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2006年3月

続・ローラ

ローラは、絶世の美女、、、には、遠くおよばなかったが、私たちにとっては、十分、かわいかった。

そして、動物病院の入口に、はってあった、張り紙どおり、ズバリ、”番犬に最適”な犬であった。

いつも、玄関のピンポーンがなる、かなり前に、耳をグーッと後ろにやったかと思うと、「ワンっ!」と、緊張感のある声を出して、人がこれから来る事を知らせてくれ、私たちを驚かせた。

 

「ローラ!」と呼ぶと、シッポがちぎれる程、ブンブンふって、「オー ワワワワワっ!」「アー ワワワワワっ!」、、、と、犬とは思えない、珍しい、独特の声で、さらに、その声に、ビブラートをかけて、うれしくてたまらないという表情をしながら、いつでも、すっ飛んで、駆け寄って来ては、甘えて、幸せいっぱいの顔をした。

(だが、家族以外には、決して心を許さず、甘える事はなかった。)

 

ローラは、不思議と、”犬が嫌いな人”が、すぐにわかった。

ピンクの鼻にシワをよせ、”犬が嫌いな人”が、少しでも、ローラに近づくと、「うーーーー!」といって、今にも、かみつきそうにしていた。

そして、よく、家にやってくる人でも、体に少しでも触れられると、上目づかいで、チロッと見て、イヤそーな顔をした。

こういう性格は、周りの人からすると、”いつも来ているのに、なかなか慣れない、かわいくない犬”として映るかもしれないが、家族にとっては、どっこい、かわいさもひとしおとなる。

 

母・よしこは、ことさらに、ローラをかわいがった。

私と姉は、今でこそ、よしこから、「ちはるちゃん」「り香ちゃん」、、と、”ちゃん付け”で、呼んでもらっているが、これは、ごくごく最近になってからのこと。

私は、小さい頃、友達がお母さんに、「サッちゃん」とか、「まゆみちゃん」とかと、呼んでもらっているのが、うらやましくて、よしこに、”今日から、私のことを、「チーちゃん」と呼んでくれないか。”と言った事がある。

が、よしこは、「チーちゃん???チーちゃんだなんて、おっかしいじゃない。アハハハ。。ちはるっていう、ちゃんとした名前があるのに、そんな、ニックネームで呼ぶだなんて、犬みたいじゃない。」

ならばと思い、”じゃー、「ちはるちゃん」でいい。「ちはるちゃん」と呼んでくれないか。”と、よしこに言うと、「ちはるちゃん???ちはるちゃんだなんて、おっかしいじゃない。なーんで自分の子供に”ちゃん”をつけなきゃいけないのよー。」と言われ、あっさり却下された。

よって、私たちは、”物を言いつけられる時”と、”弱った時(病気になった時)”以外は、ちゃん付けで、呼ばれる事は、なかった。

なのに、お犬のローラは、ちゃっかり、よしこから、「ローラちゃん」と呼ばれていた。

 

 

家族中に、かわいがられたローラだったが、問題がなかったわけではなかった。

ローラには、血統書がついていなかった。

つまりは、雑種だったのだ。

そのことが、よしこを悩ませた。

一人で歩いていて、見ず知らずの人に、声をかけられるなんて事は、ごくごく、たまにしかないのに、なぜだか、犬を横につれたとたん、もう、あちらこちらから、いろんな人に声をかけられるのは、、、あれは、いったい、なんなのだろうか。。

ローラをつれて、お散歩に行くと、自分の犬を連れて、散歩に来ている人は、必ず、聞くのだ。

「何犬ですか?」

よしこは、散歩に行き、それを聞かれるたびに、ガックリ、うなだれて帰ってきた。

そして、「ああ、、、。こんなことなら、ちはるに、あの時、デパートで、血統書のついた犬、買ってもらうんだったわ。。。ローラは、かわいいけど、一生、雑種って答えないといけないなんて、ママ、イヤだわ。。」と、ため息をついた。

私は、”何犬にも見えなかったら、「何犬ですか?」とは聞かないだろうから、きっと、ローラは、いい犬にみえるのではないか。。。”という事を、よく言っていた。

が、よしこは、視線を落としたままだった。

 

私は、”雑種”ということに対して、少しの引け目も感じなかったけれど、散歩に行くたびに、同じ質問を、何回もされ、その度に、「日本犬とポインターの雑種です、一代目の。」と、答えるのは、いささか、面倒くさかった。

息継ぎせずに言うには、これが限界、、、という程、セリフが長いし、、、。

(散歩している時、たまたま会った人が、ポインターの一代目の雑種は、ものすごく頭がいいと、教えてくれた。

実際、、ローラは、私たちの言っている事を、本当によく理解し、頭がよかったので、ローラの名誉のため、”一代目の”と、付け加えてあげることにしたのだった。。

動物病院の先生も、そう言っていたし。。)

 

確かに、”シェットランド・シープドッグ”とか、”アメリカン・コッカー・スパニエル”とか、長ったらしい犬の名前は、いくつでもある。

、、、が、どんなに詳しく言ったって、行き着くところ、こちらは、雑種なのだ。

一生懸命、力を込めて、ハリキッて言う気には、ならない。

もしも、ローラが、“ハナ”か、”ポチ”、、、あたりの名前であったなら、もしかすると、何も聞かれずに、すんだのかもしれない。

しかし、”ローラ”、、、という、なかなかにハイカラな、洋風な名前が、”鼻はピンクで、これまで見た事のない犬種ではあるが、、、ひょっとするとー、いい犬なのではないのか。。。”と、人を思わせ、惑わせていたのかもしれない。

 

それにしても、、、。

ローラは、果たして、本当に、一代目の雑種だったのだろうか。。

その辺は、はなはだ疑問だ。

だって、一代目を証明する血統書なんて、何もないのだから。。。

 

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犬のローラ

白い毛のところどころに、薄茶色の斑点があり、お鼻は、ほんのりピンク色。

足がスラリと長く、スタイルがよく、かなり、臆病だけれど、人の気持ちが、ものすごくよくわかる、かわいい、頭のよい女の子。

それが、私が飼っていた犬・ローラ。

ローラは、私が、小学校6年生が間もなく終わる、、、という頃、私の家に、やって来た。

 

私たち家族は、4月に、新しい家に引越しする事が決まっていた。

今度は、一軒家ということで、”犬を飼ってもいい”という約束を両親にしてもらっていた。

私は、家が、新しく、広くなる、、、という事より、”犬が飼える!”という事の方が、うれしくて、母・よしこや姉と、デパートに行くと必ず、屋上のペット屋さんに行き、子犬を長い時間、飽きることなく、見ていた。

そして、そこで見るたびに、今日こそは、なんとかうまくいかないものか、、、と思い、「ねーねー。ちはる(私のこと)さー、お年玉でためたお金、持ってきてるんだけど、今日、この犬、買って帰ろうよー。ちはるがお金、払うからさー。」と、コリもせず、毎回、言っていた。

が、よしこは、「ダメよー。ダメ。ダメ。今は、マンションなんだから、犬は、飼えないわよー。もうすぐ、引越しするんだから、新しい家になってから、買いに行きましょう。」

、、、と、返事は、いつも決まっていた。

 

ある日、よしこの運転する車に、私と姉が乗っていた時のこと。

ボーっと外を眺めるともなく、見ていたら、動物病院の入口のドアに、”子犬差し上げます。番犬に最適。”という、白い張り紙がしているのが目に入った。

私は、その頃、”今すぐ、犬が飼いたくて飼いたくて仕方がない病”にとりつかれていたので、それを見逃さず、「あーっ!ママ!ママ!子犬差し上げますってよっ!ほらほら、そこ!」と、今、通り過ぎた動物病院を指差した。

どうせ、”ダメよー。ダメ。ダメ。、、、。”と、いつもの感じで聞き流されると思っていたが、その日のよしこは違った。

「えっ どこ?」

それを聞いて、しめしめと思い、「ねー。ちょっとだけ、どんな犬かだけ、見に行かない? どうせ、まだ、飼わないんだからさー。」と、私は、下心アリアリであったが、つとめて、サラリと言った。

そこで、姉も、「行こうよ。行ってみるだけなら、いいじゃない!」と言ったので、「じゃー 見るだけよー。ホントに、見るだけだからね。」という事で、たまたま、その、動物病院の近くにあった、よしこの友人の駐車場に車を停めて、見に行ったのだった。

 

、、、が、しかし、私たちが、動物病院を出てきた時、なぜか、私の腕の中には、一匹の白い子犬が、しっかりと抱かれていた。

私は、今まで、ずっとダメだと言われていただけに、「こんなことがあっていいものかっ、、、!!」と、飛び上がる程うれしくて、ニコニコを通り過ぎ、顔がにやけて、にやけて、もとにもどらなくなっていた。

 

それにしても、、、。

”ただ、見るだけ”のためになら、なおさら、どうして、よしこは、車をわざわざ停めてまで、動物病院へ行ってくれたのか、今でも、不思議でならない。

あれだけ、新しい家になってからね、、、と言っていたのに。。。

思えば、よしこの買い物は、もともと、”ずーっとコレが欲しくって、ソレを買い求める”、、、というタイプではなく、いつの時も、”パッと見て、サッと気に入って、スッと買う”、、、という、正に、衝動買いのタイプであった。

今思えば、そこのところの盲点をついた、絶妙のタイミングでの、”張り紙との出会い”だったと言える。

 

