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2006年4月

子供の頃の習い事・ピアノ編(2/3)

母・よしこは、一人、はりきっていた。

どうも、また、”いい先生”を見つけたらしい。

当時、姉のクラスには、ピアノのレッスンを受けるため、月に一度、飛行機に乗って、東京まで、わざわざ通っているクラスメートがいた。

そして、ピアノを弾く、手(指)の負担にならないように、体育のポートボールも休んでいるという。

私が、”へ~っ。。”、姉が、”は~ん。。”と、気の抜けた反応をする中、よしこは、その話を聞いて、”そうよっ、そうなの。 音大に行くんだったら、そのくらい、しなくっちゃいけないって事なのよ。。”と、深くうなずき、一人、感銘していた。

 

よしこが新しく見つけてきた先生、、、こちらは、飛行機に乗って行かなくてはならないほど、遠くなかったが、バスに20分も乗って、バス停から、さらに、15分も歩かなければならない所にあった。

こんなに遠くては、レッスンの日は、それだけで一日が終わり、友達と遊ぶ約束もできはしない。。。

その上、私は、これまで、いつも、姉と一緒にレッスンに通っていたが、どうやら、その先生の都合で、別々の日に、行かなくてはならないらしい。

一人で行かないといけないのなら、なおさら、そんな遠い所、行きたくないなあ。。

 

それに、よしこの言う、”いい先生”は、当てにならない。

だって、”ため息先生”の時も、”とってもいい先生、紹介してもらったのよー!!”と言っていたもの。。。

そこで、私は、現場の声を聞くべく、自ら、学校で友達に、”ピアノの先生はどんな風か”と、いろいろ聞いて回った。

そんなある日、私の家に、姉の友達が遊びに来た。

そこでも、もちろん、ピアノの先生の話題になった。

私の姉とオセロをしながら、その友達は言った。

「私のピアノの先生ねー、優しいよ~! だってね、”今日、○(丸)もらわな、お母さんにしかられるー。 ねー、先生、お願いやけん、この曲、○(丸)にして!”って言ったら、○(丸)にしてくれるとよー!」と言った。

私は、即座に、私が探していたのは、この先生だと、ピンときた。

で、その日、さっそく、家に帰って来たよしこに、玄関先で、「おかえりー。 ねー、ママ。 ちはる(私のこと)、いい先生見つけたよー! りかちゃん(姉のこと)の友達が習ってて、すっごく、いい先生って言ってたー!」と言った。

私は、おそらく、よしこは、反対すると思っていた。

が、その友達は、姉と、とても仲良くしていた友達で、母同士も親しかった事もあり、「えっ、そうなのー?! じゃあ、ちはるは、その先生のところで習っていいわよ。」と、意外にも、すんなりオッケーがもらえた。

その時の、私の喜びは、言葉には言い表せない!

姉は、よしこの言う、”いい先生”のところに、「ピアノを教えてください。」と、すでに話をしてしまっていたので、私と姉は、別々の先生に、つくことになった。

 

今度の私の先生は、これまでの、”ため息先生”とは、まったく違った。

キリキリ・イライラタイプではなく、いつも、肩に、ストールをフワ~ッと巻いて、とても、おおらかな雰囲気だった。

そして、私のへたっぴな演奏を、ウンウンとうなずきながら、最後まで聴いてくれ、○(丸)をくれない時も、楽譜の左上のところに、半分の円を書いて、「半分○(丸)ね。」と言ってくれた。

そして、レッスンに行くたびに、そこから、ちょっとづつ書きたされ、最後に、「はい、よくできました。」と言って、まん丸の○になり、次の曲へと進む。

今までと違い、”どんどん、先の曲を見てきてね。”と言って、宿題にした。

そして、ピアノに加え、ソルフェージュ(歌)と聴音(ピアノで先生が弾いたメロディーを、ノートに書きうつすもの。)も教えてくれた。

”今日はちょっと、勉強不足で、曲の練習ができていない。。。”という日は、ソルフェージュと聴音に時間をかけてくれた。

ソルフェージュは、レッスン前に、サーッと見れば、歌う事ができるし、聴音は、宿題なしで、その場で、ぶっつけ本番。

なのに、バッチリできたときは、とてもほめてくれたので、私は、とても得した気分になったものだ。

 

おかげで、私は、ピアノが好きになった。

どんどん曲が、○(丸)になるので、どんどん、新しい曲を弾いた。

ボロボロの楽譜に別れを告げ、ピカピカの楽譜を手にする喜びを、初めて知った。

(さようなら、メトードローズ。 ごきげんよう!)

