、かーなーりー疲れています。

おっと、この状況で、驚いた事に、ヘルパーの口も動いています。

どうやら、この三人衆といっしょに、ごはんを食べているようです。

こちらも、そうちゃん同様、よくかんでいませんー。

かむ時間もないようであります。

こちら、かなりのマナー違反であります。

立って、立ち上がったままでも、モグモグ食べつづけています。

以上、現場からお伝えしました!!

 

、、、こんなすさまじい食事風景を見た母・よしこは、涼しい顔で言った。

「ちはる(私のこと)ちゃん、、、。 ごはんくらい、ゆっくり、あとから一人で食べたら~?」

なるほどー、それは、ナイスアイディア!!

、、、が、それができたら苦労しないわけで。。

そういう時間がないから、こういう事になっているのだ。

そして、よしこは、こうも言った。

「ちはるちゃん! 急いで! 早く食べちゃいなさい! 早く! とられるわよー!!」

これは、好きなものがあると、そうちゃんや長女までもが、私のプレートをねらうので、思わず叫んだもの。

とても、”おばあちゃん”が言うセリフとは思えない、、、。

、、、が、実際、早く食べなきゃ本当にとられるので、よしこに言われるまでもなく、私は、そうちゃんと長女の箸がすすむ順番に、おかずをセッセセッセと食べている。

 

あとどのくらいしたら、この三人衆とでも、ゆっくりと楽しみながらの食事タイムが訪れるのだろうか。。。

 

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どうか、このヘルパーのために、よろしくおねがいしま~すっ。

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突飛な発言

今回まで、小児病棟・そうちゃんの病室より。

(なにしろ、いろいろな出来事がありすぎて、書き出したらきりがありません。

また、古い陰気な病室話は、追々、お届けいたします。)

 

そういえば、そうちゃんが、NICUに入院している時、初めて、担当医から、「ちょっと ご両親にお話したいことがあります。」と言われ、私たちは(私とダンナさん)、先生の部屋へ呼ばれた。

【そうちゃんは、初め(生後すぐ)は、マルファン症候群という病気を疑われていた。

(後に、ソトス症候群と判明。)

そうちゃんは、生まれた時、3986gとビッグだった。

そして、手足が他の赤ちゃんに比べ大きく、心臓も悪いという事もあり、その病気が浮上したらしい。

その、マルファン症候群という病気は、”弱視”というのも、特徴的な事のうちの一つとしてあげられるらしかった。】

 

先生の部屋に入り、私たちがイスに座ると、先生は、ゆっくりと黒板に向かい、”染色体異常”という文字と、”弱視”という文字を、白いチョークでザザッと書いた。

そして、先生は、私とダンナさんの二人を見ながら、静かに言った。

「あのー、、、一つお尋ねしたいんですけれども、お父さん、お母さんのご家族・家系の中で、弱視の方はいらっしゃいますか?」

私たちは、お互い、顔をみあわせた、、、。

”えっ。。 弱視??”

 

少し間があいたが、沈黙を破ったのは、私の方だった。

「はい、、、。 おります。 父が、、、父が弱視です!」

(そう答えた瞬間、隣にいたダンナさんが、ビクッとして、イスをゆらした。

そして、私のことを、なにかとても不思議なものを見るような、のぞき込むような目つきで見ている視線を感じた。)

その医師は、「そうですかー? 弱視の方がいらっしゃる?! お父様がっ??」と言って、”それは、一歩、マルファン症候群確定まで近づけた!”とばかりに、目をキラリとさせた。

私は、その先生の問いに、ウンウンと大きくうなずき、”はい、父が。。”という意思表示をしたが、隣にいたダンナさんは、少し慌てて、私をつっつき、言った。

「弱視? お父さん? はっ? 誰のお父さん?」、、、ダンナさんは、それは初耳だとばかりに、目を白黒させている。

私は、「パパ、パパ。 私のパパ。」と、医師の手前、小さな声で口早に、ダンナさんに言った。

すると、「ちょっ、ちょっと、、、。 お父さん、弱視じゃないやろー。。」と驚いたような、あきれたような顔をして口をとんがらせた。

私は、ダンナさんを見ながら、「えっ、知らなかった? パパ、弱視よ。」と、これまた小声でスッパリ言い切った。

そのやりとりを目の前にして、医師は、”???”という、”どちらを信じてよいのやら、、、。”というような、ポカンとした顔をしていたので、私は、「牛乳瓶の底のような、度のきついメガネをかけているんです。 父は、メガネなしには、何も見えないんです。 先生、父は、間違いなく弱視です。。」と言った。

