« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月

そうちゃん誕生前夜の混乱物語~後編

そうちゃんを出産するため入院したときの話。

前回ブログのつづき。。。

 

 

それからようやく長い夜が明けた。

朝になると、カラカラカラカラ、、、という音とともに、看護婦さんがやって来た。

「さあ、これから点滴しますからねー。 腕をこういう風に曲げたり、下に向けたりすると、血が逆流してきますから、注意してくださいねー。」と看護婦さんは、腕を曲げて見せながら、ゆっくりと説明してくれた。

 

それからしばらくして、今度は”浣腸”だそうだ。

これも、生まれて初めてだった。

「これですね、最低3分間はトイレに行くの、我慢してくださいねー。いいですか?」と言われたので、私は、素直に、「はい、わかりました。」と言った。

、、、が、処置が終わるなり、おなかの中で、山崩れが起こったのではないかと思うほどの激動が走り、さっき約束したハズの3分間はおろか、今、病室をゆっくり出ようとしている看護婦さんを猛ピッチで追い越し、私は、廊下はさんで向かいにあるトイレへと直行した。

「あっ、、、。」という、か細い看護婦さんの声をかすかに感じながら。。。

 

 

トイレでは悪戦苦闘。

タラタラと冷や汗が落ちた。

とにかく、お腹がゴーゴーいうほど痛く、身をよじらせて、もがいた。

「浣腸ごときでこんなんじゃ、とても自然分娩は私にはムリだ。。。帝王切開の方がいいかもしれない。。」と、その時初めて思った。

 

。。。ようやく、すっきりして、ホッとして、”さあ、立とう”と、点滴がぶら下がっている棒を支えにしようと、サッと上を見上げて、、、、びっくり仰天した。

なんと、手首から点滴の棒を伝わっているチューブ全体が、真っ赤なのだ。

さっき注意されたばかりなのに、血が逆流していたのだ。

それも、半端じゃなく、はるかかなた上まで、、、。

 

「怒られるっ!!」

瞬間、そう思ったが、仕方がない、、、私は、しぶしぶ、トイレの”緊急ナースコール”を押した。

急いで駆けつけた看護婦さんは、ドアをガッと開け、「どうされました?!」と言った。

私は、静かに、「あのー、、、これー、、、。」と言って、点滴を指差すと、

「わっ すごい! これはすごい!」と看護婦さんは叫び、目をパチパチして、「あー! これは、ものすごく長い時間、血が逆流してましたよ!!」と言って、目をつり上げた。

 

 

予定では、あと1~2時間は先と言われていたが、そんなこんながあってか、予定より時間を早めて手術することになった。

「さあ、じゃあ、これから手術室に移動しますから、こちらにどうぞ。」と言って、看護婦さんがやって来た。

手術といえば、ベッドの際ににストレッチャーがつけられ、それにのって、花道のような廊下を家族に見届けられながら、泣きながら、「がんばってね。」と言われ、私も,それに答えて、「うん。ありがとう。。」といいながら静かに手術室へ消えていく、、、という”絵”をイメージしていた私は、すぐそこではあるが、手術室まで、テクテクと自力で歩いていかなければならないことに、ギャップを感じた。

そんなことより、手術室の前でじりじりと待つべく、ギャラリー(家族)もまだ到着していないではないかっ!!

私は、なんだか急に不安になってきた。

 

手術室へ行く途中、私は、「あっ、、、私、ちょっと部屋にもどってもいいですか?」

と看護婦さんに言うと、看護婦さんは、「どうされました?」と、また例の調子で聞いた。

私が、「いや、忘れ物しちゃって、、、。」と言うと、「何をですか?」と聞くので、私は「靴下です。」と言った。

「靴下、、、?靴下ですか???」と、看護婦さん。

「はい、私、冷え性なので靴下はいておこうと思って。。。」と私が答えると、今度はマジで怒られた。

「今から何しに行くと思ってるのー?!

あなた、これから手術よー!!」

えっ、、、手術のときは、靴下はいてちゃいけないんだ、、、。

みなさんも、ぜひ、覚えておきましょう。

 

おしまい。

<ブログランキングに参加しています。>       人気blogランキングへ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

そうちゃん誕生前夜の混乱物語~前編

そうちゃんを出産するため入院したときの話。

いやー 看護婦さん泣かせでした。。。

 

 

予定日をすぎた頃、病院の先生の口からでたのは、意外な言葉だった。

「赤ちゃんの心臓の音が弱くなっていて、自然分娩に耐えられる力がないので、明日、帝王切開しましょう。

これから家に帰って、ごはんを食べたら、夕方、病院に入院してください。」

おなかの赤ちゃんが元気じゃない、、、というのが一番ショックだったが、私はそれまで、手術はもちろん、入院の経験もなかった。

帝王切開になるなんて、思ってもいなかったので、こわくてこわくてたまらなくなってきた。

 

 

さてさて、夕方、母・よしこのごはんを食べ、入院する時がやってきた。

不安でいっぱいだったが、よしことパパ(ダンナさん)が病室にいてくれた時までは、まだよかった。

が、ツカツカと看護婦さんがやって来て、「はい。面会時間は21時までとなっているので、ご家族の方はおひきとりください。」と言い、よしこたちが帰ってから、私は急に心細くなった。