それに、よしこに、子犬を抱かせたのが、よかった。

デパートの屋上で見た犬は、オリの中に入っていて、外から、ガラス越しに見るだけだった。

でも、今回は、病院のドアを開けると、すぐそこに、子犬たちがチョコチョコ歩いていて、私たちは、「わー かわいいー!」と言うと同時に、子犬たちを次から次に、抱きまくった。

あの、あたたかく、やわらかな、誰かが助けてあげないと、、、と思わせる、か弱い、子犬。。

それに、私たちは、コロッといってしまった。

情が深い、、、というのも、よしこの最大の特徴であった。。

私たちは、人なつっこく、シッポをビュンビュンふって、じゃれてくる犬ではなく、部屋のすみっこで、うずくまり、上目づかいで、こちらをジッとみている、ちょっとおびえたような犬を選んだ。

 

私たちは、それから、駐車場に向かった。

駐車場に行くと、母の友人が、立っていた。

私たちが、うれしそうに、犬を抱えてきた事に、驚きを隠せず、ビックリしていた。

そして、「えっ、、、。見に行くだけっていっていたのに、その犬、もらってきちゃったの?」と言った。

よしこが、ニッコリうなずくと、「あーらあら、、、。それ、お鼻がピンクじゃなーい!」と言って、クスクスっと笑い、「返していらっしゃいよー。あのね、もうちょっとかわいい子犬は、いくらでもいるから、私が、探してきてあげるからー。」と言ったが、私と姉は、ローラをしっかりと抱きしめ、よしこに、”絶対に、この犬がいい。”と言って、譲らなかった。

、、、というわけで、ローラは、この日から、家族の一員となった。。

 

つづく。

 

P。S。

いつも、忙しい時間の合間に、私のブログを読んでくださっている方、そして、コメントまでくださる方、、、どうもありがとうございます。

いつも、楽しく、コメントを拝見させていただいています。

先日、「ちはるさん、もしかして、れんげ組のワンワンマークのそうちゃんのママでしょうか?」という、コメントをいただきました。

私は、そのコメントを拝見し、さっそく立ち上がり、「ん、、、? れんげ組?? ワンワンマーク???」と、首をカクッと傾けながら、本棚へと行きました。

そして、そうちゃんの、療育園や保育園のノートやファイルのある所へ、、、。

するとっ!

私は、”れんげ組のワンワンマーク(子供の、園でのシンボルマークは、”犬”のマークでした。)のそうちゃんのママ”である事が判明しましたっ!!

転勤のため、3ヶ月しか在籍できなかった保育園です。

あれから、早8年。

覚えていてくださっている方がいらっしゃるなんて。。

こんなところでお会いできるなんて、人の出会いは、本当に不思議なものです。。

 

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続・ルルとララ

それから、ルルは5年、ララは7年、私たちと一緒に過ごした。

ララの最後は、私と姉と母・よしこがみとった。

ララは、私の手の中で、それまで、ずっと、きつくて目をつぶっていたのに、最後、目を開けて、「チュン!」と、ひと言、大きな声で鳴いて、この世を去った。

亡くなったのは、ちょうど週末で、私たち三人が、ずっと、そばにいてあげられたので、ゆっくりとお別れできた、、、という意味では、悔いが残らなかった。

 

でも、ルルの時は。。。

私が、高校2年生のときの、ある朝。

いつも通り、朝、起きてすぐ、ルルとララの鳥かごの所へ行き、「おはよー。」と言いながら、鳥かごにかけていたタオルケットをとると、すでに、ルルは、亡くなっていた。

思ってもみなかった。

昨日まで、あんなに元気だったのに、、、今朝、突然になのだから。。

 

それから、私は、ワンワン泣き、ずっと、ルルのそばにいた。

どのくらい時間がたったのか、私のそばに、母・よしこがやって来て、「ちはるちゃん(私のこと)、そろそろ、急がないと、学校、遅れちゃうわよ。」と言う。

私は、一瞬、耳を疑った。

”えっ、、。学校、、、遅れちゃう、、、って?!”

しばらく、ポカンとして、私は言った。

「学校なんて、、、行けるわけないじゃない。今日は、学校休む。」

私は、学校へ行こうだなんて、さらさら、思っていなかった。

すると、よしこは、「なーに言ってるのよっ。 小鳥が死んだからって、学校を休む人が、どこにいるのよ?」と言った。

私は、鳥かごのところに、腰が抜けたように、うずくまっていたが、それを聞いて、スックと立ち上がり、”自分の飼っている、かわいい小鳥が死んだ時、学校を休まなくて、学校は、いつ、休むのか”ということを、よしこに問うた。

今日の、この日こそ、"喪に服する日”ではないか。。

しかし、よしこは、「ママは、そういうことで学校を休む事は、許さない。」と言い、なかなか頑固だった。

 

しばらくして、私は、「ママ。学校に、今日は、風邪だから休むって、電話して。」と言ったが、よしこは、「ママねー、ウソなんかつくのは嫌いよっ。そんなウソ、つけるもんですか!」と言い放った。

そうだろうか、、、おかしい、、、。

”パパには内緒よー。いーわねー。わかったわねっ!”、、、と言って、よくウソついてるではないか。。

まー、でも、そこまで言うなら仕方ない。

自分で電話するしかない、、、と思い、ピッポッパッ。

私は、学校に電話した。

電話している最中も、よしこは、「パパに言いつけるわよー!」とか、「ウソは嫌いよっ!」とか、「ママは許してないからねー!」などと言い、私を脅し続けた。

 

学校を休んだ私は、ゆっくりルルと過ごし、庭に咲いている花を摘んで、ルルのまわりに添え、庭の中央の、リビングから一番目の届く、我が家の庭で、一番高価な植木として、家族のみに知られている、”真木”の木の根元に、お墓をつくった。

 

夜、父が家に帰ってきた時、よしこは、一目散に玄関に飛んで行き、予告どおり、私が学校を休んだという事を、言いつけた。

が、父は、さすがに、チコちゃん(前回のブログに登場)の時、”四十九日”を重んじただけあって、「ふうん。。。」と言っただけで、あとは、普段通りだった。

 

次の日も、私は、十分、喪に服したい気持ちだったが、キッチンで、「ねー、ママ、今日も学校・・・」と言いかけたところで、よしこが、ガバッとふり向き、「冗談もねー、休み休みにしてちょーだいっ!」と、ものすごい勢いで言ったので、あきらめて、学校へ行くことにした。

 

学校へ行くと、珍しく学校を休んだ私を心配してくれたクラスメイトが、私のところに集まってきた。

「昨日は、どーしたの?」という友達に、私は、”小鳥のルルちゃんが、死んじゃったから、休んだ”、、、と、1フレーズでまとめて言おうとしたが、”ルルちゃん”、、と思い出しただけで、涙がこみ上げてきた。

それで、私は、「、、、死んじゃったの。。」ということだけ言い、あとは、言葉につまった。

友達は、「えっ、、、誰が?」と神妙な顔になって言うので、私は、「ルルが、、、。」と言った。

さらに、声を落として、友達は、「ルルって、、、誰?」と言うので、私は、「ほら。 うちで飼ってる小鳥、インコよ。」と言うと、「ああ、、、。」と言って、キョトンとしていた。

その後、私のまわりでは、「誰が死んだと?」「ルルちゃん?」「あー、、、小鳥ね、、、。」「えっ、誰が死んだって?」「「えっ、ルルちゃん?」・・・・という会話が、繰り返し、まるで、伝言ゲームのように、教室を、こだましていた。

、、、と、部活で一緒の友達が、どこからか、その話を聞きつけて、クラスに勢いよく、ケラケラ笑いながら、入って来た。

「ちはるちゃーん! 昨日さあ!」と声は弾んでいたが、泣きすぎて、ボッコリと目をはらした、人相の変わり果てた私が、サッと、ふり向くと、一瞬、沈黙があり、「んー、、、らしい!らしい! ちはるちゃんらしい!!」と、声のトーンを少し落とし、言いながらも、でも、必死に笑いをこらえているのが、みてとれた。

 

どうも、私のクラスには、よしこ派(小鳥が死んでも、学校には行くべし、、、と、思ってる人)が多いのは、明らかだった。。。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               <ブログランキングに参加しています。> 人気blogランキングへ

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四十九日とルルとララ

私が飼っていた小鳥、、、、チコちゃん・ルル・ララ。

性格も、鳴き声も、姿も、ずっしりとした重さも、ぬくもりも、羽の何とも言えぬ、いい香りも、、、、今でも、はっきりと覚えている。

本当にかわいかった。。 

 

 

私は、小学校6年生の時、初めて小鳥を飼った。

”チコちゃん”という、手乗りの桜文鳥。

濃いグレーで、頭に黒と白の毛が混じっていた。

人差し指を交互に差し出すと、チョンチョンチョン、、、と、どんどん伝って来て、本当にかわいかった。

私と姉は、うれしくて、餌を食べさせるとき以外は、ほとんど、肩や頭の上にチコちゃんを座らせていた。

でも、ある日、ちょっとだけ窓を開けた瞬間、思いがけず、ビューッと、強い風が部屋に入ってきて、その音にびっくりしたチコちゃんは、その窓のすき間から出て行ってしまい、そのまま、どこかへ飛んで行って、帰ってくる事はなかった。

 

続いて飼ったのも、”チコちゃん”。

手乗りの白文鳥。(体は真っ白で、くちばしが、きれいなピンクがかった赤。)

