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出前・にぎり寿司の食べ方

一人前ずつの桶に盛ってもらい、落ち着いて、ゆっくり、マイペースに味わうのがよいのか。。

それとも、大きな桶に盛ってもらい、わいわいやりながら、みんなで楽しむのがよいのか。。

 

私の育った家では、”一人前ずつ桶派”だった。

出前のにぎりをとった日は、当然のように、人数分の桶・4つが重なって届けられた。

そして、みんなが楚々と席につくと、私にも配給され、桶が、ポンッ、、、と、目の前に置かれた瞬間、桶の中の、イカもブリもマグロもエビも穴子も、何もかもが、自分の所有物となる。

自分の所有物となった上で、「り香ちゃん(姉のこと)、エビとイカ、かえっこする?」などという、トレードが行われたり、「お腹いっぱいになっちゃったから、これ、あげる。」というような譲渡が行われたりした。

、、、こんな感じで、自分のものを、まずは、白黒はっきりさせる、、、という食べ方が、我が家流。

(白黒はっきりさせる、、、という部分のルーツをひもといてみると、昔、私と姉は、食べ物では、何かと争った仲で、”ひやむぎ”の束に入っている、数本の、赤やグリーンや黄色の、”カラフルひやむぎ”(と、私たちは勝手に呼んでいた。)に至るまで、競いあった。

母・よしこが、お昼どき、「さー 食べるわよー。」と、大きな器に入った、ひやむぎを持ってくるのを見たら、二人で飛んで行った。

「さあ、やらねばっ!」という気持ちが、わいてきたものだ。

それからというもの、カラフルひやむぎを目当てに、お箸で、あっちの角度から、こっちの角度から、カチャカチャと音をたてながら狙い、自分のそばつゆの器に、チュルリンと入っていくのを見届けるまで、まー、それは、大変な騒ぎだった。

どうして、そのくらいの事で、多大なるエネルギーを消費していたのか。。。

今となってはナゾとしか言いようがないが、きっと、子供という生き物は、こんなものなのだろう。。

それにしても、あの、カラフルひやむぎ、、、、どうして、数本しか入っていなかったのだろう。

また、カラフルひやむぎを、入れなければならない理由が、あったのだろうか。

カラフルひやむぎが、もっといっぱい入っていれば、ケンカには、ならなかったし、反対に、いっそ、1本も入っていなければ、それまた、ケンカになんか、ならなかったのに、、、。

悔やまれる。)

 

 

ダンナさんの実家に遊びに行くと、そうちゃん(息子・9才・♂・知的障害アリ)が、大のマグロ好きなので、いつも、にぎり寿司をとってくれる。

ダンナさんの実家は、”大きな桶派”だ。

大きな桶は、大きな桶で、たくさんのにぎり達が、ワイワイ肩をよせて並んでいるので、一人前の桶のひっそり感とは一転、なんだか、にぎやかで、「さーっ いっぱい食べちゃうぞー!」という気持ちになる。

 

、、、、が、そこからが、ちょっと面白い。

まず、そうちゃんは、にぎりの中でも、マグロと穴子以外は、食べない。

よって、大きな桶の中の、マグロと穴子は、すべて、そうちゃんのものとなる。

長女(2才)は、イクラ大好き。

他のものは食べない。

よって、イクラは、すべて、長女のものとなる。

それだけですめばよいのだが、、、。

 

義母は、いつも、みんなが一斉に、「いただきまーす!」と言うと、「どんどん食べてねー。どれでも、好きなの、ぜーんぶ食べてねー。」と言ってくれる。

が、その後。。。

” ダンナさん「オヤジ。 イカとタコ、ぜーんぶ、食べていいよー。」           

  義父   「お父さんねー、もうー、イカとタコがあったら、なーんにもいらないって

         いうくらい、イカ・タコが好きー!」                         

  ダンナさん「オフクロ。 エビ、ぜーんぶ、食べていいよー。」

  義母    「うわーっ。 お母さん、エビ、だーい好き!」”

、、、、と、この会話は、大きな桶を目の前に、毎回、”舞台台詞”のように、いつも変わることなく、繰り返される。

つまり、この、一連の台詞が終わった時点で、にぎりの桶の中から、マグロ、穴子、イクラ、イカ、タコ、エビ、全ての所有権が失われた事となる。

後に残るは。。。

白身魚のにぎりと、かっぱと、玉子と、巻き寿司、、、。

なんだか、かなり地味な面々となる。

その、華やかさのうすい、にぎり達と目があったとき、一瞬、ガク然とした失望感を感じるのは否めないが、みんなの、それはそれは美味しそうに食べている顔を見るにつれ、「私は、そこまでの域には達していない。イカだって穴子だって、”これ以上ないくらい、オマエが好きだ“っていう人に食べてもらった方が、きっと幸せに違いない。

成仏できるっていうもんだ。。」と、毎回、心から思う。

にぎりの醍醐味は、いろいろと一通り、食べられるところにあると思っていたが、こういう食べ方もありなのだ。

 

そういえば、私の家族は、ダンナさん曰く、「みんな、ホントに仲がいいけど、よーく見ると、みーんな、一人一人が、違う方向むいてるねー。」という言葉に象徴されるように、持ち味がそれぞれに違う。

たとえば、皆が集まったときでも、家族の誰かが、「さあ、00に行こうかあ。」と言っても、「うん、行こう、行こう。」、、、という人がいると思えば、「えーっ、、、。XXに行こうよー。」と言う人も必ずいて、なかなか意見がまとまらない。

それに対し、ダンナさんの実家は、「さあ、00に行こうかあ。」と、最後まで言い終わらないうちに、みんなが、「そうしよう!そうしよう!そこに行こう!」と全員一致となり、あっさりとすぐに決まってしまう。

なんだか、譲り合いの精神に満ち満ちている。

 

こういった違いも、にぎり寿司の食べ方に、微妙に関わっているのかもしれない。。。

 

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コメント

ダンナさまのご実家で食べられる幸せな魚たちにジャンルは違うけれど仲間をご紹介しま~す。

それは、焼肉のミノ!(知ってますか?牛のどこかしらかの部分)
これもまたうちの母に愛されてやまないシロモノ。
実家にいき、焼肉に連れて行ってもらうと
「どんどん食べて~!ほら!早く!」と本当に積極的に追加オーダーをすすめる母。
それもこれもミノが食べたいという熱い思いに尽きるのです。
私が「じゃ、カルビとタン塩と冷麺追加しようか~。」などどダンナさんとオーダーを相談したあとに必ず一言、「じゃ、ミノも。」
これが本当に間が悪く、だいたいいつも一番先に来てしまうのですがそのとたん網いっぱいにミノを広げ、あとからきたカルビを置くスペースもないほど。しかも歯ごたえが異常にあってひとつ食べるのに相当時間がかかるのでなかなかカルビにありつけない。
最近ではダンナさんが焼肉奉行になり、「あっ、お母さん!ミノはそこまでそこまで。」と網の空きスペース確保に従事しています。

ちなみに母の食べる割合はミノ:お肉=8:2くらい。
これだけ愛されるマニアックな食べ物、ミノ。。。牛さんも幸せに思ってくれるかなぁー。


投稿: こころ | 2006年3月22日 (水) 00時42分

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