”赤ちゃんは元気に生まれてくるのか” ”手術というものは、いったい、どのくらい痛いものなのか”ということがグルグルと頭の中をかけめぐった。

、、、でも、「もう、これ以上考えても、らちがあかない。。。もう、なるようにしかならない。さあ、ここは一気に寝てしまおう。」と思い、ブルブルふるえながら、お布団にもぐった。

 

すると、間もなく、お腹の下で”プチン”という、聞きなれない音がした。

、、、と同時に、水のようなものが流れてきた。

破水したのだ。

ここから、私の混乱物語が始まる。

 

 

すぐにナースコールすると、看護婦さんが”お産セット”(パンツやパットが入ったもの)をもってやって来た。

まったく奇妙だったのは、手渡されたパンツだった。

私は、「こんな小さいのをはくんですか、、、?」と思わず言った。

それは、お産の後、お腹が小さくなった人がはくパンツだった。

こっちはまだ妊婦だ。

ウエストはもう、パンク寸前、90cmはあろうかという、相撲取りのような体なのだ。

(それは、大の大人に、赤ちゃんのオムツを”どうぞ”と差し出されたような、そんな感じ。。)

 

そのパンツは、体にフィットするはずもなく、、、、まったく滑稽だった。

こういう時、「ちょっとー これ見て~!」と、誰かに笑って話せたなら、気が楽になるけれど、たった一人、ピンと張り詰めた病室の中では、ただただ空しい空気が漂う。

 

最初はちょっとずつしか流れてこなかったが、どんどん本格的な破水となって、量も増えていった。

「あっ パットをかえてもらわなくっちゃ。。」

そう思って、ナースコールを再び押すと、病室に来てくれた看護婦さんは、「さっき説明しましたでしょ。今度は自分でやってみてください。」と、厳しく言い放った。

 

もう、その頃、私は”初めての破水”で、心臓がバクバクしていた。

「あっ そうか、、、パットをまた変えればいいんだ。。。」

今度は、自分でやってみた。

 

”さあ、ちょっと寝よう”

そう思って、目を閉じた。

しばらくして、ベッドが妙に冷たくなってきたように感じた。

気のせいかな。。。

”んっっ???”と思い、シーツに手を当てたら、、、、ぬれていた。

「ひゃっ!!」と私は声を上げ、思わずベッドの上に立ち上がった。

そして、再びナースコール。

 

「どうされましたー?」

やってきた看護婦さんはそう言いながら、ベッドの上に立っている私を見上げた。

私は、「こんなことになっちゃいましたー!」と言って、世界地図を描いたシーツを指差しした。

「あーら あらあら、、、。」と言って、看護婦さんは私に近づき、私のパジャマもぬれている事に気付くと、「あらやだ!パット、表裏、逆にしてますよっ!」と言った。

もう、そのころ私は、かなり気が動転していたため、「はあー。。。」と、半ば気がぬけたような返事をするだけだった。

「パットはこっちが上ですからねっ!いいですか? もー しっかりしてください!」と私をたしなめるように言った。

 

、、、そりゃ無理というものだ。

ここまできた私に、しっかりしろと言われても、、、。

せめて、家族を呼んでくれ、、、と思ったが、もう夜中の2時。

家族だって、本番前に呼ばれたんじゃーたまらない。                                               

 

 

それから、看護婦さんが病室を去ってから、さすがに私も、”もっと落ちつかなくては、、、。”と思った。

何をしたら落ちつけるだろう。。。。

そこで、なぜだか私は、「そうだ。。。もってきた栄養クリームでもぬろう。」と思った。

それから、鏡を見ながら、「とりあえず、朝までがんばろう。」と自分に何回も言い聞かせながら、いつもより入念に、顔にクリームを塗りこんだ。

 

 

”さあ、、、寝よう。。。”と思って、再びベッドの中に入った。

しばらくして、看護婦さんが様子を見に来てくれたのだろう、、、ドアが開いて、人が近づくのがわかった。

でも、私は、もう寝ようと努力している最中だったので、目は開かなかった。

すると、次の瞬間、「わーっ! どうされましたかーっ?!」という、甲高い看護婦さんの声にびっくりして、思わず目を見開いた。

ベッドに世界地図を描いて以降は、どうされた覚えもないので、私は、「へっ、、、???」と言っただけだった。

すると、看護婦さんはものすごく心配そうな顔をして私の顔をのぞきこみ、「まーっ!まーっ!まーっ! こんなに汗かいちゃって!!」と叫んだ。

 

季節は4月。

私は暑くともなんともなく、むしろ寒いくらいだったし、最初はなんのことやらサッパリわからなかったが、ようやく、何ゆえに看護婦さんが驚いているのかわかった。。

私は、「あーっ、、さっき私、栄養クリームぬったんですー。」と一言いうと、看護婦さんは”もう言葉もない、、、。”といったあきれ顔をして、「はっ、、、栄養クリームですかー、、、。」と言って去って行った。

 

後編へつづく。。。

 <ブログランキングに参加しています。>                                             人気blogランキングへ             

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

棚からぼた餅

幸運は、時に突然にやってくる。  会社の知り合いの人が当たった”タイ旅行”に、なぜか、私と母・よしこが行った話。

 

結婚する前、会社の同期の女の子とアルバイトさんと、一緒にお昼ごはんを食べていた時のこと。

同期は8人、それに、アルバイトさんは3人ほどいたので、テーブルはザワザワとしていた。

、、、と、突然、アルバイトさんの一人が、「私、タイ旅行が当たったの。」と言った。

つい最近、いつもは買わない、たまたま立ち寄ったショップで洋服を買ったら、くじの抽選券をもらい、くじをひいたら、当たったというのだ。

ふつうだったら、”わー!いいんだあ。。。うらやましー!!”