でも、飼って間もなく、チコちゃんは、亡くなってしまった。

生き物が死ぬということが、こんなにも悲しいことなのか、、、私は初めて、このことを知った。

私と姉は、いつも遊びに行く公園の、一番見晴らしのよい高台に、チコちゃんのお墓をつくった。

私は、”チコちゃんは、もういない、、、。”とは、わかっていながら、学校から帰ると、まずは、ランドセルを置くより先に、ガランとした鳥かごの所へ行き、「ただいまー。チコちゃん。。。」と言わずにはいられなかった。

日に日に、寂しさは、つのるばかりだった。。

 

私は、母・よしこに、「ねー。また、小鳥、見にいこうよ。」と言った。

よしこは、「まだ、亡くなって間もないんだから、もう少し、ガマンしなさい。」と、最初は言っていた。

が、よしこも本当に寂しがっていたので、ほどなく、”これは理屈ではない。。。やっぱり、鳥かごに小鳥がいないのは、胸が痛くて、耐えられないことだ。”ということで、三人(私・姉・よしこ)の意見は一致し、父に、また小鳥を飼ってもいいか、聞いてみる事にした。

父は、「まだ、亡くなって間もないんだから。。。」と、よしこと同じ事を言った。

そして、「飼うにしても、せめて、四十九日が終わってからにしなさい。」と言った。

私は、チコちゃんのお墓参りには、友達にも付き合ってもらい、毎日行っていたので、すでに、毎日が法事のような日々だった。

四十九日といえば、、、あと、いったい、何週間、待たなければいけないのだろう。。。

(子供の”数週間待つ”ということは、大人の”一年待つ”ことに匹敵するくらい、長~く感じるものだ。)

父の言葉を聞いた後、私たち三人は、夜、ミーティングの機会をもった。

そして、”四十九日待たなきゃいけない、、、って事は、四十九日がすぎれば飼ってよい、、、って事なのだから、、、だったら、どうせ、飼うなら、早い方がいい。

、、、じゃあ、パパに内緒で、こっそり、子供部屋で、しばらく飼うことにしよう”と言う結論に達し、翌日、早速、ペット屋さんへ行った。

そこで、また、チコちゃんと同じ白文鳥(ララ)と、うすいブルーのケイソンという種類のインコ(ルル)を買ったのだ。

 

ルルもララも、手乗りのヒナだったので、最初のうちは、アワを水に浸して、火にかけて、おかゆのようなものを作り、スプーンですくって食べさせた。

「ぐわーっ!ぐわーっ!ぐわーっ!」という、ヒナ独特の声をだしながら、大きな口を開けて、パクパク食べた。

子供部屋、、、と言っても、狭いマンションだったので、隣には、ダイニングキッチンが続いており、あの、大きなヒナの声に、父がどうして気付かなかったのか、、、今、思い出しても、とてもフシギだ。  

 

ある休日の朝、父が、散髪に行くと言って、出かけていった。

”さあ、、、じゃ、今のうちにカゴから出してあげよう”と、私は、サッサか、鳥かごを2つ、和室へ持って行き、ルルとララを部屋に放した。

そして、私と姉とよしこで、「いや~。それにしても、よくぞ、パパに、ばれないよねー!ビックリだよねー!こんなに声がうるさいのにねー!」と言い、「四十九日まで、あとちょっとだねー!」などという話をしながら、ゲラゲラ笑って、盛り上がっていたら、ガチャガチャッ。

突然、玄関のドアが開く音が聞こえた。

そして、「ただいまー。」という、低い父の声。

(その日は、散髪屋さんがお休みだったらしく、そのまま、引き返してきたのだった。。)

私たちは、一瞬にして青ざめ、息をのんだ。

私も、”もはや、これまで、、、。”と思った。

和室には、ダイニングキッチンへ出入りするドアが二箇所あった。

私は、最後、”父が一方のドアから入ってきたら、もう一方のドアから出て行くこと、、、”それだけにカケた。

ちょうど、ルルとララは、それぞれのカゴの上に、チョン、、と乗っていたので、二つのカゴを私の後ろ側に隠すように持ち、立ち上がった。

、、、と、その瞬間、予想よりずっと早く、父が、奥のドアから和室へ入ってきた。

そして、私とバッチリ、目があった。

私は、大きく目を見開き、目をパチパチさせて、「あーーーー パパ、おかえりーーーー。早かったねーーー。。。」と、声をうわずらせながら言うのが精一杯だった。

”マズイっ!バレル!”という、焦りの中、なんか妙におかしさがこみ上げてきて、私は、ゲラゲラ笑っていた。

父は、私の様子がおかしい事には、気付いたようだったが、「えっ、、、どうしたの?」「どうしたの?」と聞くばかりだった。

その父を見て、私は、”これは、ひょっとすると、気付かれずにすむかもしれない”と、とっさに思い、父の視線が、私の顔の位置より下に落ちる事がないように、わざと、目をパチパチしたり、口をヒョコヒョコと、とんがらせたり、つぼめたりしながら、注意をひき、カゴを後ろに持ったまま、カニ歩きで、スピーディーに、手前のドアからダイニングキッチンへと進んだ。

、、、、これが、奇跡的にバレなかったのだ!

後に、私は、”あの時のちはるちゃん(私のこと)は、本当にスゴカッタ!!”と、姉とよしこから、何度も何度も賞賛され、名優扱いされた。

何事も、ギリギリの最後まで、あきらめてはならない、、、身をもって感じた一日だった。

 

それから、四十九日を迎えた日、私たちは、「四十九日がすぎたから、今日ね、小鳥、買ってきたよ。」と、父に初めて、ルルとララを披露した。

父は、「あんなに悲しんでいたのに、、、。お前たちは、冷たいなあ。。。」と、あきれていたけれど、四十九日より、はるか前に、よしこまでもがグルになって、こっそり飼っていたことを知ったら、、、、そう思うと、今でも心臓がドキドキする。。。

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出前・にぎり寿司の食べ方

一人前ずつの桶に盛ってもらい、落ち着いて、ゆっくり、マイペースに味わうのがよいのか。。

それとも、大きな桶に盛ってもらい、わいわいやりながら、みんなで楽しむのがよいのか。。

 

私の育った家では、”一人前ずつ桶派”だった。

出前のにぎりをとった日は、当然のように、人数分の桶・4つが重なって届けられた。

そして、みんなが楚々と席につくと、私にも配給され、桶が、ポンッ、、、と、目の前に置かれた瞬間、桶の中の、イカもブリもマグロもエビも穴子も、何もかもが、自分の所有物となる。

自分の所有物となった上で、「り香ちゃん(姉のこと)、エビとイカ、かえっこする?」などという、トレードが行われたり、「お腹いっぱいになっちゃったから、これ、あげる。」というような譲渡が行われたりした。

、、、こんな感じで、自分のものを、まずは、白黒はっきりさせる、、、という食べ方が、我が家流。

(白黒はっきりさせる、、、という部分のルーツをひもといてみると、昔、私と姉は、食べ物では、何かと争った仲で、”ひやむぎ”の束に入っている、数本の、赤やグリーンや黄色の、”カラフルひやむぎ”(と、私たちは勝手に呼んでいた。)に至るまで、競いあった。

母・よしこが、お昼どき、「さー 食べるわよー。」と、大きな器に入った、ひやむぎを持ってくるのを見たら、二人で飛んで行った。

「さあ、やらねばっ!」という気持ちが、わいてきたものだ。

それからというもの、カラフルひやむぎを目当てに、お箸で、あっちの角度から、こっちの角度から、カチャカチャと音をたてながら狙い、自分のそばつゆの器に、チュルリンと入っていくのを見届けるまで、まー、それは、大変な騒ぎだった。

どうして、そのくらいの事で、多大なるエネルギーを消費していたのか。。。

今となってはナゾとしか言いようがないが、きっと、子供という生き物は、こんなものなのだろう。。

それにしても、あの、カラフルひやむぎ、、、、どうして、数本しか入っていなかったのだろう。

また、カラフルひやむぎを、入れなければならない理由が、あったのだろうか。

カラフルひやむぎが、もっといっぱい入っていれば、ケンカには、ならなかったし、反対に、いっそ、1本も入っていなければ、それまた、ケンカになんか、ならなかったのに、、、。

悔やまれる。)

 

 

ダンナさんの実家に遊びに行くと、そうちゃん(息子・9才・♂・知的障害アリ)が、大のマグロ好きなので、いつも、にぎり寿司をとってくれる。

ダンナさんの実家は、”大きな桶派”だ。

大きな桶は、大きな桶で、たくさんのにぎり達が、ワイワイ肩をよせて並んでいるので、一人前の桶のひっそり感とは一転、なんだか、にぎやかで、「さーっ いっぱい食べちゃうぞー!」という気持ちになる。

 

、、、、が、そこからが、ちょっと面白い。

まず、そうちゃんは、にぎりの中でも、マグロと穴子以外は、食べない。

よって、大きな桶の中の、マグロと穴子は、すべて、そうちゃんのものとなる。

長女(2才)は、イクラ大好き。

他のものは食べない。

よって、イクラは、すべて、長女のものとなる。

それだけですめばよいのだが、、、。

 