 

姉の先生は、音大を目指す事を目標にした、厳しい先生だったので、姉は、相変わらず、なかなか○(丸)にならず、苦しんでいた。

私は、それまで、毎年、姉と一緒にピアノの発表会に出ていた。

が、姉と別々の先生になったことで、私は、一人で発表会に参加しなければならず、今まで気付かなかったけれど、一人だと、こんなにも不安で、寂しいものなのか、、、と思った。

そして、その時はじめて、、、というか、その日だけ、姉と一緒の先生に習えばよかったなあ、、、と思った。

けれど、次の年、、か、その次の年のピアノの発表会の写真には、私の隣には、ちゃっかり、姉が写っている。

姉も、私の先生に変わったのだった。

 

その頃から、私たちを取り巻く環境が変わり始めた。

相変わらず、夕方になると、よしこは、「ピアノの練習をしなさい!」 「早く弾きなさい!」と、しつこかったが、もう、そのことで、追い出される事は、なくなっていた。

私たちは、メキメキと頭角をあらわし、ピアノの才能が開花しつつあったからだ。

、、、、と言いたいところだが、そうではなかった。

ピアノは、確実に、以前より楽しくなったが、私たちは、やはり、チャンスさえあれば、練習を怠けていた。

 

ある日、よしこが、私たちを前に、真顔で言った。

「ママ、もう、音大の夢は、あきらめたわ。 もう、りかとちはるには、何の期待もしない事に決めたわ。」

ふつうだったら、こんな事を、突然言われたら、ドキリとし、ショックを受けるところかもしれないが、私は、”よくぞ言ってくれた! やっと気付いてくれた!!”と思い、心の中で、バンザーイ バンザーイ、、、歓喜の叫びが、なりやまなかった。

”あと、もうひと声っ!”と思いながら、よしこの口から、”ピアノ、やめてもいいわよ。”という言葉がでるのを、固ずをのんで待ったが、よしこは、それからしばらく、黙ったままだった。

代わりに、私たちが聞いたのは、「ピアノは、ずっと、続けなさいよ。」という言葉だった。                                                        

 

 

次回につづく。

 

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子供の頃の習い事・ピアノ編(1/3)

ピアノを習っていた、小学生だった頃の話。

 

 

”このピアノさえ、家になかったら、、、!!”

これは、私と姉が、小学校(特に低学年)の頃、心の奥底から感じていた、悪の呪文のようなものだ。

 

ポロポロポロポロ。。。

心地よい、優雅なピアノの音色。

でも、実は、優雅な印象を受けるものほど、舞台裏は大変だ。

鳥は、水面では、余裕の顔をして、気持ちよさそうに浮いていても、水の中では、バタバタバタと、絶えず、足を、忙しく動かしている。

それと同じで、美しいものほど、人の目に映らない影で、人知れず、地味でストイックな努力を必要とされるものなのかもしれない。

 

ボロっボロっ ボーロボロ。。。

私の弾く、つっかかってばかりで、気持ちの入らないピアノの音色。

こちらは、間違っても、優雅とは言えないので、舞台裏は、さぞかし、暇で、のーんびりしたものなのだろう、、、と、思われるかもしれない。

、、、が、どっこい、そんな事はない。

こちらの舞台裏も、それはそれで、大変だった。

 

母・よしこは、ピアノが大好きで、昔、音大に進みたかったのだが、その夢は叶わなかった。

で、子供の私たち(私と姉)に、夢を託した。

だから、音大を目指せるくらいに、厳しく指導してくれる先生を、近所で探した。

毎日、夕方になると、「ピアノの練習しなさい!」 「早く弾かないと怒るわよーっ!」という、よしこのゲキがとんだ。

夕方といえば、当時、”アタック№1”や”サリーちゃん”など、私たちの好きな番組が目白押し。

”こずえちゃん、、、がんばって、、!!”と思って、盛り上がっているところを、バチッ

よしこが、無情にも、テレビのスイッチを消す。

私たちは、黒いピアノをにらみつけながら、「りかちゃんが先!」 「ちはるちゃんが先!」 「昨日は、りかが先に弾いたから、ちはるちゃん!」

、、、今日は、どちらが先に、最初の犠牲者となるのか、言い争う。

結局は、じゃんけんの敗者が、渋々、ピアノに向かい、鍵盤をたたきつける様に弾く。

ピアノの音色には、心がそのまま映ってしまう。

その音色を聴いた母が、怒る。

ますます、ふてくされた音になる。

よしこの手が飛んでくる。

しまいには、「出ていきなさーいっ!!」という事になり、家を追い出される事に。。

ここまでが、ひとつのパターンになっており、違う事といえば、追い出されるのが、私なのか、姉なのか、それだけだった。

 

当時、私たちは、よく、追い出されていた。

(文字通り、”着の身着のまま”、靴をはく猶予も与えられずに、家からつまみ出された。

この、”追い出されたこと”を語ると、長くなるので、この話は、またの機会に。。。)

私たち姉妹は、追い出されるほど、ひどくしかられたのは、ピアノがらみの事だけだった。

まー、しかられるのは、しょっちゅうだったけれど、大抵は、「ハーイ。」 「ハイハーイ。」と返事しているうちに、何となく解決していった。

が、こと、ピアノの事になると、よしこの怒りっぷりは、スゴカッタ!