、、、、ということで話は終わると思うのだが、、、、終わらなかった。

 

「だれか、もらってくれなーい?」と言うのだ。

私が、「えっ。。。せっかく当たったのに、都合悪いの?」と聞くと、彼女は、「ううーん。会社は休もうと思えばお休みもらえると思うの。 でも、方角が悪いのよー。」と言う。

一瞬、私たち一同、ごはんを食べていた箸を思わず止め、”シーン”と静まり返った。

”ほっ、、、方角???”

 

 

占いだったのか、なにかの宗教だったのか、そのへんはすっかり忘れてしまったが、とにかく、”タイは、今、あなたにとって方角が悪いので、行かないほうがいい。”と、誰かに言われたらしい。

そのアルバイトさんは、私たち一人一人に、次々と、「ねー 行かない?」「行かない?」と言って聞いた。

ふつうだったら、「えっ いいの? 私、行く行く!!」ということになり、”じゃあ、誰が行くかジャンケン(?)ね”ということになり、話は終わると思うのだが、、、、終わらなかった。   

 

みんな、不気味な静けさを保ったまま、「行かない、、、。」「行かない、、、。」と首を横にふるばかりで、誰も行きたいと申し出る者はいなかったのだ。

それからしばらく沈黙となり、なんだか雰囲気まであやしくなりつつなる中、私は、「私さあ、、、行きたいな。。。」とポツリと言った。

 

彼女は、「えっ ホント?? わー よかったー!!」と言って、心から喜んでくれていたけれど、私は、彼女とは課も違い、ほとんどお話したこともなかったので、「でも、私でいいの? だれかお友達に聞いてみたら? 行きたい人、いっぱいいるんじゃない?」と聞いてみた。

でも、「うーん、いないの。何人も聞いてみたけど、みんな、行かないって。」ときっぱり。

 

 

、、、、ということで、なんなく、”タイ旅行落札!”となった。

追加料金を払えば、誰でも旅行に参加できるということだったので、さっそく、母・よしこを誘うと、「行くわよー! 行く!行く! ちはるちゃん(私のこと)、一緒に行きましょー!!」ということになり、”まーまー! こんなこともあるのねー! タイは南? 東? 私たちは、どこの方角でも行っちゃいましょー!!”と言いながら、私たち親子は手をとりあってこの”棚ぼた”を喜び、大いに盛り上がった。           

 

 

そのタイ旅行が素晴らしかった。

抽選で当たった旅行というだけあって、食事は最高に美味しいし、ホテルもゴージャス、生まれて初めてパラセーリングを楽しんだり、、、。

スタッフの方も大勢いて、至れり尽くせり、よしこと私は、家に帰ってくるまで、目が合っては、「最高だねー!」「最高だねー!」と言い続け、楽しくって笑いがとまらなかった。

 

夜、よしこと一緒に”おかまバー”へ行けば、旅行を主催したオーナーの方が後で来て、「おっ いらっしゃいましたかー。じゃあ、ご一緒に。」ということになり、おごっていただき。。。

ホテルのラウンジに行けば、またまたオーナーの方が後から来て、「はー これはよくお会いしますねー。せっかくだからご一緒に。」ということになり、またまた”ごち”に。。。

私たちが行くところ、行くところ、フシギと一緒になり、、、、そういう意味でも、私たちは笑いがとまらなかった。

 

よく、”宝くじが当たる人は、一度でなく、何回も当たる”というが、そういえば、旅行に来ている人も、旅行が当たったのは、これが初めてではない、、、という人が多かった。

”なにか当たるときは、手のひらがムズムズっと、かゆくなるんですよー。”って言ってた人もいたっけ。。。

 

タイは、果物をはじめ、食べるもの食べるもの、どれも美味しく、また、本当にゆったりとした時間が流れていて、人もやさしく、大好きな国だった。

けれど、路上にはストリートチルドレンもたくさんいて、そのことは、私たちの胸を痛めた。

 

 そして、よしこは、、、。                                                          

「ちはるちゃん、、、。ママ、もう贅沢はしないわ。。。あれが欲しい、これが欲しいと言っていたこと、恥ずかしく思うわ。 ママ、もう、何もいらない。。何も買わないわ。。

道中、肩をガックリおとし、涙を浮かべ、何度も何度もそう、私に言った。

、、、が、その舌の根もかわかぬうちに、帰りの空港の免税店にて、よしこは、バックだ、スカーフだ、金のネックレスだと、ものすごい勢いで買いまくっていた。

まー よくもまあ、、、とあきれもしたが、次々と買うその姿は、”潔さ”さえ感じるほどの、見事な買いっぷりであった。。。

 

また、いつか行ってみたいなあ、、、タイ。

<ブログランキングに参加しています。> 人気blogランキングへ

| | コメント (3) | トラックバック (0)

誕生日プレゼントは”金壱万円”なーりー

私のファミリーでは、お誕生日には、それぞれに、品物ではなく、”お金を1万円プレゼントする”という制度がある。さてさて、そのルーツとは。。。

 

 