義母は、いつも、みんなが一斉に、「いただきまーす!」と言うと、「どんどん食べてねー。どれでも、好きなの、ぜーんぶ食べてねー。」と言ってくれる。

が、その後。。。

” ダンナさん「オヤジ。 イカとタコ、ぜーんぶ、食べていいよー。」           

  義父   「お父さんねー、もうー、イカとタコがあったら、なーんにもいらないって

         いうくらい、イカ・タコが好きー!」                         

  ダンナさん「オフクロ。 エビ、ぜーんぶ、食べていいよー。」

  義母    「うわーっ。 お母さん、エビ、だーい好き!」”

、、、、と、この会話は、大きな桶を目の前に、毎回、”舞台台詞”のように、いつも変わることなく、繰り返される。

つまり、この、一連の台詞が終わった時点で、にぎりの桶の中から、マグロ、穴子、イクラ、イカ、タコ、エビ、全ての所有権が失われた事となる。

後に残るは。。。

白身魚のにぎりと、かっぱと、玉子と、巻き寿司、、、。

なんだか、かなり地味な面々となる。

その、華やかさのうすい、にぎり達と目があったとき、一瞬、ガク然とした失望感を感じるのは否めないが、みんなの、それはそれは美味しそうに食べている顔を見るにつれ、「私は、そこまでの域には達していない。イカだって穴子だって、”これ以上ないくらい、オマエが好きだ“っていう人に食べてもらった方が、きっと幸せに違いない。

成仏できるっていうもんだ。。」と、毎回、心から思う。

にぎりの醍醐味は、いろいろと一通り、食べられるところにあると思っていたが、こういう食べ方もありなのだ。

 

そういえば、私の家族は、ダンナさん曰く、「みんな、ホントに仲がいいけど、よーく見ると、みーんな、一人一人が、違う方向むいてるねー。」という言葉に象徴されるように、持ち味がそれぞれに違う。

たとえば、皆が集まったときでも、家族の誰かが、「さあ、00に行こうかあ。」と言っても、「うん、行こう、行こう。」、、、という人がいると思えば、「えーっ、、、。XXに行こうよー。」と言う人も必ずいて、なかなか意見がまとまらない。

それに対し、ダンナさんの実家は、「さあ、00に行こうかあ。」と、最後まで言い終わらないうちに、みんなが、「そうしよう!そうしよう!そこに行こう!」と全員一致となり、あっさりとすぐに決まってしまう。

なんだか、譲り合いの精神に満ち満ちている。

 

こういった違いも、にぎり寿司の食べ方に、微妙に関わっているのかもしれない。。。

 

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家の中の動物園

同じ”オリ”の中で、ライオンとおサルとヤギを飼ったら、いったい、どういうことになるのか、、、。

しかも、かなりボケのきいた飼い主が世話しているとしたら。。。

そんな恐ろしいこと、考えられない。

が、実際、あるのだ、、、ここで。。。

 

今、三人の子供を育てているが、ちょうど、そういう状況なのだ。

ライオン(=そうちゃん:息子・9才・♂・知的障害アリ)は、いい時はいいが、ちょっと崩れると、大声をだして泣き叫ぶ。

彼なりに伝えたい事は、いっぱいあるのだけれど、障害のため、言葉がほんの少ししか話せないため、”自分の気持ちを頭で整理して言葉で表現する”ということが難しい。

そのため、”いやだー!!”という気持ちは、体全体で表現するしかないため、ドッタンバッタンと足を踏みならしたり、寝転がったりして、怒りや不快を表す。

 

おサル(長女・2才)は、ただ今、誰もが認める、”反抗期”真っ只中。

彼女の一日は、「イヤー。」で始まり、「イヤー。」で終わる。

「おはよう。さあ、オムツかえようかー。」という、朝のなんでもない声かけから、「イヤー。まだー。」は、始まる。

なにしろ、朝、家を出るには、これから先、気が遠くなるほどの工程があるのだ、おサル。

(おサルの後には、ライオン、ライオンの後にはヤギだって、待っている。。。)

オムツの次は、パジャマを脱ぎ、洋服を着て、朝食を食べて、靴下はいて、帽子をかぶって、コートを着ないことには、家をでられない。

その、最初のオムツの時点で、モタついていては、この先どーなるのだ、、、。

この段階で、飼い主としては、早くも、ドッと疲れる。

その後も、やれ、自分でやるだの、ママ手伝ってだの、この服はイヤだの、いろんな事を言って、注文しては、ジリジリさせる。

 

ヤギ(次男・10ヶ月)は、目があえばニコニコ。

そして、目があえば、”白やぎさんからお手紙ついた~ 黒やぎさんたら読まずに食べた~”という、”やぎさん郵便”の歌が、私の頭に自動的に流れるほど、いつだって、いつだって、モグモグモグモグ。。。

引き出しという引き出しを開けまくっては、紙をとりだし、口に入れ、口を動かしている。

、、、動かすだけでなく、どーやら、そのまま、食べている模様。。

私はと言うと、自覚はないものの、ちょっと、、、いや、かなりのボケがはいっている、、、というのが、他人評。

 

ライオンは、機嫌が悪くなったり、ちょっかいを出したくなると、おサルに近づく。

(ライオンに、この時点で注意すると、ますます執拗におサルに近づく。)

おサルは、そのライオンの行為を不快に思い、たまたま通りかかったニコニコヤギに、八つ当たりする。

そこで、飼い主がおサルに注意すると、おサルは、ギャーギャー泣く。

すると、おサルの泣き声を、最も不快とするライオンまでも、怒って、どういうわけか、ライオンまで泣く、、、大きな大きな声で。。

すると、そのライオンとおサルの泣き声にビックリして、ヤギも泣く。。。

と、我が家は、なんだか食物連鎖の表を思い出させるような構図となっている。

(延々とクルクルクルクル、、、この繰り返しだったりして。。)

 

一度、私は、「こんなの、もうイヤだー!!」と思い、みんなの前で、わざと、苦しそうに「アーッ!」と言いながら、大げさに倒れてみた。

さすがに、いつもと違う私を見て、ライオンとおサルも驚き、静まり返るだろうと思った。

、、、が、ものの見事に、無視された。

あの時ばかりは、”もう やってらんない。。”と、突っ伏したまま、涙がポロポロでて、そのあと、バカバカしさがこみ上げてきて、笑ったっけ。。。

(それ以前には、突然、大声で笑ったことも、床に突っ伏して、泣きマネしたこともある私。

どれも、子供じみて安っぽいが、人間、追い詰められると、何かいい策はないものかと、一通り、試してみたくなるものらしい。)

 

冬場は、子供たちの間で大流行する、”嘔吐・下痢症”という風邪がある。

コレは、文字通り、”上からゲー・下からビー”の風邪だ。

この間、私が朝、起きると、ヤギが、”下からビーして、洋服にもベッタリもらしながら、ご機嫌に、お尻フリフリさせながらハイハイし、リビングを巡回している”、、、という、恐るべき光景が、目に飛び込んできた。

私は、「ひえ~っ!」と思い、「あーららら、、、。オムツかえようねー。」と言っていたところ、いつもは早起きなのに、その日に限ってまだ寝ていたので珍しいなあ、、、と思っていたライオンが、「ママー。。。」と私を呼ぶ。

ふり向くと、お布団の上で、ダイナミックに、上からゲー。

、、、と、さっきから、私の背後で、”シューッ シューッ シューッ シューッ”という、規則正しい音が聞こえてくるので、サッと振り返ると、おサルが、おしりふきを1枚1枚出して、山をつくって遊んでいる。

「あーっ それヤメテねー。お片づけしようね!」と言う私に、おサルは、ゆっくりと、ニーッコリしながら、うなずき、言った。

「イヤだー。」

 

コントロールのきかない三人衆をかこむ動物園は、今日もスッタモンダしています。。。

                                                            

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突然に・・・「何歳?」

このところ、そうちゃん(息子・9才・♂・知的障害アリ)の口ぐせは、「まったく もうー!」と「何歳?」。

この「何歳?」がオモシロイ。                                        

”年齢”という認識そのものは、そうちゃんには、わからないので、”いくつなのか”知りたいわけではないと思うのだけれど、「何歳?」と、ニコニコしながら聞くのが、マイブーム。                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

テレビの中のお相撲さんを見ては、一人一人を指差して、「何歳?」

ニュースなどで、たまたま道を歩いている通行人などを指差して、「何歳?」

家の中でも、ぬいぐるみを持ってきては、「ママー。何歳?」

クマの柄のはいったラグの”クマ”を一つ一つ指差しては、「ママー。何歳?」

(ぬいぐるみやクマ、、、、この手の質問は、さすがに力が抜けます。。。ガクッ。。)

 

例のごとく、しつこさではピカイチなので、一回一回、まともにお相手していては、こちらも、まともではいられなくなるが、そうちゃんが、いつも、目を輝かして聞くので、そのうち、答えられる範囲の人については、「うーん、、、何歳だろーねー??」、、、と、”笑っていいとも”の”年齢あてクイズ”っぽくなってきて、マジで推定したりしている。

そこで気付いたのは、、、。

私は、0~10歳くらいまでは、ハズレはない。

10~20歳までも、そうハズレることはない。

でも、20歳をすぎて、、、いやいや、30歳すぎたあたりになると、確実にアンテナがきかなくなり、そこからだいたい50歳代まで、ひとまとめとなりー。。

また、70歳を超えてからは、大きくハズレることがないようだ。

それは、女性の場合。

で、男性の場合は、ますますわからない。

30歳まではだいたいわかる。

けれど、男性の場合は、シワやハリだけでなく、頭の毛の状態も、判断項目に加わり、複雑化するので、よくわからないゾーンは、30歳すぎてから60歳代まで、ひとくくり、、、と拡大してしまう。