 

でも、皮肉にも、よしこが怒れば怒るほど、私たちは、ヤル気を失い、反抗心をもやすことになった。

そして、”悔しいから、頑張って練習しよう“という方に向かえば、めでたしめでたしだったのだが、私たちは、”いかに、練習をサボるか”という方向にまっしぐら。

よしこが外出して、家にいない時は、「ラッキー!!」

姉と手をとりあって、喜びを分かち合った。

そして、”練習したことにしよう”と言って、楽譜に丁寧にも、”つば”をつけて、めくった跡をつけ、いかにも、練習しましたという証拠をつくり、のびのびとした気持ちで、ゆっくりとテレビを楽しんだ。

(当時、家では、”テレビは一日30分まで”と決められていたので、テレビを、いつもより長く見られることだけで、幸せな気持ちがこみ上げてきた。

いつもは見られない、”いなかっぺ大将”なども見て、楽しんだ。)

また、母が家にいる時でも、練習する時間は、大抵、よしこは、キッチンにいたので、”ピアノを好きで弾いているんじゃない”という、反抗心から、ピアノの横や、ペダルのところに本をひろげ、片手づつの練習の時などは、本をチラチラ読みながら、弾いていた。

こんな練習をしていて、うまくなるはずもない。

メト-ドローズという、ばら色の表紙の、横開きのピアノの楽譜があるが、一つの曲が完成して、次の曲にいくまでに、いったい、どのくらいかかったことか、、、。

それは、それは、気が遠くなるほど、時間がかかった。

(姉もまた、私と同様、メトードローズに、よい思い出なんて、かけらもないと思う。)

 

レッスンの日、先生は、私の演奏を聴くあいだ中、”ハア、、、っ。” ”ハア、、、っ。” と、何回、ため息をついたか、わからない。

私たちは、”ため息先生”に2年くらい習った後、よしこの考えにより、その先生をやめて、別の先生に習うことになった。

ため息先生のお宅に、よしこが、”辞めます。 お世話になりました。”と挨拶に行ったとき、”これで、私も、気がラクになります。”と言われたというのだから、どの程度、先生にとって、私たちが、お邪魔な劣等生であったかは、容易に想像できる。

 

次回につづく。                                                                                                                           

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子供の頃の習い事・習字編

今でこそ、子供の時、習いごとをさせてもらったおかげで、いろんな形で、役に立ってるなあ、、、と思うが、その当時は。。。

 

 

私と姉は、幼稚園の頃から、ピアノ、小学校1年生の時から、お習字を習っていた。

今日は、習字教室に通っていた頃の話。

 

私は、小学生の頃、寺子屋風の習字教室に通っていた。

社宅に住んでいる子供たちを集め、先生が習字を教えてくれた。

生徒の家が順番で、教室の会場となる。

社宅なので、どこの家も、間取りはまったく同じだったが、その家その家で、家具やカーテンが違うのはもちろん、雰囲気もまったく違い、単に、”習字を習う“ということに加え、“お宅拝見”気分も加わり、毎回、わくわくした。

殺風景なコンクリートのビルの中にある教室とは、ひと味ちがい、まさに、アットホームな会場だった。

そういうタイプの習字教室は、今では、、、いや、昔でも、珍しいのではないかと思う。

 

そこに行けば、同年代の社宅の子は、全員来ていたので、”今日は、みんなで缶けりして遊ぶ代わりに、お習字ね。”という感覚だった。

習字は、特別、”楽しい!”というものではなかったけれど、みんなで集まって習う、、、というところが、学校の延長のようで、楽しかった。

習字の時間は、私語もできないほど、ピーンと緊張感、漂う感じだったので、その場で、集中して、お手本を左に見ながら、黙々と書かざるを得なかった。

そして、自分が書いた字について、その都度、その場で、先生は、厳しく指導してくださったので、その時間内に、しっかり、習い、学ぶ事ができ、私たち姉妹は、それなりには、上達した。

 

、、、が、もちろん、家で、練習して、もっとうまくなろう、、、までの熱心な気持ちは、さらさらなく、それどころか、毎週火曜日、習字教室に行く前は、私たちは、洗面所で、大忙しだった。