が、医師は、「はっ、、、メガネ、、、?? それは、、、単なる近眼のことを言っているので、、、しょうか。。。 お父様、、、弱視では、、、なさそうですね。。。」と、ひどく残念そうな顔をした。

(ダンナ、大きくうなずく。)

 

そう、私は、近眼と弱視とをカンペキに混同させていた。

後に、ダンナさんは、「あー あの時ね、、、。 突然、何を言い出すかと思って、あれは、ハッキリ言って、ビックリした。」と言っていた。

でも、あれは、ほんの氷山の一角で、私の言動は、いつも突飛なことの連続、、、らしい。

 

”突飛”、、、と言えば、母・よしこ。

そうちゃん入院中、ちょうど、私・姉・よしこの三人で病室にいた時のこと。

よしこは、前フリなしに、突然言った。

「ねー、ちはる(私のこと)ちゃん。 り香ちゃん(姉)と二人でサーカスにでも行って来たら?」

あまりに唐突だったので、さすがに私と姉はビックリした。

頭の中で、”はっ、、、?? サーカス、、、サーカス?、、、サーカス?!”

私は、”サーカス”の意味がわからなくなっていた。

サーカスって、まさか、ゾウやサルがでてきて、ボールにのったり、綱渡りしたりする、あのサーカスのことではあるまいな、、、?

私は、一応、確かめた。

「サーカスって?」

よしこは、「サーカスはサーカスよー。 小さい頃連れて行ってあげじゃないのー、覚えてないの?」とサラリと言った。

「ボリショイサーカスね、、、そりゃ覚えてるけどー、、、。 あのサーカス?」、、、と、私。

「ねっ、行っていらっしゃいよー。 今、すごいサーカスが来てるって、地下鉄のポスターで見たわよ~。」、、、と、よしこ。

私と姉は、プーッと笑い、「こんな時に、サーカスに行く人なんて、さすがにいないでしょー?」 「ねーっ!」と言った。

が、よしこは、まこと、真剣だった。

「あらー、サーカスはいいわよー! こういう時こそサーカスよっ! 胸がスーッとするんだから! 行っていらっしゃいよー。 気が晴れるわよ~!」

そっ、、そうだろうか、、、。

こんな時にサーカス見に行って、”へっへっへーだっ! ってやんで~!!”と気分晴れやかに、パーッと明るくなれるものだろうか、、、。

、、、むろん、私たちは、それはいくらなんでもムリだろう、、、という結論に至り、結局、病室からサーカスに出かけることはなかった。

 

後に、”ひどく落ち込んでいるときは、パーッと華やかなところに出かけたり、明るい音楽をきいたりするより、むしろ、家で、ベートーベンの”運命”(ジャジャジャジャ~ン、、、のあの曲)など、その時の自分の気持ちにシックリあった音楽をきいて、とことん暗くなった方が、落ち込んだ気持ちはフワッと楽になる、、、。”というようなことを、テレビでやっていた。

う~ん やっぱり、、、そっちの方が正しいと思う。。。

 

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家族でさえ、”クリックしたら どーなるのぉー?”と、ちょっと面倒くさそうなのに、、、いつもありがとうございますっ!

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P.S.

”友情出演、、、”にコメントたくさんいただきました。

姉と二人で、「読んだ?」 「読んだ?」、、、と言っては、「うれしいねー。」「うれしいねー。」と、ここ何日か、長電話になっております。

どうもありがとうございました。

 

 

 

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「なるようにしかならない。」

前回ブログと同じく、小児病棟・そうちゃんの病室より。

 

父は、そうちゃんが入院中、東京に来ることはなかった。

母・よしこから父に、電話で逐一、そうちゃんの一連の話は伝わっていたと思う。

“初孫が、生後すぐに救急車で運ばれ、入院。

ミルクさえ自分の力で飲むことができず、心臓も悪い。

さらに、感染症にかかり、熱もでて、新生児だけに、これから、どういう事態をまねくかわからない。”、、、という、ドラマでしか見たことのないような、最悪のシナリオ。

、、、この状況を、母・よしこは、いったい、どういう風に伝えたのだろうか。。

なにしろ、よしこ、実は、ものすごく心配性。

だから、ただでさえ、凍りつき、息も止まるほどのこの話に、よしこの悲観的な意見も大いに加わり、父には、この世の話とは思えない程のビックリ級で伝わっていた事と予想される。