そして、80歳以降はまた、アンテナがピピピッと動き出す。

 

そうちゃんは、家の中にとどまらず、バス停のベンチで隣に座った、見ず知らずの”ご婦人”にまで、遠慮なく、藪から棒に、「何歳?」と聞く。

ご婦人は、そうちゃんが何を言っているか、サッパリ聞き取れないので、私に、「何ておっしゃってるの?」と聞く。

私が、「いえ、あのー、”何歳?”って聞いてるんです。」と直訳すると、たいていは、「あら、、、。」と言って、顔がこわばる。

そこからは、「00歳よ。」と正直に答える人がいたり、「25歳!!」と、大幅にサバ読む人がいたり、「さーねー、、。何歳だったかしらねー。。」と、やんわり道をそらしたり、、、いろいろ、、。

そうちゃんは、どうも、その、しどろもどろになったり、照れ笑いをしたり、、、という、リアクションを何よりも楽しんでいるのだ。

実は、私も。。。

 

そういえば、「何歳?」と、思わず聞きたくなるのは、私のおばあちゃん。

おばあちゃんは、90歳をこえたが、見た目は、ずっと若い。

(ちょっと前、おばあちゃんが病院に入院していたとき、お見舞いに来てくれた娘<母・よしこ>に、「それがさー、さっき、なんて綺麗な女性が立ってるんだろう、、、と思って、まじまじと見たらさー、、ハハハハッ、、、鏡に映ってる自分だったんだよー。」と言ったというから、驚いた。

まっ、このへんの、”幸せな思い込み”も、若さの秘訣なのかもしれない。)

朝起きて、「おばあちゃん おはよー。」と言ってビックリするのは、おばあちゃんの顔。

それはキレイにお化粧済みなのだ。

もともとが、肌が、つるつるぴかぴかで、真っ白で、本当に美肌なのは、いつも、うっとりするほどなのだが、お化粧すると、またそれに、磨きがかかる。

若い女の人でも、どこかへ出かけるとき以外は、”お化粧しない”と、何か、自分の中で取り決めをしているかのような人もいる中、老齢にもかかわらず、こちらはバッチリお化粧しているのだ。

「わっ、おばあちゃん、もうお化粧してんの?」とびっくりして、思わず言うと、「そーだよー。若い人は、それだけで綺麗だからいいんだよー。だけど、ババーになると、きったなくなるから、お化粧っくらい、しとかないと、周りの人に迷惑だろー。だから、おばあちゃんは、朝起きたら、すぐにお化粧するんだよー。」と、ケケケッと笑いながら言ったおばあちゃんを思い出す。

まことにチャーミングな笑顔だった。

そして、なんだか、この歳になっても、綺麗でいようと努力するおばあちゃんに、ひどく感心したものだ。

だから、私も、それからは、いつぞや、その、”若い人”から”ババー”へと変わる瞬間がくるか、わからないし、”さあ、ここからババーだ”という、仕切りというものが、自分でも、なかなか気付かないであろう事を想定して、とりあえず、朝起きたら、お化粧することを、心に決めた。

 

P.S.

今日もまた、彼は路上で、三人のオバ様に、「何歳?」と尋ね、困惑させていました。。。

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ダイニングテーブル

実家のダイニングテーブルが新しくなった。

”とうとう新しくなった”、、、と言った方が正しい。

、、、というのも、”新しく買いかえよう”という事になってから、1年がかりでようやく決まったのだから。。。

 

近頃、私と姉に、赤ちゃんが続々生まれた事もあり、実家にみんなが集まると、結構な人数になる。

そのことがきっかけとなり、両親は、もっと大きいテーブルが欲しくなったようだ。

(普段は、父と母の二人っきりだし、新しいテーブルになって、やれ、子供たちがテーブルを汚しただの、しみになったなどと、クレームをつけられては、たまらないので、私と姉は、子供たちが大きくなるまで、しばらく買いかえなくていいと言っていた。

しかし、「こんな小さい子たちが大きくなるまで待ってたら、いつになるか、わからないじゃない!」という母・よしこの発言もあって、買いかえる方向で、話はすすんではいた。)

 

何か物を買う、、、という事に関しては、ひたすら貪欲なよしこ。

それに対し、いくら考えても、欲しいものがみつからないという、健気な父。

、、、と、二人は対照的だ。

 

しかし、今回だけは違った。

ダイニングテーブルの買いかえ、及び、リフォームに関しては、全権を自分にゆだねてほしいと、なぜか、父は、鼻息を荒くしていた。

ここにきて、せっかく今までセコセコと働いてきたのに、このままでは、よしこの好きなように、水がざるを通過するがごとく、お金が消えてしまい、これはマズイ、、、と、やっと気付いたのかもしれない。

よしこだって、最初は、「えっ?! パパったら、どーしちゃったの??」という感じで、ちょっと不満気だったが、「いいじゃない。たまには、パパに決めさせてあげたら?」という、優しいムスメたち(私と姉)の意見もあり、「そーね。。そうするわ。。」と納得していた。

 

それにしても、だいたい、この一年、私は何回、「ちょっと、ちはるちゃん(私のこと)。今から出てきてくれる? 今日、ダイニングテーブル、決めちゃおうと思うの。ちょっと見てくれる?」と言われては、よしこと父に呼び出されたか、わからない。

(驚いたことに、出て行くたびに、私が目にするダイニングテーブルは、違うものだった。

時に、イタリアモダンだったり、天然無垢一枚板の純和風だったり、、、ロココ調っぽいものもあったっけ。。。)

が、実際、いざ、”ご決断”という時になると、必ずや、よしこが、「うーん、、、。これ、やっぱり私の好みじゃないわー。」と、なかなか首を縦にふらない。

”じゃ、また出直して、、、。”という事になり、チャラとなるのだ。

 

そりゃ、最初の頃は、私も姉も、「これ、今のインテリアと合わないんじゃない?」などと、意見こそはさんだが、これ以上、外野が口出ししては、到底、意見がまとまらない事に気付き、全権を父にゆだねていた。

外野が口出ししなければ、父の好きなものを選べるわけだから、気に入ったのさえみつかれば、話は早い。

、、、、と思いきや、どっこい、そうは問屋が卸さない。

よしこがいるからだ。

父も、強い口調で”宣言”したものの、やはり、多少なりとも、同居人・よしこの同意がほしいのだ。

しかし、問題は、父の趣味とよしこの趣味は、対極をいっているところにある。

どちらかが、”どうぞお好きに。ここは、あなたに譲ります。”という、多少の仏心をもたない限り、同じテーブルをみて、「これがいい!」と、意見が一致することは、あり得ない。

二人は、アンティークが好きなのでも、カントリーが好きなのでも、ロココ調が好きなのでもなく、父は、”なんとなくの和風”を好み、よしこは、”なんとなくの洋風”を好む。

この、”なんとなく”が、クセモノだったりして。。。

 

そういえば、こんなこと、今に始まった事ではなかった。

父が初めて建てた一戸建ての家は、注文住宅だった。

そこでも、”和風の父と洋風のよしこ”の間で、意見は真っ二つに分かれていた。

リビング、お風呂、トイレ、、、どこをとっても、二人の意見が一致することはなく、仕方がないので、父たちは、”パーツ パーツで、それぞれが担当する”という、なかなか民主主義なやり方で、一つ一つを決めていった。

例えば、外観は、父の好きな切妻造り。

(父は、なぜか、屋根の一部分に銅版をくるりと巻くことにこだわった。

よしこは、それを、「やだ~。まるで神社みたいだわー。ゾッとするわー!」と言って、なんでこんなのが好きなのか、到底、理解できないと、よくなげいていたっけ。。)

玄関も格子の扉で、バリッと和風。(父担当)

ところが、靴箱含め、ポーチ、玄関までは純和風であったにもかかわらず、玄関入って正面のリビングは、よしこの担当であったため、なんと、リビングの扉は、木の彫刻を大胆にあしらった、どっから見ても洋風なものとなった。

さらに、リビング入って、ダイニングキッチンにつづく扉は、"ママ、こういう扉に憧れていたの”という、ただ、それだけの理由で、壁紙やインテリアを全く無視した、白いアーチ型をした扉となった。

お風呂だって、床は、黒の碁石をちりばめたような和風テイスト。(父担当)

なのに、なぜか、側面は、クリーム色の、かなり”洋風”の入ったタイル。(よしこ担当)

さらに、水色の空を描いたような天井、、、(どっちの担当??)と、なんだか、ちぐはぐな組み合わせだった。

明らかに、”担当の割り振り”を誤った家だった。

もっと大きな流れの中で、担当を決めるべきだったと言える。

 

今回、ダイニングテーブルを決めるに当たって、決定的となったのは、父のひと言だった。

それは「よしこ。私はもう決めた。もし、気に入らないのなら、私が死んだら、好きに処分してくれ。そして、その時、自由に、よしこの好きなものを買いなさい。」という言葉。

私のダンナさんに言わせると、今までの傑作語録集の中でも、なかなかの名言だと大笑いしていた。

”これは使える、、、。”とも、言っていた。

ここまで言われれば、ダレだっておとなしくなる。

よしこだって、、、。

 