誕生日プレゼント。。。

これにしようか、あれにしようか、、、と贈るほうは贈るほうで楽しかったりする。

けれど、私のファミリーでは、”誕生日プレゼントは、金・壱万円なり。”と決まっている。

家族の中で、誕生日をむかえる人に、各自それぞれに封筒をもちだし、その中にピョンと1万円札をいれ、その人じきじきに渡すか、郵送する、、、というものだ。                                                            

 

思い起こせば、最初からそういう制度だったわけではない。

そこには、さまざまな出来事の積み重ねがあった。。。

 

 

姉も実家に遊びに来ていたある日。

リビングで、みんなでおしゃべりしていたら、パパ(私のダンナ)が、「あー。 オレ、そろそろ財布、買いなおそうかなー。」と言った。

「今度はどんなのにするの?」などと、私たちがしゃべっていると、母・よしこがおもむろにスックと立ち上がって言った。

「お財布? お財布ならあるわよー。 うちのパパがもらったけど、使ってないのがー。 今、もって来るわね。」

そう言って、クローゼットのある部屋へと歩いていった。                                                  

しばらくして、箱に入ったお財布らしきものを手にして、私たちのところに戻ってきた。                                                         

そして、パパにその箱を差し出しながら、「このお財布、だれかにもらったんだけど、うちの主人、こういう札入れは好きじゃないから、使えないのよー。」と、言った。

パカン、、、、と箱を開け、、、、と、しばし、沈黙があり、、、。

そして姉が、ちょっとあきれ顔で言った。

「ねー。。。。これさあ、、、り香(姉の名前)がパパにあげたお財布じゃなーい、、?」

 

すると、よしこはケタケタと笑い、「まーっ。。。まー そうだったかしらー。。。いやだわー。。。」と悪びれもせずにごまかした。

そうだ、これは、姉が仕事で海外に行ったとき、父に買ってきたもので、父にあげる時、「これ、本皮よ。高いんだからー。」と念をおしていたものだ。

(父だってあの時、「本皮かー。おー シャレてるなー。」とうれしそうな顔をしていたではないか、、、。)

 

しばらくして、さすがによしこも、早くこの雰囲気を消し去りたいと思ったのだろう。

今度は、「あー。。。もう一つあるのよー。 使わないお財布がっ。困っちゃうのよねー、せっかくもらっても、パパの好みじゃないから、ずーっとしまってあるの。

誰からもらったんだか忘れちゃったんだけどー。。。」

そしてまた、よしこは立ち上がり、またまた、お財布の入った箱を持って、私たちのテーブルへやって来た。

箱には”dunhill(ダンヒル)”と書いてあった。

ダンヒル、、、ダンヒル、、、。

よしこは、その箱をパパに(私のダンナに)さしだしながら、「使ってくれない? もー これ、うちに置いててもしょうがないから、もらってくれたらうれしいんだけど。」

 

 

次の瞬間、私はひっくり返って笑っていた。

「ママーっ! それさー、ちはるが(私のこと)ハワイに行ったとき、パパにおみやげにあげたのじゃない!?」

(確か、あの時だって、父は「おー ダンヒルかー。使わせてもらいます。」とうれしそうな顔をしていたではないか、、、!!)

ハワイに旅行にいったのは、もう10数年前。

、、、ということは、それと同じ年月、実家では”お荷物”として、クローゼットにねむっていたことになるのだ。

 

 

私たちは、その情事を”お財布事件”とよんでいるが、すくなくとも、それがきっかけとなり、

お誕生日をむかえた人には、各自1万円をプレゼントし、もらった人は、その集まったお金で、自分の欲しいものを買う、、、という制度が誕生した。

この制度は、かなりウケがよく、その集まったお金に自分でいくらか上乗せして、”買えそうで買えないもの”をそれぞれが買っている。

何を買おうかなー、、、、っていう、楽しみがあるので、お誕生月になると、とっても心わくわくの気分が味わえるのだ。

 

 

その制度ができていない頃には、その”お財布事件 ”のみならず、”赤いセーター事件”などなど、数々の事件が起きていた。                                                                                                 

(ちなみに、赤いセーター事件とは、父の60歳の誕生日に”赤いものがいい”ということで、姉が、赤いセーターを父にプレゼントした。

が、私たち家族が実家に遊びに行ったある日、よしこがパパ(私のダンナ)に紙袋を持って来たかと思うと、唐突に、「ねー、これ、り香にもらったんだけど、重くってうちのパパ、着てられないって言うの。 1回しか袖通してないから、よかったら着てもらえないかしらー。」と言い、またまた私のダンナさんに回ってきたもの。)

 

 

制度制定後は、この手の事件は激減したが、ここのところ、姉や私に赤ちゃんが次々に生まれ、家族が増えた事により、”今月はお誕生日の人が3人もいる”という月もある。

自分がお金を郵送する前に、自分の家族がお誕生をむかえることもしばしば、、、。

そーなると、”相殺”(お互い送らずにすませる)という、なんとも味気ない行動もちらほらあったりするので、今後、こんへんをどーするのか、、家族間で詰めの協議をしなくてはならない。。。

 

<ブログランキングに参加しています>                                         

人気blogランキングへ

 

| | コメント (3) | トラックバック (1)

賞味期限のフシギ

賞味期限、、、書いてあることは、誰が見てもいっしょなのに、人によって、そのうけとめ方がこれほどまでに違う、、、なんてものは、そーはあるまい。。。

 

 