それだけに、父は、遠い地(実家)で、めいっぱい心配してくれていたはずだ。

(ちなみに、伝言ゲームに、よしこが加わったなら、話が次の人に正確に伝わる事は、極めて難しいと思う。 いろんな意味で。。)

 

父は、そうちゃんが入院している間(1ヶ月半)に、3回もお札を送ってくれた。

大分県にある高塚地蔵という所の”病気平癒”のお札。

お札が届くたびに、父はいったい、どんな気持ちで車を走らせ、これをもらいにいってくれたのだろうか、、、と胸が痛んだ。

「パパ。 そんなに心配いらないって。 大丈夫だってば!」と、そのひと言が言いたくてたまらなかったが、実際、大丈夫な状態では全然なかった。

そのひと言が言えなかった。。

そうちゃんの枕元には、父からのお札が3枚ならんでいた。

幸い、そうちゃんは、小児病棟にいる間に、心臓の状態がよくなり、手術はまぬがれ、退院できることになったが、もともとは、感染症が治ったら、手術をするため、小児病棟から心臓の病棟に移ることが決まっていた。

もしあれ以上、入院生活が長引いたら、お札はいったい、何枚になっていたのだろうか、、。

(軽く10枚は、ビッシリとベッドにならんでいたような気がする。。。)

 

当時、私はまだ、携帯電話を持っていなかった。

だから、父は、毎日、実家に電話するようにと、テレフォンカードを送ってくれた。

夜になると、その、恐ろしく古く、陰気な病棟の一番すみっこにある、公衆電話のある所まで、まるで、”肝試し”に行っているような気持ちになりながらも、毎日、実家に電話しに行った。

父は、電話口で最後に言う言葉は、決まっていた。

「ちはる(私のこと)ちゃん。 もう、いろいろ考えても仕方がない。 なるようにしかならないんだから。」

この言葉は、今でも、私の中に残っている。

その時は、「うん、そうだよね。。」と答えたものの、いろいろ考えないわけにはいかず、考えすぎて、不安がさらなる不安をよび、頭の中は、こんがらがって、すごい事になっていた。

けれど、それも、時間がたつにつれ、どういう事なのか、わかってきた気がする。

(心配事は、”考えても考えても、逆立ちしたって、どーにもならない事”と、”努力のしようによっては、解決できる可能性がある事(考えたぶんだけ成果のある事)”に、頭の中で、だいたいきれいに二つに分けられることに気付いた。

後者だったら、ボ~ッとなんて、悩んでいる場合ではない。

どうやったら解決できるのか、もっと、よーく考えて、アイディアをふりしぼらなくっちゃいけない。

けれど、前者なら、そこは、すっきりきっぱり、あきらめるしかない。

考えても何も変わらないのなら、考えるだけ無駄、、、という事になる。

これは、父の考え方の基本で、とてもシンプルなものだ。)

 

父は、テレフォンカードとともに、病室のテレビは見たいだけ見れるようにと、テレビカード用のお金も送ってくれた。

疲れた時は、タクシーに乗れるようにと、タクシーチケットも送ってくれた。

「なくなったら、すぐにまた送るから、どんどん使いなさい。」という言葉を添えて。。

病院で使うお金というのは、虚しいばかりで、欲しいものをやっと手にいれた時のような、”ヤッター!” ”ヤッホー!”という喜びとは無縁で、使えば使うほど、「なんだかねー。。。」という気持ちに、ややもすると傾きがちだが、父は、「こういう時のために、お金はある。 こういう時にこそ、お金を使いなさい。」と言った。

父は、”目には見えないけれど、本当は大切なところ”にお金を使う事を惜しまない。

 