かくして、なかなかにモダンな、オシャレなダイニングテーブルがやって来た。

「どうせ買うんだったら、大きい方がいい。」と、よしこは常々言っていたが、今回は、その意見のみ、採用されることとなった。

、、、、、が、これが、大きすぎた。

マンションのエレベーターに、そのテーブルは乗りきれず、予定の納品の日、テーブルは一旦、泣く泣く、帰っていくこととなり、私たちをガッカリさせた。

テーブルは、後日、滑車で、よいしょよいしょ、、、と引上げられ、ようやく、実家のリビングにおめみえした。

 

これから、リフォームをすると言って、父は張り切っている。

最後の最後は、”キメ”の素晴らしいセリフを発掘したので、ここは、安心して、父優勢で、ことが運んでいくことだろう。

たぶん、、、、。

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そうちゃん出産後・病院にて(3/3)~エビフライ

そういえば、私が病院に入院している間、母・よしこは、私が食事を自分の部屋(病室)で一人でとっていることが、かわいそうでならなかったらしい。

帝王切開した人は、数日間は立つことはおろか、座ることだってできないので、自分でなんとか動けるようになるまでは、食事をベッドの上でするのは普通だ。

でも、元気な赤ちゃんを産んだ他のお母さんたちが、きれいな、かわいらしいダイニングルームで、ベラベラしゃべって笑いながら食事をしているのが、よしこには耐えがたかったらしい。                  

 

退院する日の前日の、最後の夕食は、”フルコースの豪華なお食事”というのが、そこの病院の売りだった。

なんでも、ホテルからシェフが来て、料理を作ってくれるらしい。

で、よしこは、その最後の日、お見舞いに来たとき言った。

「ねー、ちはる(私のこと)ちゃん。 最後の夜くらい、あそこのダイニングルームで、みんなとお食事したら? そうしなさいよ!」

「えー ここでいいよー。」と私が言うと、よしこは、「せっかくあそこで食べるのを楽しみにして、ここに入院したんだから、行っていらっしゃいよ。第一、こんなチャチな部屋で、ちはるが一人でモクモクとフルコースを食べるなんて、ママつらいわ。みんな楽しそうにおしゃべりしながら食べてるわよ。」と言う。

 

私は十分、食事には満足していたし、いまさら一回くらい、そのきれいなダイビングルームにのこのこと出て行っても、、、、と思ったが(赤ちゃんが転院したので、とりたてて病室をでる用事もなく、トイレへ行くときぐらいしか部屋をでたことがなかった)、何よりも、よしこの涙ぐんだ目を見ていたら、それでよしこが少しでも喜ぶんなら、いっちょ、そのダイニングとやらに行ってやろう、、、という気になった。

 

いよいよ夕食のとき。

まだ背中をピンとしてまっすぐには立てないので、”く”の字に体をまげて、ダイニングルームへ行った。

そこには、元気な赤ちゃんを産んだ、幸せそうなお母さんたちがいた。

”このお母さんたちは、今、赤ちゃんを抱っこしたり、ミルクをあげたり、オムツをかえたりしているんだなー。。”と思うと、なんだかすごく、うらやましかった。

”私の赤ちゃんは、いったいこれからどうなるんだろう。。。まだ自分ではミルクを飲む力もなく、鼻からチューブを入れて飲んでるらしいし。。。”

 

、、、いろんな思いが錯綜したが、、、、メインのエビフライ、、、これは美味しかった。

今までに食べた事がないくらい、太くて大きくて、、、!!

たわいのない会話をしながら、そのエビフライをカプリッと食べながら、ふと、ダイニングの向こうを見ると、柱の影から、よしことダンナさんが、手を取りあうように、寄り添うようにして、私を見ている。

思いがけなかったので、私は、一瞬、ドキリとして、危うくエビを、そのまま飲み込みそうになった。

泣きながら見ているのは、すぐにわかった。

私と目があうと、ウンウン、、、、とうなづきながら、やっとムスメがダイニングで、みんなと一緒に食べている。。。よかった。。。という表情をした。

それを見て、私は、”こういうことになって心から悲しい。。”

心の底から、やるせない気持ちがこみ上げてきた。

周りの人を、こんなに悲しませていることが、さらに悲しかった。

 

それから私は、私の前の人、横の人とペラペラとしゃべって、ことさらに楽しそうにふるまったっけ。。

今でもエビフライを食べると思い出す。

胸が押さえつけられたような気持ちになる。

 

後に、ダンナさんに、あの時はどういう気持ちだったかと聞くと、”ほかのお母さんたちに混じって、ニコニコ笑って美味しそうにエビフライをほおばっているのが、不憫で不憫でならなかった。。”と言っていた。

よしこは、ちょっと違った。

私が食事を終えて、ダイニングルームから出てくるやいなや、「どーだった?美味しかった?」と言い、「ねーねー、お友達できた? ちはるちゃんは、初めてママになるんだから、退院してから行き来できるお友達がいた方がいいものー。いい人いた?

いい人がいたら、ちゃんと電話番号聞いておいた方がいいわよー。電話番号聞いた人いる?」とつづいた。

まるで、私が”お見合いパーティー”かなんかに行って、会場からすぐ出てきたところを呼び止められたような、そんな感じだった。

友達ねえ。。。

このような緊急事態時に、友達をつくろうとまでは、さすがに考えていなかった。。。。

 

二人は、ちょっと観点が違ったが、ぎこちないやさしさが身にしみた。

昨日のように思い出される。

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そうちゃん出産後・病院にて(2/3)~ごはん

前回ブログのつづき。。。

 

(そうちゃんは、私が産後、病院に入院している間もどってこないどころか、生後1ヶ月半もの間、大学病院に入院した。)

 

手術後、まだ麻酔がきいていて、意識がもうろうとしている時、看護婦さんが私のそばに、そうちゃんをつれてきてくれた。

そうちゃんに会ったのは、それ一度きりで、そのまま救急車で運ばれてしまった。

そうちゃんがこれからどうなってしまうのか、私は、心配で心配でならなかった。

 

、、、それにしても、せっかく入院しているのに、主役の赤ちゃんがいないのでは話にならない。

カツ丼にカツが入っていないのも同然だ。

もし、普通分娩だったら、産後すぐに歩けるし、普段通りの生活ができるので、私は病院になんかいられなかっただろう。

きっと、即、退院して、大学病院に入院しているそうちゃんのところへ、飛んで行っていたと思う。

でも、私は、帝王切開だったので、3日間はベッドの上に横たわっている状態だったし、その後も切腹(?)したお腹の傷が痛く、一歩一歩あるくのが精一杯だった。

で、結局、7日間入院していた。

 

こんな悲惨な入院生活を支えてくれたのは、ただ一つ、”ごはん”だった。

遅れることなく、時間通りにきっちりと運ばれてくる病院の食事だけが唯一の楽しみだった。

こんな状況じゃ、食べ物がのどを通らない、、、、なーんて心配はご無用。

”一番食事が美味しいと評判の病院”、、、、というのを第一条件に、この病院を選んでよかった、、、心からそう思った。

それだけが救いだったといっていい。

 

妊娠していた最後の1ヶ月半は、妊娠中毒症気味と言われ、カロリー制限と塩分制限を余儀なくされた。

お醤油をかけずに魚の塩焼きを食べたり、とうもろこしや焼き芋をよく食べていたっけ。。

フシギな事に、妊娠中はホルモンの関係なのか、自分でもさっぱりわからないが、食欲もりもりだった。

一日中、あれも食べたい、、、これも食べたい、、、という感じ。

そんな中で食事制限されるのは、この上なく苦しく、狂おしいほどのガマンを必要とされる。

でも、”元気な赤ちゃんが生まれるんだったら。。。”ただこの一点に支えられていたといっていい。

しかし、その夢もはかなく壊れた今、「アホクサ。。。」

すべての努力がアホくさかった事に気付き、そして、もう妊婦ではなくなったという開放感も手伝って、今までガマンしていたものを余すことなく食べてやろう、、、と思った。

 

”赤ちゃんが生まれたら食べたいもの”の一覧表を、私はセッセと作っていた。

だから、病院から出された食事を全部たいらげるのはもちろん、お見舞いに来てくれるダンナさんや母・よしこに、そのリスト通りに、「焼き芋買ってきてー。」「00のプリン買ってきてー。」「00パン屋さんの00買ってきてー。」と、具体的に指示を与え、買ってきてもらっては、感動しながら食べた。

 

それは、退院してからも続いた。

退院後、よしこがずっと家にいてくれたので、「今日はハンバーグね。」「今日はオムレツね。」「今日は肉団子ね。」、、、リスト通り、上から順番に作ってもらった。

どんなに気分はどん底でも、美味しいものは美味しい。

もうそこに理屈はいらない。

それを、はたから見ていたダンナさんとよしこは、ただただ口をあんぐり開け、驚き、あきれていた。

「ちはるちゃん(私のこと)、よくこういう時に、そんなにパクパク食べれるわねー。。。

もうママ、感心するわー。いや、、、信じられないわ。。」と、よしこ。

「ママ。こういう時だからこそ食べるのよ。いやー、ママの作ったハンバーグは本当に美味しいねー!」と、私。

よしこが作ってくれたお料理は、私のすさんだ心にしみわたった。

 