というのも、墨で、カチンコチンに固まった筆を、急いで洗い、教室に持っていかなければならないからだ。

本来、筆というものは、教室が終わった日、もしくは、せいぜい、次の日には、ちゃんと洗っておくべきものなのだろう。

他の友達の筆は、見るからに、私の筆より、毛がフワフワしていたもの。。。

たまたま、次の週は、習字教室はお休み、、、なんて事になると、2週間放置された筆を、もとのような毛並みにするのには、大変に骨が折れた。

それがイヤだったら、”筆は、これから、帰ってすぐ、洗うことにしよう、、、。”と、”学習”しそうなものだが、私たち姉妹に、そういう、”改心”の心は、残念ながら、まったく芽生えなかった。

 

あいも変わらず、二人で、いつも、直前になって、洗面所で、筆洗いに格闘していた。

その筆洗い。。。

いきなり、石鹸をモクモクつけて、ほぐそうとしても、なかなか頑固に固まった筆は、柔らかくはならない。

石鹸をつける前に、水をたっぷりつけて、肩のコリを、ゆっくりゆっくり、もみほぐすがごとく、毛先から、ちょっとづつ、マッサージする事からはじめる、、、など、コチコチ筆は、コチコチ筆専用のテクニックが必要とされた。

その、言ってみれば、”職人芸”のようなところが、実は、気に入っていたのかもしれない。

(母・よしこは、私と姉が、たて続けに、筆を洗った後、洗面所が真っ黒になるのを見て、、、はたまた、まったく無駄としか、言いようのない労力をかけて、必死になっている私たちを目撃するたびに、”もう、ウンザリだわ。。。”という顔をしていたっけ。。。)

 

、、、、が、手慣れた職人にも、失敗は、つきものだ。

洗っている途中、筆が、固まった毛先ごと、無残にも、根元から、ポッキリ折れてしまうことも、一度や二度ではなかった。

ある時、私は、”うわーっ どーしよう。。”と、焦りながらも、引き出しから、セロテープを持ってきて、根元にグルグルと巻きつけ、応急処置をし、そのまま、仕方なく、習字教室に持っていった。

私は、とりあえず、今日をしのごうと、手加減して、力を入れないよう、細心の注意をはらい、ヒョロヒョロの字を書いた。

が、やはり、一度、真っ二つに分解されてしまったものは、何事もなかったようにはいかず、筆の胴体と毛の部分は、次第に、ギクシャクしはじめ、字をはねた瞬間に、不覚にも、筆の毛先まで一緒に、はねてしまい、ピューンと、飛んで行ってしまった、、、なんて事もあった。

筆の胴体だけ握りしめ、”げっ マズイ。。”と、固まった私を見た時の、先生のあきれ顔は、今でも忘れられない。

 

習字教室には、”硬筆”というのも、あった。

筆ではなく、決められた手本を、硬筆エンピツで書くものだ。

それは、教室で、時間を設けて、練習するのではなく、家で、宿題として、渡される。

そして、毎月一回、検定に提出するものを、清書して、書いていかねばならないのだ。

筆も洗わぬ私たちが、ゆっくり、時間をかけて、清書するハズもなく、私たちは、決まって、筆を洗った後、ものすごいスピードで、”カリカリカリ、、、カリカリカリ、、、。”と、いっせいに、音をたてながら、清書したものだ。

なにせ、筆洗いに、ことのほか時間がかかるため、丁寧に書くのはおろか、仕上がった清書は、まるで、そこらへんのメモ紙に、走り書きするような有様であった。

 

年に一度、七夕の時期に、すごく太い筆で、縦に長ーい、大きな紙に、上から、またがるようになって書く、習字があった。

私は、体ごと、勢いをつけて、ダイナミックに書ける、その習字が大好きだった。

、、、が、それに比べ、硬筆、、、こちらは、なんだか、細々としており、地味で、ちっとも好きになれなかった。

おかげで、毛筆(習字)は、時間がたつに連れて、段がトントンと上がっていったが、硬筆は、まるっきりダメで、いつまでたっても、級どまり、、、しかも、初心者レベルから、上がる事はなかった。

他の友達は、毛筆のレベルと、硬筆のレベルは、ほぼ同じで、どちらも仲良く一緒に上達しており、私のようなケースは、他に例をみなかった、、、姉を除いては。。

私と姉は、毎回、前の月に、提出した硬筆の検定結果を見ても、少しも落胆することは、なかった。

それどころか、むしろ、お互いに、今回もまた、昇級がなかった事を確認すると、二人の間には、妙な、”仲間意識”が育っていった。

そこには、安堵の気持ちすら、漂っていたりして。。

ケンカもよくするが、こういうところでは、やたらと気があう姉妹であった。。。

 

 

P.S. 