私が会社に勤めていたころ、仕事をしていると、突然大きな声で、同じ課の同期が、「げーっ! んー もう食べれんっ!」(訳:「もう食べれない!」)と言って、コンビニで買ったらしき”おにぎり”をガッと、ゴミ箱に捨てた。

聞けば、賞味期限を20分オーバーしたらしい。

私は、たった20分だから大丈夫だと言ったが、彼は「大丈夫なはずないやない。ほら、見て。”賞味期限O月0日 17時”って書いてあるやろー。ダメよ、ダメ。」と、おにぎりに未練はなかった。

こういう人がいるのか、、、。

 

 

私の母・よしこは、その対極をいっていて、いつも身近でそのよしこを見てきたので、彼の行動は、かなり、カルチャーショックだった。

まー、そもそも、賞味期限っていうのは、"美味しく食べれる期限”って事らしいから、こういう”気にするタイプの人”向けに、”賞味期限0月0日 17時くらいかな。”と、ちょっとファジーに記載すれば、もったいなく捨てられる食べ物も、少しは減るのかもしれない。

 

 

さて、母・よしこはと言うと。。。

賞味期限については、ほぼ、気に留めていない、、、と言っていい。

物によっては、無視しているに近い。

この間遊びに行ったとき、私の娘に「ヤクルトあるから、飲んでいいよ~。」と言った。

じゃ、とってきてあげるね、、、と、私が冷蔵庫を開けると、ビニールが破られたヤクルトが並んでいた。

確か、、、、。

確か、数週間前に遊びに行ったときも、ヤクルトを飲んだ。。。

私たち以外にヤクルトを飲むものは、実家にはいない。。。

、、、とすると。。。

ヤクルトの賞味期限をみると、はるか昔の数字がならんでいた。。

「ママ、、、。これ、賞味期限きれてるよ。。。」と言うと、よしこは、「あらー。 ヤクルトって、賞味期限なんかあるの??」と言う。

そうなのだ、、、もともと、賞味期限を気にしない人というのは、そもそも、食べ物に賞味期限があるってことも、記憶に薄いらしい。

 

 

母・よしこは、さすがに生ものは、一応のチェックはしているようだ。

しかし、食べ物がどんどん乾き物に変化していくにしたがって、おーよそ、賞味期限を気にとめることがなくなり、食べ物が缶に入るやいなや、”永久的に食べられるもの”とよしこの中で、進化していくようだ。

「ちはるちゃん(私のこと)、ホテルのスープいる? ママ、あんまり好きじゃないから。」

と、よしこが言うので、「うん、ちょーだい。ちょーだい。」ともらう。

よく、お歳暮とかにもらう、”00ホテルのポタージュスープ”とか、”シェフのパンプキンスープ”とか、そういう類のものだ。

ひとつ、、、、また、ひとつ、、、食品をストックしている棚に、スープを入れていく。

んっ、、、??

ちょっと、缶がくたびれている、、、??

、、、、と裏返してみると、とんだ賞味期限切れのものだったりする。。

パパにみせると、「それって、西暦じゃないんだよねー??」

そうなのだ、、、もし、西暦なら、この先10数年、飲めるのだが、、、。

平成なら、賞味期限がきれて、もう何年もたっていたこととなる。

よしこに言うと、「あらー そうなのー。でも、缶に入ってるんだから大丈夫じゃないのー?」

そして、しまいには、「ちはるちゃん、神経質ねー。」と、こうくる。

私が神経質なのか、、、そんな問題ではないと思うのだが。。。

確かに、いったい、いつを境に、美味しくいただけなくなるのか、、、。

そして、いつを境に、体に支障がでるほど、キケンな状態になるのか、、、。

その判断はきわめて難しい。

 

 

こういう、よしこみたいな”気にしないタイプの人”向けに、賞味期限も、「美味しく食べられる期限」「ちょっと味はおちるが、食べられる期限」「これ以上は絶対に無理期限」と、段階的に表示してもらえると、みんなにとってもありがたいのだが。。。

<ブログランキングに参加しています。>

人気blogランキングへ

 

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (1)

そうちゃんと君が代斉唱

障害のある息子・そうちゃんと迎える朝。 それは、”君が代斉唱”からはじまる。

今どき、こんなににも”君が代”を声高々に歌っている家庭があるだろうか。。。

 

 

”君が~代~は~  ちよに~やちよに~  さざれ~石の~いわおとなりて~

こ~け~の~  む~す~ま~ああで~” 

 

なかなかいい曲である。

五輪オリンピックのシーズンに、、、はたまた、右翼のガイセン車をみかけると耳にするが、日常に馴染んだ曲ではない。

学校の卒業式に、歌うの歌わないのと、もめたりする曲でもある。

、、、が、我が家では毎朝、この曲からはじまるといっていい。

 

 

家一番の早起き者・そうちゃん(9才・♂・知的障害アリ)は、起きると、トイレよりまず、ビデオのある部屋へ、寝ぼけながら、ヨロヨロしながら行く。

そして、大好きなビデオのスイッチをオン。

ビデオテープを急いで手に取る。

好きなビデオ、、、中でも、一番好きな”お相撲(千秋楽の日のもの)のビデオ”を迷わず選ぶ。 

そして、ビデオをガチャガチャといわせ、そうちゃんにとっての最大の見せ場である、”君が代斉唱”のところでストップをかける。

 