よしこは、なにかにつけて、心配していた。

私が産後、少しでも体を休めるようにと気遣い、テレビの前に布団を敷いてくれ、昼間でも横になってやすむようにと、しつこく言った。

ちょっとでも家をウロウロしていると、「少しでも休みなさい。もうママ、心配だわー。」と言う。

じゃー寝るか、、、、と思って横になると、人間、寝たくなくてもいくらでも寝れるもので、それはそれでラクチンでグーグー寝る。。。

すると今度、よしこは、私の体をゆさぶり、起こし、のぞき込んで、「ちはるちゃん、、そんなにいっぱい寝て大丈夫?! もうママ、心配だわー。」と言っていたっけ。

そういえば、そうやってテレビの前ですごしていたとき、“徹子の部屋”でゲストとして出ていた、東儀秀樹(雅楽)の演奏を初めて聴いた。

彼の音色をきいたとき、行き場のわからなかった涙がポロポロポロッ、、、一気にあふれてきた。

のびやかで、あたたかなその音色は、私の心の奥に響き、「目先のことで心惑わせてはいけないよ。もっと気持ちを大きくもって。。」と伝えてくれた。

音楽のもつ力って、すごいなあー。。。

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そうちゃん出産後・病院にて(1/3)~救急車がやってくる

ちょっと長くなるので3回に分けて。。。

 

 

少子化がすすむ中、私が三人もの子供のママになろうとは私自身も考えていなかった。

”子供が三人”というだけでも、「へー! 三人!!」と言われるのに、一番上の子供に障害があるとなると、その”へー”も、一段と強い口調となる。

私が、三人目の子供を授かったと、母・よしこに電話した時、よしこの口から出た言葉は、「おめでとう。」ではなく、「へー!ちはるちゃーん、たいした度胸ねー!」という言葉だった。

度胸か、、、確かに、、、、それは言えた。

 

生まれて間もなくわかる障害もあるけれど、単にお腹にいる期間が短かすぎて、早産になったため障害がでてしまった子供、健康に生まれてきたけれど、はしかにかかって、その後遺症で障害を残してしまった子供、3才まで健康だと思っていたのに、検診でひっかかり、障害があることがわかった子供、、、そうちゃんのまわりにもいろんなお友達がいる。

生まれてくる赤ちゃんは、”私はバッチリ健康です”という保証書を胸に抱いて証明してくれるわけではないから、健康に育つかどうかは、やっぱりスリルがある。

いろんなことを思うと、”もう一人 赤ちゃんが欲しい”と願うことは、究極の勝負師になったような、そんな気さえする。

「もしもまた、、、。」と思うとゾクゾクもする。

でも、最後、いきつくところ、”丁か半か、、、それしかないではないか!!”と妙に大きな気持ちになった。

人生最大の賭け、、、。

どうせいつか、人間は死ぬんだし、、、。

だったら、「三人目、いたほうがよかったかなー。。。」と後で思うくらいなら、いっそ、一思いに思い切ってしまった方が潔い。

三人子供を産めば、もう悔いはない。

だいたい、鮭は卵を産むために全力をふりしぼって川の上流に行き、卵を産んでしまうと息絶えてしまう。

それに比べれば、痛い思いはすれど、赤ちゃんを生んだあとも、ちゃんと生きていられるのだ。

なんて幸せなことだろう。 

 

 

とはいえ、妊娠中、まったく不安がなかったと言えば、ウソになる。 

お腹が大きくなるにつれ、そうちゃんのときの悪夢のような出来事が脳裏をよぎった。 

 

さてさて、ここから、そうちゃん出産後の病院での話。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

そうちゃんが生まれた次の日、病院の先生が朝、病室にやって来た。

「赤ちゃんなんですけどー、ちょっと呼吸が苦しいのとー、手をこういう風にプルプルプルっとふるわせているのでー、今からピーポーピーポーで別の大きな病院に運びますのでー。。」と言ったのがすべての始まりだった。

今をもって、大の大人にどうしてこんな言い方をしたのかはナゾである。

その口調たるや、回転の間違った昔のドーナツ版のレコードのように、今にもとまりそうな、これ以上ゆっくりにはしゃべれない、、、というような言い方だった。

しかも、”プルプルプルっとふるわせて”のところでは、手を上げてゆすってみせ、幼稚園生がお遊戯するようなジェスチャーも忘れなかった。

 

確かに、入院してからの私の混乱ぶり(?)は、かなりのものだった。

(前のブログ、”そうちゃん誕生前夜の混乱物語”参考)

このくらい、かみくだいて、刺激を与えないように言わなければ、なにをしでかしてくれるかわからない、、、と、思ったのかもしれない。

その、やわらかな言い回し、そして、麻酔(帝王切開したときの)がしっかりときれていないという状態も手伝って、私は、先生に、「はあー。。。」と、あまりに気の抜けた返事をしただけだった。

 

”これは、ただごとじゃない、、、!!”と把握したのは、顔色をかえて病院へ駆けつけたパパの顔を見た時、そして、実際、ピーポーピーポーが、本当に”ピーポーピーポー”といって、病院を去った時だった。

自分でも、随分と時間がかかったものだと、あきれてしまう。

でも、思いがけない一大事が起こった時、人間、こんなもんなのかもしれない。

”えー どーいうこと? えー どーいうこと?”

ただ、クルクルと頭の中をゆっくり回転木馬がまわっているような、そんな感じ。。

「えっ! どういう事なんですかっ? 何が起こったんですかっ?!」と、テレビドラマのように、ものすごい勢いで聞く、、、、なーんてことはないものだということが、よくわかった。。

つづく。

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ちょっとマジメな話

今年は、モーツアルト生誕250周年。

世の中は、セレモニームードいっぱいの、”記念すべき年”として、にぎわっている。

こちらは、そうちゃん(私の息子)生誕10周年。

静かに私の中で、”記念したい年”として、にぎわっている。

 

 

そうちゃんは、ソトス症候群という、聞きなれない病気をもってこの世に生まれてきた。

(そういえば、その病名が、あまりに珍しい名前だったので、初めて医師から病名を聞かされた時、すぐには覚えがたく、家族中みんな、「ポトフ症候群?」や「トポス症候群?」などと言い、なかなか正しい名前が定着しなかったっけ。。)

 

思い起こせばー。。。

そうちゃんが生まれた次の日、呼吸が苦しくなり、救急車で大学病院のNICUへ転院されたこと。

ミルクを飲む力さえなく、しばらくはチューブを鼻からとおし、栄養をとっていたこと。

入院中、生まれて間もないそうちゃんが、感染症にかかり、いくつかの抗生剤を投与するが、もし、どれも効かなかったら、とても深刻な事態になると医師から言われたこと。

呼吸が苦しいのは、心臓の病気が原因であることがわかり、手術をする事になったが、もし、その手術で状態がよくならなければ、3歳まで生きられればいいでしょうと医師が言ったこと。

いよいよ手術の日程が決まり、そのための精密検査をしたところ、心臓の状態が改善傾向にあり、自然治癒の可能性が高まったため、手術の必要がなくなったこと。

(こんなことは今までに経験がないくらい、珍しいことだとびっくりされた。)

そうちゃんにソトス症候群という障害があると言われたこと。

歩けるようになるかもしれないが、一生歩けず、車椅子の生活になるかもしれないと言われたこと。

少しは言葉が話せるようになるかもしれないが、まったくお話できないという可能性もあると言われたこと。

 

、、、、その、そうちゃんは、10年たった今、自分の足で地面をけって歩き、聞き取りには、かなりの技術がいるが、言葉もでるようになってきた。

 

ソトス症候群という病気は、染色体異常によるものらしいが、たいてい、染色体異常がある場合、妊娠の初期の段階で、流産となり、自然淘汰されることが多いと聞く。

それなのに、そうちゃんは、10ヶ月間、一生懸命、私のお腹の中でへばりつき、この世におめみえした。

そうちゃん自身、ぜひとも、生まれてきたいと思う力が、ものすごく強かったのだと思う。

そして、なにか、メッセージを伝えるため、この世に誕生したんじゃないかな、とも思うし、そう信じたい。

 

私だって、どこから来たのかも、これからどこへ行くのかもわからないのだから、今日、今、ここにいることは、”たまたまの偶然”である事には違いないけれど、いつの日も、いつの日も、小さい体で大変な困難に直面し、でも、ひとつひとつ、小さな体で乗り越えてきたそうちゃんを、目の前で見ていると、そうちゃんがここにいることは、稀有な事であり、いろんなことが重なり合った偶然なのだと、つくづく思う。

そして、だからこそ、親、、、、というよりは、一人の人間からみて、”そうちゃんって、すごいなあー。。”と心から思う。

いろんなことをつなぎあわせていくと、父が時々言う言葉をかりるなら、"something great"

"something great"によって道案内され、今、ここに立っているんだなあ、、、と思う。

 

だから、10周年が来た日には、大好きなマグロのお寿司ともずくとソーセージとチーズとイチゴを、てんこ盛りにして、そうちゃんをギュッと抱きしめて、「ホントによくがんばってるねー!」と、あらためて言いたい。

でも、彼のおかげで、苦手な数学の問題を目の前にして以来の”難題”をつきつけられ、あーでもない、こーでもないという”お悩み”も多々あるので、「どうぞ、おてやわらかに!」という言葉も、もちろん忘れずにつけ加えたい。   

 

桜の花が咲く頃、そうちゃん、10歳の誕生日をむかえます。。

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旅のおみやげ~ヘンケルの爪きり

ヘンケルの爪きりでパッチン、、、パッチン、、、爪を切っていたら、そうそう、思い出しました!