前回のブログ”誕生日”に、たくさんの、おめでとうメッセージをいただきました。

あたたかい言葉につつまれ、おかげ様で、ステキな10歳の誕生日になりました。

心から、、、ありがとうございました。

 

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誕生日

今日は、そうちゃん・10歳の誕生日。

 

”よく、ここまで成長してくれたなー。”という気持ちと、”よくぞ、私を、ふりまわしてくれるなー。”という気持ちと、半々ではあるけれど、まずは、10歳を元気に迎えられたことが、何より、うれしい。

そして、この10年という節目を迎え、これまでを振り返るにつけ、なんだか、感慨深いものがある。

今でこそ、”せめて、一日26時間になればなあ。。。”と思うほど、一日がビュンと、あっという間に過ぎてしまうけれど、そうちゃん(息子・10歳・♂・知的障害アリ)が生まれてから2~3年は、長かったなあ。。

”これから、そうちゃんは、どんな風になっていくのか。”、、、さっぱり、見当もつかなかったし、”私は、どこに向かって進んでいけばよいのか。”、、、これまた、さらに、わからなかった。

そうちゃんの、あまりに、ゆっくりで、とまっているかのような発達ぶりをみるにつけ、漠然とした怖さと、空虚な気持ちが、私の中に漂っていた。

(発達の一つ一つが遅く、1歳になっても、お布団に寝ている、そうちゃんは、まるで、大きなお人形を寝かせているようだった。

ただ、仰向けになって、首を左右には動かせるものの、寝返りさえ、うてなかった。)

 

いったい、この先、私は、お腹を抱えて、心の底から、ガハガハと笑える日が、再び訪れるのだろうか、、、とよく思っていた。

その頃は、まったく、白黒の世界になった時期だった。

緑の葉っぱも、青い空も、赤い夕焼けさえ、色を失っていた。

なんとか、そうちゃんの障害を受け入れなくっちゃと、焦っていた時期とも重なる。

一日を終える頃には、しっかりと、そうちゃんの事を、受け止めた気持ちになるのだが、一晩寝ると、きれいさっぱり忘れてしまい(それまでは、イヤなことがあっても、一晩で忘れられるので、それが、私の最大の長所と思っていたのに、それが、裏目にでたのですねー。)朝、横で、そうちゃんが、スースー寝息をたてて、気持ちよさそうに寝ている、平和な顔を見て、”あっ、、、。夢じゃなかったんだ。。。そうちゃん、障害があるんだ。。。”と、思い出す瞬間、ハッと現実に引き戻される瞬間が、たまらなく辛かった。

 

親というのは、ハタから見て、お世辞にも、かわいいとは言えなくても、また、とても利口そうに見えなくても、赤ちゃん時代だけは、期間限定で、”えーっ。。うちの子、かなり、かわいいんじゃない?”とか、”ものすごく賢そうだよねー。将来、何になるのかなー?”などと、たとえ、勘違い、はなはだしかったとしても、唯一、夢見れるのがこの時期だ。

なのに、傍らで、横になったままの、本当に安らかな顔をした、そうちゃん。。

希望に満ち満ちたはずの将来が、ばっさりと寸断されてしまったように思え、そのことが、ただただ悲しく、そして、なんて残酷な事だろうと思った。

 

そんな時、父が、「子供は、天からの預かりもの。 だから、そうちゃんを預かったと思って育てなさい。」と、言ってくれた。

赤ちゃん、、、とかく、その子が病気となると、ますます、自分と子供は一体であるかのように、思いがちだが、その言葉のおかげで、”そうちゃんは、そうちゃん。” ”私は、私。”と考えるようになった。

だから、私は、事はじめに、そうちゃんが、お布団に横たわって、動かないでいてくれる事をいいことに、そうちゃんを部屋の隅に寝かせ、自宅で、ピアノやエレクトーンを教え始めた。

あの時の私には、没頭できる、自分だけの世界があることが、何よりも必要だった。

(そうちゃんも、その時期、私が、子供たちに教えた曲を、今でも、すべて、覚えていて、ハミングできる。)

そして、何より、”なーんだ、、、。預かってるだけかー。”と思うと、とたんに気が楽になった。

そして、大切に育てようとも思った。

本一冊、例にとっても、自分のものだと、乱雑にあつかったりするが、預かりものは、大切にしなくっちゃ、、と思うものだ。

 

それにしても、自分のところに、障害のある子供が配属されるなんて事は、10年前の私の未来予想図には、なかったことで、人生、大幅に、ずれてしまったようにも見える。

にもかかわらず、「そうちゃんが生まれて、人生変わったでしょう?」と真っ向から問われると、不思議と、それほどは変わってない気がするのだ。

あくまで、それまでの人生の延長線であることは、間違いない。

その都度、自分に無理がないよう、自分の気持ちにウソつかないよう、時に、たっぷりたっぷり、自分を甘やかしながら、軌道修正は余儀なくされてはきたけれど。。

私としては、ほんのちょっとづつ、気持ちを新たにしてきたから、そう思えるのかもしれない。

 