ふつうは、千秋楽といえば、優勝決定戦や、結びの一番が”見せ場”となるが、そうちゃんの場合は、誰が勝とうが負けようが、そんなことはどうでもいい。

”「皆さん ご起立ください。」という司会者の言葉につづいて、「君が代斉唱。」

(そこで、そうちゃんも、テレビの前で、ゲラゲラと、なぜか、大笑いしながら、斉唱)

そして、「皆さん ご着席ください。」という司会者の言葉。”

、、、、この部分がお気に入りで、気が遠くなるほど、延々と繰り返し繰り返し再生する。

 

 

いったい、どのくらい続けて再生して、楽しんでいらっしゃるのか、定かではないが、その途中で、ようやく、パパや私が起きてくる。

そうちゃんに、「おはよ~。」と言うと、そうちゃんは、ガッとふりむき、”おお やっと起きたかね。”という顔をし、そして、間髪いれずに、「き~み~~が~よ~は~!」と歌う。

もちろん、しゃべれる言葉は数少ないので、歌うといっても、歌詞なしのハミングだ。

 

勝手に歌ってもらうぶんには、一向にかまわないが、問題は、その「き~み~が~よ~は~!」の後になんと、無言の”間”が入り、その後に、続いて歌わなければならないところにある。

こっちだって、たった今起きて、”さあ トイレに行こうかね。。。”と思っているところを、いきなり呼び止められ、アインザッツ(歌う前の”ハイっ”みたいなの。)をかけられるのだ。

毎日のこととはいえ、かなりの苦痛であることをお察しください。。

 

 

ここはぜひとも、無視したいところだが、「ママ~。 どうぞ~。」「パパ~。 どうぞ~。」と言って、私たちが続きを歌うまで、どこまでもエンドレスに、このやりとりが続く。

 

それでも私たちからの反応がないと、今度はこっちにやってきて、顔を近づけ、目の奥をのぞきこみ、何回でも、「き~み~が~よ~は~!」と歌い、アインザッツの後の”間”に、”今度こそ~今度こそ~”という、絶対に歌わせてやるという、そうちゃんの執念に似た圧力を次第に感じてくる。

朝っぱらから、そのわけのわからない威圧感に耐えられなくなり、思わず「ち~よ~に~や~ち~よ~に~。。。」と続いてしまうのだ。

 

もとより、私たちよりかなり早く起きているそうちゃんは、私たちが起きる頃には、すでに何曲もうたっており、かなりのテンションとなっている。

、、、そうやって、”君が代 ”を無意識に、ボ~っと歌わせられながら、なーんとなく目が覚めてきて、私たちの朝は始まる。

たまに、目覚めのいい朝は、そうちゃんにつられて歌っているうちに、妙に楽しくなってきて、大げさにビブラートをかけながら歌ったり、演歌風に歌ったり。。。

(歌わされる回数も何回、、何十回、、、と半端じゃないので、バリエーションも求められるわけです。。。)

 

”君~が~よ~は~。。。。”

う~ん なかなかいい曲だ。

、、、曲が短くって、すぐに歌い終えられるところが、特にいい。

 

 

<ブログランキングに参加しています。>

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

そうちゃん語

息子・そうちゃん(9才・♂・知的障害アリ/推定年齢1~2才)より発信される”そうちゃん語”。それは、サザエさんの”いくらちゃん”の言葉(バブー バブー)を訳すのと匹敵するほど、正確に訳すには難易度が高い。。。

 

 

そうちゃんは、言葉をしゃべるはるか前から歌を歌った。

一番最初に歌った曲は、ベートーベンの第九。

2才になったばかりの頃だった。

年末によくテレビで流れていたので、覚えたらしい。

初めは、”まさか、、、。”と耳を疑ったが、よく音をひろってみると、やはりそうだった。

なんと高尚なっ!!

これはただ者ではない、、、と思ったものだが、確かに、”タダ者”ではなかった、、、、いろんな意味で。。。。

 

次に覚えたのは、”山の音楽家”。

それを皮切りに、歌という歌は、瞬く間に覚え、しかも、リズム感・音程ともにバッチリ!

(そうちゃんの歌というのは、歌詞なしのハミングのことです。)

なにしろジャンルも幅広い。

クラッシックから演歌・国歌・童謡、、、それに、今は、ラテンにはまっている。

”テ・キーラ”なんて、リズムの刻みを入れながら、のーりのり。

あまりにも快活な歌いっぷりで、ゴキゲンな気分になるので、いつも曲の最後に「テ・キーラ!!」と叫ぶのは私の方だ。

 

 

歌はばっちりなのだが、これが言葉となると、なかなか思うようには広がらない。

なにしろ、カツレツがハッキリしないので、誰が聞いても理解できるわけではない。

それは、はたから見ると、”そうちゃんオリジナルの言葉”と言ってもいいほど、聞き取りが難しい。

同じイントネーションでも、シチュエーションによって、言っている事はそれぞれに違うのだ。

 

 

母・よしこなど、私とそうちゃんとのやりとりを聞いて、いつも驚く。

一見、同じ事を繰り返してるとしか聞こえない言葉に、私が、「あーそうそう。 お風呂ね。」とか、「ごはんね。」とか「まだまだ。 もうちょっと待っててねー。」とか、二人の間では、いっぱしに会話が成立しているので、そばで見ていて、「まー ちはるちゃん(私のこと)、よくわかるわねー。 ママは、さっきから同じことを言っているようにしか聞こえないわ~。」とゲラゲラ笑う。

 

 