 

 

私は、新婚旅行でヨーロッパに行ったけれど、ドイツはその時のツアーコースには入っていなかった。

この先、赤ちゃんが生まれたら、もうなかなか、海外旅行は難しくなるので、その前にぜひ、ドイツへ行ってみたかった。

そこで、私たちは、結婚二年目に、なけなしのお金をはたいて、ドイツ旅行へ行った。

パパ(ダンナさん)の仕事のスケジュールの関係で、8月のお盆の時期しかお休みがとれなかったのでその時期に。。。

お盆といえば、お正月に次いで、旅行代金も高い。

でも、今を逃したら、また、いつ行けるやらわからないので、ギリギリ、資金をかき集めた私たち。

(そんな事も知らず、母・よしこやりかちゃん(姉)は、「ちはるちゃん(私のこと)たち、ドイツ行くんだってー。お金持ちじゃなーい?!」と誤解していた。)

 

私たちは、旅行代金を払ったら、ものの見事にスッカラカンになった。

だから、旅行中、ツアーバスがおみやげ店にとまっても、私たちには、先立つものがなかったので、停車時間が長すぎると感じるほどで、”おみやげ店には用なし!”といった感じだった。

お客さんの中には、バスがとまる度に、バスの中からすでに小走りで、急いでおみやげ店に入り、その都度、時計とにらみ合いながら、ものすごい勢いで買い物をして、フーフーいいながら、バスにもどってくる人たちもいた。

時には、もどって来なければいけない時間をオーバーして、バスガイドさんに厳重注意を受ける人もいたり。。

それを私たちは、バスの後部座席から眺めながら、お金がないということは、こんなにも、のびやかで、ゆったりしたものなのか、、、と語り合った。

 

しかし、、、、。

このまま、まったくの手ぶらで帰るのもねえ、、、と思っていたその時。

バスガイドさんが、「こちらが、ヘンケルで有名な地方ですー。包丁とか、ハサミとかで有名ですよねー。」と言い、最後に、「ヘンケルの爪きりはオススメです。値段も安いし、よく切れます。重宝しますよー。一生ものです。」と言った。

 

私はコレだと思った。

安くて、一生ものだなんて、願ってもないっ!

私たちは、久々にバスからサササッと降り、ヘンケルの爪きり売り場へ直行し、家族みんなのおみやげにすることにした。

 

 

しかし、、、。

おみやげを受け取った家族の反応は、実に冷ややかなものだった。

カサカサっとした袋を、よしこに渡すと、ニッコリしながら、「何かしらー。。」と言い、その顔は”妙な期待”に満ちあふれていた。

瞬間、”げっ、これはマズイ。。”と思った。。

ソーっと袋から”爪きり”が顔をだすと、、、、よしこはポカンとして、「なーに これ? なーに ちはるちゃん?」と言った。

なーにって。。。

爪きりに決まっているではないか。。。

よしこは、”爪きりの形のペンダント”とでも思ったのだろうか、、、あっちに向けたり、こっちに向けたり、いろんな角度から眺めていた。

まさか、ドイツ旅行のおみやげが、これたった一つだけとは、にわかには信じがたい、といった風だった。

 

姉はと言うと、、、袋を開けるなり、「なにこれ、、、。つめきり? つめきり??」と、私に何回も確認し、笑い転げていた。

「りかちゃん。。爪きりったって、ヘンケルの爪きりよ! よくきれるんだからっ。」と言ったが、「ヘンケル?あっホントだ。ヘンケルのマークがあるっ!これねっ、これ!」と言って、双子ちゃんが肩を組んでいるようなマークを指差し、ウケまくっていた。              

 

 

それから、しばらくの間、私は、家族中に、「ヘンケルさん!」「ヘンケルさん!」と呼ばれ、ケチ扱いされた。

その”ヘンケルさん”の隣には、当然のことながら、”ヘンケルさんのダンナさん”がいた。

彼は、いったいどんな風に感じたのだろう。

きっと、私と結婚したために、とんだ家族と合流する事になってしまった、、、と、悔いたにちがいない。

結婚してからというもの、ヘンケルさんのダンナさんは、私の家族の荒波(独特なペース)にすっぽりとのみこまれ続け、現在に至る。

 

ちなみに、私の家用に買ったヘンケルの爪きりは、今なお健在。

切りごこちも抜群。

双子ちゃんたちも仲良くガッチリ肩を組み、ガイドさんの言う通り、一生使えそう。

ナイスなおみやげではないか。。。

 

 

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旅のおみやげ ~お葬式用バック

私が友人とシンガポールへ旅行へ行った時、母・よしこがリクエストしたおみやげとは、、、!!

 

 

出発の前日、旅行カバンに荷物を詰めながら、私は、母・よしこに、「おみやげ、何がいーい?」と聞いた。

いつもなら、「00がいい。」「00買ってきてよー。」とおみやげ指定するよしこが、今回は、「おみやげなんていらないわよー。」と、しおらしい。

 

出発の朝、私は、靴をはきながら、”いってきます”と同じくらい気楽に、(もちろん、昨日と同じ答えを確信しながら)もう一度、よしこに、「おみやげ、何がいい?」と言い、”さあ、今こそシンガポールへっ!!”と、玄関のドアを開けようとしたその時、私の背後で、「ちはるちゃん(私のこと)、、、バックー。。」という、か細い声が聞こえた。

 

よしこにしては、小さな声だったので、「えーっ? なーに?」と、振り返りながら言うと、今度は遠慮のない大きな声で、「あのー、バック。バックがいいわ!」と言う。

、、、まっ、でも、旅行に行くからには何かおみやげは買わないといけないので、物を指定してもらった方がありがたい。

 

で、私は、「どんなのがいい?」と聞いた。

”どんなの”というのは、大きいのか、小さいのか、はたまた、どちらのブランドがいいのか、、、という意味だった。

なのに、よしこは、、、、。

「そうねー。。。お葬式のときつかえるバックがいいわー。」と言う。

「はあーっ??」私は、思わず声を大にした。

こちらは、これから急いで空港に行かないといけない。

”さあ、急がねば、、、、。”という、この出発の時になって、そんな難しい注文をされたって。。。

 

「お葬式用? どんなの? 大きいの?小さいの?」と、口早に聞くと、よしこは、「黒いの。」と言った。

、、、まさか、葬式用のバックがほしいと言われて、赤や黄色のバックを買って来る人はいるまい。

「ねっ、ママ。ちはる、急がなきゃいけないのよ。間に合わないから!

で、お葬式用のバックって、大きいのがいいの?」と、さらに口早に聞くと、よしこは、「ちはるちゃーん。お葬式用のバックに、そんなに大きいのはないわよー。ハハハ、、、。お葬式用のバックは、お葬式用のバックのサイズよー。」と笑った。

 

 

本当に、そんな”規格”があるものなのか。。。

私が知らないダケなのか。。。

でも、聞いておくれ。

私はこれから、東京へ遊びに行くのではないのだ、よしこ。。

私はこれから、飛行機に乗って、シンガポールへ行くのです。。

葬式用バックにそんな、”国際規格”というものがあるのですか、よしこ?

国によってお葬式のスタイルが違うのに、そんなの、あるハズもなく。。。

 

「えー、そんな事、今頃言われたって困っちゃうよー!」と、私は思わず言った。

そうムスメが言ったら、”あー、そうね。じゃ、なんでもいいわ。”と言うのがフツウだろう。

そうそう、よしこも確かに、そう言った。

「あー、そうね。じゃ、なんでもいいわ。」

でも、その後に、「お葬式用のバックなら。」と一言、付け加えた。

 

だいたい、これからムスメが飛行機に乗ろうとしている時に、”お葬式用”だなんて、言ってくれるではないか、縁起でもない。。。

 

 

そして、私は、一路・シンガポールへ。。

ツアー旅行だったが、その”葬式用バック”のおかげで、おみやげ店にツアーバスがとまるたびに、私は、そのバックとやらを探しに行かなければならなかった。

何しろ、ツアー旅行というのは、せわしない。

常に時間との戦い、、、と言っても過言ではない。

「はい。じゃーこちらのお店で、おみやげなどお買い求めくださーい。バスの停車時間は20分となっておりまーす。

他の皆様にご迷惑がかかりますので、くれぐれも遅れる事のないよう、時間厳守でお願いいたしまーす。

では、ごゆっくり、行ってらっしゃいませー。」

ガイドさんはそう言ったが、ごゆっくりできるはずはない。

なにせ、こちらは、その20分の間に、トイレにも行かなくてはいけないし、そして、よしこのいう、”葬式用バック”も選ばなくてはならないのだ。

 

私は、弾丸のごとくバスを降り、走り、バック売り場へと直行した。

そして、”黒くて、平たくて、細長い”という、私のイメージだけをたよりに、それらしきバックを物色し、店員さんに、「for funeral?」と聞いて回った。

おかしな日本人と思われていたに違いない。

バスは、何件かのおみやげ店に連れて行ってくれたが、そう簡単にバックをみつけることはできなかった。

途中、さすがに私も、せっかく旅行に来たのに、葬式バックでもなかろうと、アホらしくなってきて、結局、帰りの空港の免税店でバックを買った。

 

帰ってから、そのバックをよしこに渡すと、「まー ありがとう!ちはるちゃん!!」と、とても喜んでくれたが、あのバック、ちゃんとお葬式用として使ってくれたのだろうか。。

その辺はかなり疑問だ。。。

 

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