ダンナさんの転勤で、引越しする事になり、あらたにマンションを探していた時。

父は、「広さとか築年数はどうでもいいから、向きのいいマンションを選びなさい。」とアドバイスしてくれた。

”そうちゃんが、一日の大半をすごす部屋(リビング)が、南に面しているマンションがいい。”と言う。

”そうちゃんは、普通の子供よりは、体が弱いはずだから、日当たりのよい南向きの部屋で、気持ちよく過ごせるような部屋を探してあげなさい。”と言った。

私は、その後も何回か引越ししたけれど、どこも、リビングと和室は南向き。

寒い冬も、リビングは、ポカポカと暖かい。

ベランダのプランターに植えた、横に縦に葉をいっぱいに茂らせるお花と一緒で、どうやら人間も、太陽の光をいっぱいに感じた方が、のびのびとゆったりと過ごせる気がする。

 

父は、夏になると、まだハイハイさえできない、寝たきりのそうちゃんのために、”そうちゃんが気持ちよくすごせるように”と、藤の敷物をプレゼントしてくれた。

窓にピッタリとくっつけて、リビングのカーペットの上に、その敷物を敷く。

まだ、力なく、動く事ができないそうちゃんと、二人で並んで、ねっころがる。

すると、不思議と、藤本来のもつ、ひんやりとした何ともいえない感触が伝わってきて、スーッと体の熱をすいとってくれ、子供の頃、芝生の上に寝ころがった時のような、さわやかな気持ちにつつまれ、気持ちが落ち着いた。

それは、クーラーの涼しさとは、まったく違うものだった。

太陽の光にしても、植物の藤にしても、”自然が与えてくれる、あたたかさと心地よさはすごいなあ、、、。”とつくづく思った。

人間が作ったものは、やっぱりかなわない。

そして、そんな、目に見えない大切なことを知っている父もまた、豊かだなあ、、、と思った。

 

今でも、夏になって、藤の敷物を敷くと、そうちゃんは、「じーじ! じーじ!」と言って、”じーじに、これ、もらったんだよね。”と私の方を見てニコニコして、本当に嬉しそうに笑い、気持ちよさそうに、ねっころがる。

そうちゃんは、そういう、人のあたたかい心を感じる才能を、誰よりも敏感にもっている。。。

 

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P.S.

”豚肉の梅しそ巻き”にたくさんのコメントをいただきました。

皆さんの気持ちをありがたく感じながら、明日にでも、夕食メニューを”豚肉の梅しそ巻き”にして、たっぷりたっぷり味わって食べてみようと思います。

どうもありがとうございました。

 

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心にしみた豚肉の梅しそ巻き

そうちゃん(長男・10歳・知的障害アリ)は、生まれた次の日、呼吸が苦しくなったため、救急車で大学病院に運ばれ、約1ヶ月半、入院する事となったのだが、その時の病院での話。

 

そうちゃんは、NICUに20日ほど入院し、その後いったんは家に帰ってきたが、また、その数日後、呼吸が苦しくしくなり、発熱したので、再び大学病院へ。

それから、1ヶ月ちょっとの間、小児病棟に入院した。

感染症にかかっていたため、部屋は個室となったのだが、まー、その病棟・病室の古かったこと! 古かったこと!!

なんでも、戦前からの建物らしく、まわりが焼け野原になってしまった中、この病棟は、大丈夫だったらしい。

古いだけならよいのだけれど、そこには、健康な人をも、”どーにかして、病気にしてやるぞ~!”というほどの、スゴミのある陰気さがあった。

昼間でも十分、コワイのだけれど、夜になると、もう、それはそれは、、、!

パリパリにはがれた、ねずみ色の壁。

うす暗い廊下の蛍光灯、、、。

病室を出て、トイレに行くのさえ、かなりの勇気がいった。

幸い、そうちゃんの病室は、ナースステーションの目の前だったので、消灯になっても、そこから明かりがもれ、いつも、看護婦さんがバタバタと出入りしていたから、まだよかったけれど、あれが、隅っこの部屋だったりしたら、、、ヒャーっ、考えただけでも恐ろしい。。。

 

そうちゃんは、東京で生まれた。

ちょうど、姉も東京に住んでいるので、里帰り出産ではなく、母・よしこが私のところに手伝いに来てくれた。

よしこは、お産前から来てくれ、そうちゃんが入院してからも、ずっと私に付き添ってくれた。

でも、これからどのくらい、この入院生活が長引くのか、検討もつかなかったので、よしこは、いったん実家へもどることになり、代わりに、今度は、義母が手伝いに来てくれた。