バスにそうちゃんと一緒に乗ると。。。

私たちの前の席に座っている人は、私たちの会話(?)のやりとりが不思議でならないのだ。

その上、ボキャブラリーの少ないそうちゃんは、何回・何十回となく、同じ事をしゃべる。

「ごはん?」と、そうちゃん。

「もうちょっとね。」と、私。

また、「ごはん?」と、そうちゃん。

今度はちょっと返事をかえてみて、「もう少しね。」と、私。

そうちゃんは、障害のためか、同じ質問には同じ言い方で答えないと気がすまない。

そこで、そうちゃんは、「ごはん? もうちょっと!」とムキになって言い、”もうちょっと”と答えなさいと、私に、言い方の訂正を求める。

そして、確かめるために、またまた、「ごはん?」と、そうちゃん。

「もうちょっとね。」と、私。

、、、、と、このような尋常でない会話が二人の間で、延々と繰り広げられているのだ。

 

前の人は、何をいっているのかさっぱりわからない、けれども、それはそれはよくしゃべる後ろの人(そうちゃん)の”正体”をぜひとも確認したくなる。

”怖いものみたさ”ではないが、10人中9人は、もう、後ろを振り向いてみたくなってしょうがなくなる。

しかし、そこには不思議となんとなく”遠慮”があるらしい。

その結果、ふり向く事はふり向くのだが、ガバッと首を回して見ることはない。

なぜだか、みんな、首をキュッと、45度だけ回す。

そして、あとは、なんとか目をなるだけ端っこによせて確認しようとするのだ。

あともう少し首を後ろに回したら、バッチリ私たちを確認する事ができるのに、そのあとちょっとは決して動かさない。

ただし、子供は例外。

子供は素直に、首を体ごとギュっと回して、手っ取り早く確認する。

 

 

パパも、そうちゃん語の通訳者としては、かなり優秀と言えるが、それでも、誤訳して、トンチンカンなことを自信満々に言っている事がある。

そういう時は、そうちゃんもヤキモキして、私に向かって、「ママ!!」と言い、”即座に、この、ものわかりの悪い人に訳しなさい”とイライラしながら訴える。

そのときは、私も同様、”まーっ このくらい、わかりなさいっ!”と思いながら、通訳をいれる。

 

、、、と言っても、私だってそうちゃん語は、まだまだ”連想ゲーム”の域を出ず、「う~ん、、、そうちゃん、ヒント!ヒント!!」とよく叫んでいるが。。。                                                                 

 

そうちゃんが、今以上に言葉がハッキリしないとき、家ではミュージカルの舞台のようだった。

たとえば、”お風呂にはいろう”ということを伝えるために、「お~ふ~ろ~に~はいろーかー。」と決まったメロディーをつけて歌う。

そうちゃんは、音楽はすぐに頭に入るので、メロディーをすぐ真似ることができた。

だから、そうちゃんとは一日中歌っていた。

 

 

今も、ミュージカルな毎日だが、いったいいつまでつづくやら。。。

<ブログランキングに参加しています。>

人気blogランキングへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

続・じゃんけん戦争 ~その後

<今日の話>前回の、姉(行正 り香・・・料理やお菓子の本を出版中)とのバトル話のつづき。じゃんけん戦争の昔、そして、今。。。

 

 

(行正り香)との、この”じゃんけん戦争”、、、、どちらかが、「今日は好きなの 選んでいいよ。」と、ひとこと言ったなら、終結も早期であったと思うが、むろん、どちらも一歩も譲らなかったので、当然のことながら、長期化した。

じゃんけんなしの生活なんてあり得なかった。

 

 

母・よしこは、この熾烈なじゃんけん戦争をそばで見ては、「こんなはずじゃなかった。。」と言って、私たち姉妹の姿に絶望し、身震いしていた。

姉妹とは、姉は妹をかわいがり、何でも譲り、妹は姉を敬い、言うことを素直に聞く、、、そんな絵を描いていたらしい。

男兄弟の中で育ったよしこは、女の子の姉妹に憧れのようなものを抱いていたようだ。

が、現実は甘くなかった。

 

 

結婚してからも、私の”じゃんけんして選ぶ”という感覚は、体にしみついていた。

ある日、いただいたケーキを前に箱をパカンと開けて、どれにしようか見ていると、パパ(主人)が、「どれがいい?」と言う。

「どれがいい、、、って。。 これかな。。」とケーキを静かに指差すと、サッととって、私のお皿にいれてくれた。

何もせずして、狙いのケーキをゲット!

初めは、”はっはっはっ しめしめ。 これからは私の天下だわ。。”と、歓喜の気持ちが噴出して笑いがでそうだったが、フシギとこういう平和な気持ちは長続きしない。

だんだん回を重ねていくうちに、「パパは、ホントはどれが食べたいの?」と聞かずにはすまなくなってきた。

「俺はどれでもいい。好きなの選んでいいよ。」

、、、、聞けば、パパは、7つ年の離れたお兄さんの二人兄弟なので、この手の事で、トラブルになったことは、皆無だという。 

そんなメデタイ兄弟が存在したとは。。。

 

 

でも、さらりと、どれでもいいと言われると、「じゃ、じゃんけんで決めよう!」と、こちらからふっかけたくなる。

何度もじゃんけんを志願すると、じゃんけんはするが、「じゃ~~んけ~~んぽ~ん~。。」

これだ。

まったくヤル気がなく、緊張感が伝わってこない。

この時点で、かなりムッとしてくる。

もっと真剣に! 真剣に!!