人生は、自分の前に、まっすぐに道がのびているように想像しがちだけれど、ヒョッとまわりを見渡すと、今まで気がつかなかった道が、あっちにこっちにあるものだなあ、、、ということを、そうちゃんは、教えてくれた。

道は、まっすぐと、どこかに向かっていくものではなく、その都度、分かれ道や抜け道があって、いろんな道を歩きながら、後ろを振り向いたら、自分が歩いてきた所が、道になっていた、、、という感じなのかもしれない。

 

今日もまた、世界のどこそこで、かわいい、元気な赤ちゃんが、大勢、誕生しているだろう。

だけれど、その中には、病気を抱いて生まれてきた赤ちゃんも、いることと思う。

そのことを思うと、あの時の私を思い出し、胸が痛む。

 

いろんな思いを馳せながら、、、今日生まれた、みーんなに、ハッピーバースデー!!

 

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古いもの自慢

”ピンポーン”

突然、家に、誰かが来たとき、「あら、、、ステキ。。」と思われるような、部屋着を着ていたい。。

が、実際は、、、。

 

 

今日は、雨。

雨がザーザー降る日に、晴れた日と変わらず、パリッとオシャレをしている人、、、すごいなあ。

私、そして、周りの家族を見渡しても、雨の日は、当然のように、1ランク、いや、2ランク以上、一気に、オシャレ度は下がる。

ビショビショになったり、泥はねしても、「あーあ、、、。」と、悔いることのないレベルの靴になるのはもちろん、洋服も同様、コーディネートはさておき、何より、”ぬれてもよいか”という、いたってシンプルな基準により、選ばれる。

その上、小さい赤ちゃんを連れてのお出かけ、、、という事になると、”ミルクを吐かれてもよいか”という基準も、新たにプラスされる。

 

家の中の部屋着にいたっては、洗剤がとんでもよいか、油がはねてもよいか、オレンジジュースをこぼしてもよいか、子供にミートソースのベッタリついた手で、”ねえ、ねえ”と触られてもよいか、、、などなど。。

条件は、さらに、爆発的に増える。

、、、、という事で、この冬の、私の部屋着は、自ずと、フリース地の上下、そして、その上からダウンのベスト、、、というのが定番となった。

父が、母・よしこに、「ちはる(私のこと)は、いつも、あの服を着ているなあ、、。よっぽど、あのスタイルが気に入っているんだろう。」と、言っていたらしいが、気に入るも、入らないも、いろんな事を考慮すると、ここにしか、たどりつかない。

なにしろ、この部屋着が、一番、自分自身が、おおらかでいられるのだから。。

抱っこしている息子に、予告なく、マーライオンのごとく、ものすごい勢いで、ミルクをゲーされても、少しも慌てることなく、何事もなかったかのような、平穏な顔をしていられるのは、この服以外、ありえない。

 

母・よしこは、常々、”本当におしゃれな人は、家で、いいものを着る人なんですって。”と言う。

よしこは、季節が変わったといえば、その度に、いっぱい洋服を買うので、私は、時々、「ねー、ママ。ママのクローゼット、もう洋服がぎっしりじゃない? 洋服は、これからしばらく買わないか、古い洋服は、思い切って捨てたら?」と言う。

すると、よしこは、きまって、こう言う。

「あのね、古い洋服でも、いろいろ思い出がつまっていて、いざ、捨てようと思っても、捨てられないものなのよー。

でね、ママ、決めたの。 ママ、家で、いつもボロ着てるでしょ。 これからは、家で、こんなボロばっかり着てないで、クローゼットの中に入っている洋服を、片っ端から着ていって、それから捨てようと思って。」

、、、、が、それが実現したのを、私は、もちろん、見たことがない。

 

姉が、里帰りして、実家に、みんなが集まったとき。。。

「わー 久しぶり!」と、最初に会った時の私たち三人(私・姉・よしこ)と、実家について、10分たった後の私たちは、まるで違う。

家に着くなり、皆、いっせいに、部屋着(ボロ)に着替えるからだ。

そして、そこからの会話は、いつだって決まっている。

「その服、どこで買ったの?」などという会話はいっさいなく、「わー なつかしい! まだ、それ着れるの?」から、「まだまだ、きれいねー。 すごいわー。」という賞賛へと変わり、そんなに長く着れるのは、”毎年クリーニングにだしているのか”、それとも、”ハイベックで洗っているのか”、、、という事が、話の焦点となる。

(ハイベックという洗剤があって、家でも、ドライクリーニングマークのものなども、とってもきれいに洗えるのです。)

そして、何年前に買ったものか、、、というのが、続いての話題となり、「これ、5年前の福袋に入ってた洋服よ!」 「これなんか、もう10年くらいになるんじゃないかなー。。」

と、それぞれの、”古いもの自慢”が始まるのだ。

そして、「そんな感じの服ね、今年、はやってるわよ!」と、誰かの服を指して、我が家のファッション・リーダー(?)・よしこが言うと、”ファッションというものは、めぐりめぐって、循環していくものなんだねー。 ずーっと、じっと待っていれば、新しいものを買わなくても、また、はやりに乗れるんだねー。”という結論に達し、一連の話は、終結する。  

この会話は、おきまりのパターンとなっており、三人(私・姉・よしこ)が集まると、コース料理で言うなら、”前菜”みたいなもので、ここから、おしゃべりが展開されていく。

この、”古いもの自慢”をしている時には、必ず、父も、どこからともなく、やって来て、「これなんか、買って、0年になる。」

そして、私のダンナさんも、「これも、0年前ですよー!」と、なぜか、続々、参加者は増えていく。

 

なぜ、これほどまでに、毎回、自分のボロの部屋着について、”古いもの自慢”するのか、実は、よくわからない。

みんな、いつでも、今日、初めて言っているかのように話し、また、今日、初めて聞くかのようなリアクションをするのだが、なにせ、”古いもの”だけに、前回、会った時も、同じ服で、”古いもの自慢”したこともあったりして、、、、そこがまた、面白かったりする。。。                                                   

 

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そうちゃん・動物園へ行く

私は、今でも、動物園が好き。

私が小学生の時、通っていた小学校のすぐ近くに、動物園があった。

小学生は、入園料がタダという事もあり、友達や姉と、「行く?」「行こうかー。」という感じで、暇さえあれば、動物園に通った。

動物園には、いろんな動物がいるもんだ。

羽のあるもの、ないもの。

しっぽのあるもの、ないもの。

手のひらに、ちょこんと、のっかってしまうくらいのもの、ものすごーく大きいもの。

野菜しか食べないもの、魚しか食べないもの。

人なつっこく、こちらに寄ってくるもの、人間を警戒するもの。。

 

そうちゃん(息子・9才・♂・知的障害アリ)が生まれて、1歳半になるくらいまでは、障害があると告げられても、”いやー、、、もしかしたら、この先、急に成長して、気がついてみたら、何も問題なかった、、、なーんてことに、なるかもしれない。”と、思った時期もあった。

でも、今となっては、もし、そうちゃんに、障害がなくなった、、、なんてことになったら、”そうちゃん”は”そうちゃん”ではなく、別の子供(別の動物)になってしまう、、、とさえ思う。

動物園に行くと、容姿も性格も習性も、どれをとっても、一つとして同じものはなく、命、ひとつひとつが、まったくそれぞれに違った個性をもつものなんだなあ、、、世の中には、本当にいろんな生き物が存在するんだなあ、、という事を、今さらながら気付かされる。

オリに入った動物たちだけでなく、そこに来ている人間もまた、動物たち以上に、一人一人違い、個性的だったりして。。。

今でも、動物園は、私に、いろんな事を教えてくれる。

 

この間、私は、”さあ、、、今日は、久しぶりに、ゆっくりと、動物見学でもしちゃおう、、、。”と思い、動物園へ。。。

、、、、と、思ったが、ゆっくり見れるはずはない。

今日は、傍らに、そうちゃんがいるからだ。

この春休みもまた、私の隣には、いつも、そうちゃんが。。

そうちゃんは、まだ、ジーッと、観察したいと思うほど、動物たちに、興味がない。

ただ、“カバ”だの、”ゾウ”だの、自分が知っている動物たちを、動物図鑑を見る感覚で、サッと見たい程度なのだ。

 

そうちゃんが、「カバ!」「カバ見たーいー!」と叫ぶと、私は、「カバね、、、カバ、、、カバ、、、。」と、動物園の入口でもらったパンフレットの園内マップで、まずは、私が今、どこに立っているのか、位置を確認。。

もともとが、ひどい方向音痴なので、現在位置をよく確認するも、”えっ、、、。カバって、、、こっち?、、、どっち??”とか迷いながら、モタついていると、なかなかに、そうちゃんは、セッカチなので、「ママー!!カバよー!カバ!カバ!」とイライラしながら、大きな声で叫ぶ。

途中、”あっ、、、こっちじゃなかった、、、。”などと、道がそれたりしたのを軌道修正しながら、ようやく、カバのオリの前に到着。

さあ、、久しぶり、カバでもゆっくり見よう!”と私が思った瞬間、息子は、「次!次!」と叫ぶ。

(息子は、べつに、カバに興味があって、ここに来たのではないのだ。

単に、”カバがカバであること”を確認しに来ただけなのだ。)

「次は何が見たいの?」と私が聞くと、次は、キリンだそうだ。

何しろ、「キリン!」と言ったら、待ったなしで、即座にキリンの所へ行きたいらしく、私の手をグイグイひっぱる。

おかげで、私は、水中にもぐっていたカバが、どっちが頭で、どっちがお尻かさえ、確認できないまま、またまた、パンフレットの園内マップとにらめっこする。

ようやく、キリンのところにたどり着いたら、息子は、ひと言、「うわー!キリーン!」と言った。(、、、で、それで、観察終了。)

キリンは、”昨日も来たね。あんた、また来たの?”という風に、チロッと息子を見る。

”わっ やっぱり、キリンって大きい! さっ、ここのベンチに座って、ゆっくりキリンでも、ながめよう!”と思った瞬間、息子は、「次!次!」と叫び、私の手を、ものすごい力でひっぱる。

「次は何?」と聞くと、つぎは、ゴリラだそうだ。

ゴ、、、ゴリラ、、、って!

ゴリラは、さっき見た、カバの近くじゃない、、、。

だったら、さっき見た、カバの次に行けば、近かったのにー!

、、、、と、延々、その繰り返しで、私たちは、アップダウンのはげしい、動物園をあちこちと歩き回り、私のあの日の運動量は、かなりのものだったと思う。

とにかく、「そうちゃん、せっかくなんだからさー,ゆっくり見ていこうよー。」と私が言っても、なにしろ、ゆっくり何を見ればいいのかがわからないので、キョトンとするばかり。

次の目的地に行く事のみが、彼の目的になっているのだ。

 

でも、この日の目玉は、なんと言っても、ポッポ号。

動物園出入口近くにある、小さい子供とその親が一緒に乗る、大人100円・子供20円の、小さな汽車・ポッポ号。

ポッポ号は、きれいな花壇を2周する。

 

「さあ、そうちゃん、帰ろうか?」と言う私に、息子は、”せーんろは つづくーよー どーこーまーでーもー”の歌をハミングで、オペラ歌手かと思うほどの大きな大きな声で歌い、「乗りたーいー!!」と言いながら、私をひっぱって行く。

チケットを二人ぶん買い、ゲートをくぐると、もう、それは、うれしそうに、「やったー!!」と声を震わせ喜ぶ、そうちゃん。

ポッポ号の一両目には、3才くらいの女の子が乗っている。

3両くらいあるポッポ号に、お客さんは、私たちを入れて、3人ぽっきり。

そうちゃんは、身長が150CMくらいあるので、きっと、はたから見たら、小学校6年生くらいには見えると思う。

その大きな子供が、我を忘れて、おおはしゃぎなのだ。

もう、私は、その時点で、この、フツウではない状況が、おかしくなって、笑いがフツフツとこみ上げてきた。

なのに、そこから、さらに拍車がかかる。

ポッポ号の車掌さんが、マイクを持ち、「さー 皆さーん! ほら、前を見てごらん! ポッポ号の運転手は、しまちゃんだよー!」(しまじろうが、一番前の運転席に乗っていて、体を左右にヒョコヒョコ動かしているのが見えた。)

すると、そうちゃんは、満面の笑みで、しかも、大きな声で、「はーーーーーいっ!」

ガッ、、、タン  ガッ、、、タン。

今、ポッポ号が動き出した、、、という時、またまた、ホームに立っている車掌さんが、マイクを持ち、大きな声で、「いってらっしゃいませー!!」

すると、そうちゃんは、ブンブン手をふりながら、「いってぃきまーすっ!!」

ガッタン ゴットン ガッタン ゴットン。

もー 笑いがっ、、、笑いがとまらない、、、どうしよう。。

あっという間に一周して、ホームを通過。

車掌さんが、「バイバイ!」と言って、大きく大きく手をふってくれる。

ポッポ号を囲む柵のまわりに立っている人たちも、こちらを見て、手をふってくれている。

そうちゃんは、それに答えて、立ち上がらんばかりの勢いで、「ばいばーいっ!! ばいばーいっ!!」

こんな状態で、あと一周しないといけないなんて!!

2周目は、もう、私は、ヒーヒー笑って、涙が出るほどだった。

そうちゃんと二人だと、この笑いをどこへもっていっていいのか、わからなくなる。

次回は、ぜひとも、連れが必要だ。。。

 

ところで、私は、いつまで、ポッポ号につき合わされるのだろうか。。。

                                                              

                                                               

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