病室には、24時間、必ず誰かがいなくてはいけない事になっており、私と義母は、毎日交代で病院に泊まった。

 

よしこが、今日、実家に帰るという日、「ちはる(私のこと)ちゃん。 ごはんだけは、しっかり食べてちょうだいね。 それだけは約束してちょうだい。」と、よしこは、涙ながらに私に言った。

私は、「うん、わかった。」とは言ったものの。。。

なにしろ、”24時間付き添い”なので、部屋を出れるのは、トイレか売店に行く時くらい。

(それでさえ、わざわざナースステーションに、ひとこと言ってから行かなくてはならなかった。)

 

病院のまわりには、けっこういろんな飲食店があったけれど、そういうわけで、のこのこと食事にいける環境ではなかったし、そういう気分にもならなかったので、ごはんの時間になると、仕方なく、トボトボ売店へ。

よしこの心配そうな顔がチラチラと浮かぶので、「さっ、お弁当! お弁当!」と、とりあえず向かうものの、さびれた、活気のない売店には、食欲をふるいたたせてくれるような食べ物は、何ひとつなく、私は、おにぎりすら食べる気持ちになれなかった。

 

そんな中、私の姉が、夕食時になると、病室に差し入れを持って、よく来てくれた。

仕事帰りに、わざわざ時間をさいては、来てくれた。

「もー、今日は、ごはん、食べなくってもいいかも、、、。」とか思っている時に限って、不思議と、トントン、、、とノックする音。

ガラガラーっとドアが開き、「お弁当 買ってきたよー。」

姉は、デパ地下の美味しいお弁当とデザートと雑誌を、いつもセットで持って来てくれた。

“天むす弁当とシュークリーム”だったり、”おこわ弁当とプリン”だったり。。

”もう、食べ物なんか、のどを通らない、、、。”と思っていても、姉が持ってきてくれたお弁当だったら、パクパクパクパク、、、ぺロっと食べられた。

姉は、いつも、私が、「美味しい。 美味しい。」と言って食べるのを、最後まで見届けた後、「じゃー また来るからねー。」と言って、帰って行った。

姉は、今日会社であった事とか、友達の事とかを私に話してくれ、お弁当とともに、陰気なピーンと張りつめた病室に、外の新鮮な空気を運んでくれた。

 

そんな中、今でも忘れられないのが、姉の手作り弁当。

わざわざ会社帰りに、いったん家にもどり、私のために作ってきてくれたお弁当。

(その頃、姉は、まだ独身で、ワンルームマンションに住んでいた。

そこには、キッチンといえるような所はなく、いつも、卓上コンロを使って、チャチャチャっと料理をしていた。)

私は、その時の、白いタッパーに入ったお弁当を、今でもはっきりと覚えている。

タッパーを開けると、そこには、豚肉の梅しそ巻きと、鶏の五目煮と、玉子焼きと、ゆでアスパラと、おにぎりが入っていた。

仕事で疲れて、その後、会社から離れた病院へ来てくれるだけでも大変なのに、、、。

 

私は、そのお弁当を見たとき、今までガマンしていたものが、グーッとこみ上げてきた。

買ってきてくれたお弁当はパクパク食べられたのに、、、、。

胸がいっぱいになって食べられない。

姉が、「せっかく作ってきたんだからさー、食べてよー。」と言うので、一口、口にいれたら、たっぷりワサビのきいたお寿司を食べた時のように、鼻がつんつんして、涙がポロポロでてきた。

この時のお弁当の味は、忘れられないなあ。

”おいしい”とも、”味がいい”とも違う。

なにか、ただ、ひたすらに、”ありがたい”味だった。

ひびわれた、乾ききった土に、少しずつ水がしみ込んでいくようだった。

そして、私は、それを一つ一つ食べながら、この、小さい四角いタッパーの中に、たくさんの命が入っている事を、今さらながら気付かされた。

豚も鶏もアスパラも、この私のために、命を削って、巻かれたり、ゆでられたりしているのかと思うと、残さず大切に食べなくちゃ、、、という気持ちが沸いてきた。

今、姉(行正 り香)は、料理やお菓子の本をたくさん出版しているけれど、(近々、”ワイン”の本もでます。。)まさか、姉が本を出版する事になるなんて、思ってもいなかった、あの時の、豚肉の梅しそ巻き。。。

忘れられないなあ。。。

 

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