 

パパは、勝っても負けても痛くもかゆくもない、、という感じで、まったくリアクションに乏しい。

だって、しょせん、彼にはどーでもいいことなんだから。。。

パパはパパで、私が何ゆえムキになるのか、さっぱり理解できないらしい。                                                                      

 

 

じゃんけん戦争当時は、自分の中で、どれが一番食べたいかを厳選しつつ、姉がどれをねらっているのかをも想定する。

自分も美味しく食べられ、そして、姉を悔しい気持ちにさせるのは、この中のいったいどれなのか、、、、ねらいは二つにしぼられた。                                 

 

じゃんけんに勝って、「じゃ、コレ。」と言って、すべての条件を満たしたときの美味しさといったら、、、!

(私が選んだ後、姉に「あー よかったー。 りかはこれがよかったんだもんねーっ。」と、フンと鼻をならしながら言われたら、勝負には、半分負けたようなものだ。。)

今思えば、そこらへんの取引まで想定して、ゲーム感覚で楽しんでいたことを思い出す。                      

 

 

そういう意味では、そんな蜜の味のするケーキ、、、しばらく食べてないなあ。。。

<ブログランキングに参加しています。>

人気blogランキングへ

 

 

 

| | コメント (1) | トラックバック (1)

じゃんけん戦争 ~カルピス・ケーキ・クッキー編

<今日の話>私の姉は今、料理やお菓子の本を出版してます。(行正 り香)

その姉との、幼い頃のバトル話。 とにかく、来る日も、来る日も、ひたすらに、じゃんけんの日々。。。     

 

 

カルピス編

私と姉は、一つ違いの、いわゆる年子。

今でこそ、私の一番の友達であるが、少なくとも、小学校くらいまでは、よく一緒に遊びもするが、ケンカも絶えず、とても、"仲のよい姉妹”という形容は、ふさわしくなかった。

こと、”食べ物”に関しては、ものすごい執着があり、争いがたえることはなかった。。

 

 

「カルピスよ~。」

母・よしこの声がすると、私たち二人は、一目散に走っていく。

そして、テーブルにあるカルピスを前に立つと、”せいのっ!”とばかりに呼吸をあわせ、「じゃんけんぽんっ!!」

手先にものすごい力をこめて全身でじゃんけんする。

(あくまで、私たちは遊びでなく、心底、真剣勝負だった。)

そこまでは、どこの家庭でもよくある風景だと思うが、私たちの場合、そこからが異様な雰囲気につつまれる。

 

 

じゃんけんに勝った方が、どちらのグラスのカルピスを選ぶか、その権利が与えられる が、「じゃ こっち。」なーんて、すぐには決まらない。

 

まずは、テーブルの横に座り込み、グラスの中に入っている”カルピスのかさ”を 目で確かめる。

しかし、かさだけに惑わされてはいけない。

氷の数も、重要なチェック項目となる。

かさがこっちのが高い、、、、と思ったら、氷が一つ多かった、、、なーんて事もあるので気は抜けない。

 

次に重さ。

ちがうグラスにカルピスが注がれている時は困難を極める。

見た目に惑わされてはいけない。

案外、もってみると、見た目と重さは関係ないものだ。

右と左にグラスを持ち、交互にグラスを上げ、時には、目までつぶって、指先の神経を研ぎ澄ます。

、、、大変なさわぎなのだ、私たち二人にとっては。。。 

 

 

クッキー編 

これが今日のおやつだと、よしこから告げられると、私は、フッ、、、とため息がでた。

クッキーは大好き。

けれど、よしこは、クッキーのカンカンを私たちの目の前で開けると、「今日は3枚よ。」とか、「5枚だけだからね。」とか、必ず枚数を指定する。

 

私は、その非常にせこい、枚数指定が大嫌いだった。

それに、たくさんの種類の、どれも美味しそうなクッキーを限定することは、至難の業だった。

重さも、一つ一つが軽いだけに複雑化する。

なんとも、子供泣かせだ。

私と姉は、いつもよりいっそう時間をかけて選んだものだ。                                                                  

 

 

ケーキ編

これは、子供の時は、毎日食べられるおやつではないだけに、ケーキが登場すると、

このときばかりは、じゃんけんより先に下見がはいる。

ケーキの箱を囲んで、ぐるりと一周し、一つ一つをじっくり、、、横、斜め、上と、あらゆる方向から見る。

 

同じ種類のケーキでも、もちろん手を抜かず同じ作業が行われる。

微妙にスポンジ部分の膨らみが違ったり、上にのっかっているイチゴの大きさは一つ一つ違うのだから。。。。    

 

 

そして、一連のチェックが終わると、またまた、”せいのっ!!”とばかりに、「じゃんけんぽんっ!!」

私がねらい勝ちしたケーキを手にしたとき、姉が悔しそうな顔をしているのを見ると、、、たまらなかった。

その顔を横目でちらちら見ながら食べるケーキ、、、なんと美味しかったことか。。

その逆パターンで負けた日は、すごく悔しくって、「よしっ 次は絶対に勝ってやる!」と心に誓ったものだ。

 

そんなことだから、じゃんけんを重ねるごとに、私たちは、より一層、マジになっていったのだ。。。

 

 

<ブログランキングに参加しています。>                                            人気blogランキングへ            

 

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »